【黄禹錫】クローン王もローマ法王庁には勝てないニダ

カノッサのくちゅじょくニダ.
いやはや2005年もあと数時間といふときに何をやってゐるのでせう私は.


一昨日の記事ですが,
黄禹錫一派の中核メンバーの一人で,主にメディア広報やScience・ピ大への工作に従事して来た安圭里(あん・ぎゅり)が,
これまでの経緯をかなり詳しく「陳述」している記事がありました.
安が29日に「平和放送ラジオ」というキリスト教系放送局に出演したときに喋った内容をテキストに起こしたもののようです.
以下,かなり長い上に,口述だからか文法上の不整合が目立ちますが,なるべくそのまま直訳しておきます.



最近の幹細胞関連の様々な論乱についての私の立場を,以下のようにお知らせ致します.


難病はいつの世代にもあり,神様の助けを得た勇気ある科学者らによって克服されて来ました.
今や優れた臨床技術を備えたわが国に於いても,未来の患者らにまで救いの手を差し延べる機会が来るものと希望していました.
移植分野に関心を持ち勉強して来た私にとっては,難病治療の為の次世代技術は幹細胞と異種臓器(訳註:漢字違うかも)だと考えました.
特に細胞治療の行われる次の世代には,免疫拒否反応の無い体細胞核移植幹細胞が最前の最善の選択となるであろうことを確信していました.


研究チーム内での役割


研究チーム内で 私は,体細胞核移植幹細胞が作られた後,この幹細胞をどのように応用するかという部分についての諮問を担当しました.
それから体細胞核移植幹細胞を今後どのように活用すべきかについて国内外の研究者らとコミュニケーションを担当しました.
そして付随的に,世界幹細胞ハブ構築TFTの一員として参与致しました.


一部伝えられている国内メディア関連についての役割に於いては,
2005年5月ロンドンでScience論文発表後,関心が臨床適用に傾いてから,
医師である共同研究者として放送-新聞担当者らの質問に答えるようになったのが始まりです.
人によっては国外メディアも私が担当しているものとお思いかも知れませんが,これはロンドン発表当時に限ります.
世界幹細胞ハブが開所してより後は,世界幹細胞ハブの企画協力チームが公式的な対内外メディアを担当(ママ)するということで方向が定まりました.


2005年Science論文での役割


私は2005年度Science論文に於いては,
幹細胞移植後に発生し得る拒否反応をどうやって検証するかを確認する為の組織的合成
(訳註:おそらく「組織適合性」を記者が誤って分かち書きしたもの.以下同様)
検証の部分のみを担当しました.
大変紛らわしい事実ですが,
私が遂行した2005年度Science論文に掲載された組織的合成検査の開始と結果提出は,
問題の2005年度論文が既にScienceに提出された後でした.


12月初 ピッツバーグ訪問の動機


前から予定されていた11月20日から11月29日の訪米日程を終えて帰国後,11月30日に,
ある方から黄教授に次のような内容が伝えられました.
即ち,PD手帳が一週間後に放映されるが,この放送内容のうち最も重要な部分は金研究員の陳述だというものです.
当時重要だと思ったのは,写真を幾つにも増幅(訳註:水増しの婉曲表現)した事実があったのか,
MBCチームが強圧的にインタビューを行って事実が歪曲されたのか,
そして本当に幹細胞を作ったのかという内容でした.


従って,金研究員に直接会って確実な内容を緊急に確認すべきだと判断し,
黄禹錫教授に直接行って内容を確認するよう提案しました.
私は前からパキスタン講演出席の計画があり,米国に行くわけに行きませんでした.
ですが,黄教授は避身中だったため(訳註:黄が当時山寺に籠もって外部との連絡を絶っていたことを指す),
研究チームの死活の掛かった事であるから私に行ってくれと(訳註:黄が安に)懇請しました.


御存知のように,世界幹細胞ハブ設立の目的は,患者合わせ型幹細胞を製作・継代培養して,患者治療に応用することです.
この設立目的を達する上では,金ソンジョン・朴チョンヒョク研究員の参与が極めて緊要でした.
万一事実と異なる内容が放映されたなら,世界幹細胞ハブにとって致命的だと思われました.
これにより私は先の2つの意味ある目的を考え,不本意ながら行くことに同意しました.


私がピッツバーグを訪問することに同意した後,黄教授は
第三者である記者と尹賢洙(ゆん・ひょんす)教授が同行した方が客観的な真相確認という点でも宜しかろうと提案し,
一緒にいた別の教授がYTN記者と尹教授にも連絡をしました.
私以外にも2人が同行することになったのを知って,
尹賢洙教授が行くなら私が行く理由は無いと判断し,改めてパキスタン講演に行かなくてはならないと黄教授に話しましたが,
黄教授は今回だけは私に行ってもらいたいと重ねて懇請したため,行くことになりました.


