「ほっ」と。キャンペーン
【東シナ海ガス田】各紙社説読み比べ

本当は東京大空襲の日に支那ネタなど書いている場合ではないのでしょうし、ガス田の話題なら既にあちこちのblogで扱っていますので屋上屋を架すのもどうかとは思いますが、昨夜書きかけで寝てしまったので勿体無いから上げてしまいます。


昨9日の時点で東シナ海ガス田についての各紙の社説が出揃ったので(但し朝日については本日10日付でもう一度ガス田の話題に触れていますが、これについては別エントリで扱います)、幾つかの論点について各紙社説の読み比べをしておきます。今回用いるのは以下の6本:



讀賣・産経・朝日が8日付で出ていることに一応注意しておくことにします。




支那「尖閣海域共同開発」逆提案への言及の仕方


まず、今回支那が尖閣周辺海域まで含めた共同開発を逆提案して来たわけですが、そのことに言及していないのは朝日と讀賣だけ。両紙から尖閣に関係ありそうな箇所を抜粋すると、


中国は新たな提案を示したが、その内容は明らかにされていない。日本案とはかなりの開きがあったとされる。(讀賣)


どの海域を共同開発の対象にするか、基本的なところで対立がある問題だ。合意点を見つけるのは簡単ではない。ねばり強く交渉を続けてもらいたい。(朝日)

と、せいぜいこの辺り。両紙とも8日付と毎日・日経・東京新聞より1日早いせいかとも考えてみたのですが、それにしては同じ8日付の産経に

中国は日中中間線付近で一方的に開発を進める「白樺」(中国名・春暁)ガス田などについて、共同開発の対象としない方針を堅持し、一方で、尖閣諸島などを共同開発の対象とするよう求めた。妥協の余地はない。

とはっきり言及がある。特に朝日の場合、「どの海域を共同開発の対象にするか、基本的なところで対立がある」という表現からして尖閣の件を掴んでいながら意図的に伏せたものと見たほうがよさそう。どうせ1日経てば他紙が報じるのだから余計な小細工はしなければいいのにとも思いますが、それをせずにはいられないのは つい先日の幼児殺害事件の折に犯人の気違い支那女を通名で報じたあの体質の然らしめる所でしょうK.Y.。しかも本日10日付の社説でわざわざこの問題を改めて取り上げ「びっくり」して見せる芸の細かさ。




支那が協議に臨む姿勢への言及の仕方


当然ながら、一紙を除いてあとは皆支那の対応の不真面目さを非難する論調。あの東京新聞までが今回に限って讀賣や産経以上に気合を入れているのが寧ろ微笑ましいほど。



だが、今回の協議でも中国は開発中止要求を拒否した。前回協議の後、ガス田とガス田をつなぐパイプラインの敷設を完了させるなど、着々と開発を進めている。宥和(ゆうわ)的な姿勢だけでは、事態の打開は期待できない。 / 主権と権益を守る日本の意志を明確に示すことが、国際ルールに反した行動を中国に自制させることにつながる。(讀賣)


中国は東シナ海を平和の海にしようとしているというより、係争の海にしようとしているのではないか。中間線付近の海域に軍艦が出動し、日本の防空識別圏には中国機が侵入して自衛隊の電子情報を収集している。「白樺」ガス田では試運転が始まり、月内にも生産を開始する予定だ。(産経)


わざわざ領土問題をからませてきた中国の対応は問題をこじらせるだけだ。日本は中国提案に乗る必要はない。 / 中国があえて領土問題をからめてきたのには、問題を複雑化させることによって時間を稼ぎ、ガス田開発の既成事実化を図ろうとする意図を感じる。中国が開発未着手の海域についての共同開発を新たに提案しながら、開発に着手済みの「春暁」や「天外天」については日本の共同開発要求を拒否したことがそれを表している。(毎日)


中国の対応に誠意が感じられないのは残念だ。中国案は「日本が受け入れられないのを承知で出してきた時間稼ぎの提案」(外務省幹部)とみられても仕方がない。(日経)


尖閣諸島では領有権棚上げを言いながら、一方的に自国領にし、ガス田は対話解決と言いながら、開発の既成事実を積み上げていく。これでは中国は本気で話し合い解決を考えているのか疑わしい。結局は時間稼ぎかと批判されても仕方がない。(東京新聞)


さてその問題の一紙だけが



昨年10月、小泉首相が5回目の靖国神社参拝をしたことで中断されていた協議だ。冷え込んでいた日中の政治関係が徐々にではあるけれど、再び動き始めた。 / この対話再開の機運を大事にしてもらいたい。(