研究員帰国引っ越し費用と治療費用ならびに尹賢洙教授の出張費用の手渡し


純粋な意図を持ってした事であるにも拘わらず,金銭的な問題が論乱の核心となっているので,
お話したくはありませんがこれに関連した内容を明らかにしようと思います.
何故,どのような過程を経て 研究員の帰国引っ越し費用と治療費用および尹賢洙教授の出張費用を手渡したのかについての
内容については(重複ママ),
既に調査委員会で陳述を行い,陳述書も提出しました.
私は2004年1月から現在まで幹細胞関連共同研究に加わっていた間,
黄禹錫教授やソウル大獣医大(訳註:獣医学部に相当)の研究チームから ただの一度も研究費や諮問料を受け取ったことはありません.


しかし,計2回に亙ってピッツバーグの研究員らに次の金額を手渡すことになりました.
1回目は2005年11月27日,黄禹錫教授からピッツバーグのシャッテン研究室にいる韓国人研究者らが使えるように
朴チョンヒョク博士に000を手渡すよう要請を受けました(訳註:金額部分,ゼロゼロゼロとなっているが,伏せ字か.以下同様).
この目的は,金ソンジョン研究員の入院費およびこれによって発生する私の費用を充当するものだと(訳註:黄が,だろう)言いました.
2回目は12月3日,金ソンジョン研究員のお父上に000,朴チョンヒョク博士に000,それから尹賢洙教授に000を手渡したものです.
出国前日の夜,黄禹錫教授は私に,
ピッツバーグの研究員たちの治療と帰国引っ越し費用,および尹賢洙教授の出張費を含む旅行経費に使う000を渡すと言いました.
私も海外で研究員として生活していた経験がありますので,
帰国引っ越し費用を支援することは彼らにとって助けになるだろうと考えました.


その翌日の出国当日,黄教授の研究チームの事務担当者から000を受け取りました.
担当者は000を私に寄越しましたが,
1人限度額(訳註:国外に持ち出せる現金の,だろう)を超えるというので,
事務担当者が000ずつに分けて,同行していた尹賢洙教授,YTN記者,および私に分けて(重複ママ)くれました.
各経費は全てのインタビューが終了した後に,多くの人のいる前で金ソンジョン研究員のお父上と朴チョンヒョク研究員に000ずつ,
黄教授の言葉を伝えた上で手渡しました.
その後,尹賢洙教授に出張費の名目で,1日の出張費を000と計算して000を渡しました.
残った経費は帰国後に黄教授に返納しようとしましたが,
当時苦しい情況に処していた黄教授が面倒がらずに持っていろと言うので(訳註:意味不明),
病院の研究室の金庫に入れておき,そのまま調査委員会に提出しました.


万一,私が尹賢洙教授が既に同一の名目で金ソンジョン研究員の父親に000を手渡していた事実を知っていたなら,
他の名分は無かったのですから000を追加で手渡したりはしなかったでしょう.
しかし私は,治療及び帰国引っ越し費用として金ソンジョン研究員のお父上に000を手渡す前には,
尹賢洙教授が既に000を手渡していた事実を 尹教授からも他のどの人からも聞いていませんでした.
ある方々は,まるで私が黄教授に代わって金ソンジョン研究員を懐柔しようとする意図があったかのように考えておいでです.
しかし私は,純粋に後輩たちの帰国を促す意図だと思っていましたから,
来年1月中旬帰国予定だった朴チョンヒョク博士にも同一の金額を同一の場所で手渡したのであり,
全てのインタビューが終了した後に手渡したのです.


ピッツバーグ訪問に関連して,メディアでは,私がYTN記者の航空券を買ったと報じました.
ですが私が目的目撃した事実は,出発当日(原文註:12月1日)の朝 仁川空港で黄教授の研究チームの事務担当者がYTN記者に直接手渡したのであり,
私のチケットも含め全ての旅行者のチケットも各自に分け与えたのです.


2005年度Science論文の真偽関連


幹細胞生成・培養は,私の専門分野ではありません.
私は既に作られて優秀論文に載った患者合わせ型幹細胞をどのように応用するかについての部分だけを担当して来ました.
研究チーム内での私の位置としては,幹細胞が作られたのか,作られたなら幾つあるのかを知ることは出来ませんでした.


ただ,11月19日に世界幹細胞ハブで別の会議をしている最中に,
世界幹細胞ハブの所長室に集まっていた4人の研究チーム教授らが私を呼んで,
MBC以外の別の機関に送った幹細胞5つの遺伝子検査で変な結果が出たらしいと語りました.
その当時は,私は幹細胞が別の細胞によって汚染されたとか(原文註:一般的に細胞汚染の頻度は30%に上ります),
或いは保管ミスで細胞が替わったものと考えていました.
所長室を出て,外にいた同僚教授に,細胞が別の細胞によって汚染されたらしいと話したのを憶えています.


それから翌日の11月20日から29日,さらに続いて12月1日から3日,海外出張に出ていたため,
その後の進行状況を知ることが出来ませんでした.
その後,12月6日にインターネットで写真が操作されたとする情報を,
12月7日にはDNA遺伝子検査結果に問題があるという飛報(訳註:「秘報」かも)を皮切りに,
科学的論文の操作が事実であることが明らかにされ始めました.
その後数回,論文にどのような具体的な問題があるのかを,この仕事を引き受け進行していた共同研究者らに尋ねましたが,
内容を把握することは出来ませんでした.
このような状況では,論文の真偽もまた不透明だと思われたので,
12月9日にソウル大学研究処長に大学レベルの調査が必要であることを説明し建議するに至りました.
そして,幹細胞が作られたのかという内容については,全ての我が国国民がそうであるように私も最後の希望を持ち,
今日の調査委員会の結果発表を心待ちにしていました.


卵子提供に関連した内容


この内容については,当時の研究チームの倫理諮問委員であるチョン・ギュウォン(原文註:漢陽大)がもっと正確な情報をお持ちです.
2005年8月以後,チョン・ギュウォン諮問教授の指針通りに同意書と説明書を準備しました.
卵子提供者の臨床部分は,黄教授の研究チームの一員として私が指針書に従って(訳註:卵子提供者に)一次説明を行い,
私が行えない場合には同僚の医師が代わってくれました.
続いて倫理部分を倫理担当教授が(訳註:卵子提供者に)インタビューした後,卵子提供に適合するケースかどうかを追加確認しました.
これら全ての内容は,漢陽大学IRBの検証を経て進められました.
その後,正式インタビューを経た提供者数名に,該当協力病院を訪問するよう勧めました.
実際に卵子を採取する病院では,施術同意書を受け取る為に二次臨床関連インタビューを実施したと聞いています.
2004年(ママ)1月頃のカビ汚染後,研究を再開するのに卵子が足りないので産婦人科チームを紹介して欲しいと黄禹錫教授が頼んで来ました.
当時,高校の同窓生で不妊施術クリニックを運営している産婦人科医を紹介しました.


世界幹細胞ハブ開所 および難病患者について


2編のScience論文が発表されて以後,個人的には他の仕事が多かったので身を退きたかったのですが,
病院執行部を含め多数の教授陣が世界幹細胞ハブ誘致を希望なさいました.
ソウル大病院内に世界幹細胞ハブ設立が確定した6月20日以後 現在まで,
私の役割は公式的には研究開発部の活性化であり,必要に応じTFチームにハブ運営についてのアイデア提案や
関連資料を蒐集・提供しました.


私は,幹細胞の臨床応用についてお話しする機会があるたびに,
霊長類実験を含む研究が先行しなければ安全に難病患者治療に使えないという立場を繰り返し強調して来ました.
そして現在も私は,
全ての新しい細胞や臓器治療技術技術が施行される前に安全性や効用性の検証が医科学的に確保されなくてはならないという考えに変わりはありません.
にも拘わらず,患者治療が速やかに行われるかのような希望を(訳註:患者や一般大衆が)お持ちになるに至ったことについて,
たとえ私自身の故意ではないにせよ,ハブの研究開発担当者として深くお詫び申し上げます.


科学的事実を偽って発表するというのは決してあってはならない事です.
このような絶対原則は,応用科学にも臨床研究にも適用されねばなりません.
臨床研究もまた科学の真実という土台の上に成り立たなくてはならないからです.
にも拘らず,2005年度Science論文の真偽は勿論,操作が明らかになった今,共同研究者として惨憺たる,申し訳ない思いを禁じえません.
難病患者ならびにご家族を含む大多数の人々と同様に,私もまた最近まで私もまた(重複ママ)幹細胞はあると信じておりましたし,
これを世界幹細胞ハブを通じて患者に適用することが 私の為すべき事だと信じて働いて来ました.
しかし,もはやこのような確信を持つことが出来なくなりました.
何よりも,これまで研究チームを信じて多大な声援と期待をお持ちだった(ママ)難病患者の方々やご家族に
心からお詫び申し上げます.


そろそろ一年が終わろうとしています.
2005年5月に始まった患者合わせ型幹細胞という虚像が私にもたらした物は何だったのかを振り返ってみます.
難病患者に夢の聖杯を授けるものと信じて来た この技術には,
科学的操作と,互いに対する憎しみと恨み,不信,医療の生命の商業化といった堪え難い暗闇が濃く横たわっています.


しかし,今回の経験で学んだ事があります.
真実も重要ですが,それ以上に重要なのは生命だという事実,そして希望と愛とを併せ持った時 真実は一層輝くのだという事実です.
私の真実は,先輩・後輩・同僚医師らと共に誠意を尽くして患者を面倒をみることです.
私にこうした機会が新年に与えられるなら,今後は金寿煥枢機卿が再び涙をお流しになることの無いようにして差し上げたいと思います.



最後のくだり,えらく芝居がかっていますが,要するに引責辞職は考えていないと言っているに過ぎません.


研究チーム内でのポジションについて


御多聞に洩れず,この安も2005年Science論文については
「移植分野への応用についての諮問にしか関わっていない」と,
自分がES細胞の真偽について責任を負うべき立場にないことをしつこいほど強調しています.


そもそも論文の核心部分について何ら把握していないような共同研究者などというものがいること自体がどうかしています.
こんなのは名前を載せたかったら謝辞(Acknowledgement)にでも載せれば済むのに.
こういうのを25人も並べて論文を書く習慣って,日本でも分野によってはよくあるらしいけれど,恥ずかしくないのかな.
あぁまた脱線しそうだ(笑).


それはともかく,肝心のES細胞製造プロセスについては門外漢だと自称する臨床医療屋が研究チームの謂わば広報担当のような仕事をして来たことは,
黄の研究チームの持って生まれた性格を推し量る上で重要です.
はっきり言ってしまえば,
黄のインチキES細胞研究を「難病治療の可能性を開く夢の技術」として売り込む上で,
是非ともこういう臨床屋をチーム内に置いておく必要があった
ということです.
「難病患者に糠喜びをさせてしまったことは不本意」なる趣旨の発言が上にも見られますが,「何を今更」の一言に尽きます.


もう一つには,獣医学出身──というより単なる家畜の繁殖屋でしかないと見たほうがよいだろう──の黄が
医療分野でのし上がって行く為には,
医学部関係者との共同研究の形をとる必要があったという動機もあったのでしょうが.



2005年Scienceインチキ論文の件


「自分はES細胞があったのかどうかは専門外なので分からない」という安の釈明の一番苦しい点が此処にあります.


上の陳述の「11月19日会議」発言にもあるように,
ES細胞の真偽についてのPD手帳側との攻防は何もここ数週間の事ではありません.
以前ご紹介したPD手帳側の取材日誌によれば,
黄とPD手帳側との接触の中で論文の審議真偽問題が最初に提起されたのは じつに10/31の事だった由.
なのに,彼らはその時すぐにソウル大レベルでの調査を依頼しなかったばかりか,
自らPD手帳側との間で交わした契約書を反故にしてまで「2次検証」を拒み続けて来たわけです.



ピッツバーグ行きについて


この点については,安に同行したYTN記者とインタビューを行った折の様子に関する
金ソンジョンの証言
──例の「PD手帳取材時には脅迫されていたのでどうかしていたニダ」発言は実は黄が金に言わせたものだった,というアレ──
を以前ご紹介していますので,そちらを併せてお読みいただくと分かり易いでしょう.
当時から私は


同氏はピッツバーグ市内の或るホテルでインタビューが行われたと語ったが,
YTNの記者がインタビューを直接撮影したのかどうかについては「明かすわけに行かない」と述べた.

の箇所が気になっており,「どうやらインタビューは1対1で行われたのではなく 傍に安や尹賢洙がいて金を見張っていたようだ」と思っていたのですが,
あの時点で金が隠そうとしていたのは その事ではなく寧ろカネの受け取りの件のほうだったのかも知れません.
それはともかく──.


安はピッツバーグ行きの目的を,写真水増しやMBC「脅迫取材」についての単なる「事実確認」だと言いたいようですが,
単なる「事実確認」にYTNの記者を同行させる必要が何故あるのか.
そのことをおかしいと思ったらしい供述が全く無いことを見ても,この言い分は額面通りには受け取れない.


現在までに出ている報道では,金本人に渡されたという3万ドル(当初はこれだけしか報じられなかった)の他に
金の父親と朴チョンヒョクに渡った分がもう2万ドルばかりあるらしい.
これが「帰国引っ越し費用」やら「入院治療費」に充てる金額として適切かどうか,
また そもそもそのカネが誰の権限により何の予算から割かれたのか,
など不明瞭な点は多々残っています.


さらには,何故尹の出張費を「黄教授チームの事務担当者」から直接本人に渡さずに安から渡す必要があるのか.
尹賢洙がソウル大ではなく漢陽大の教授であることを考慮したとしても合点が行きません.




※2006/01/05 誤字訂正
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by xrxkx | 2005-12-31 20:31 | ◆ 黄禹錫 / 卵子売買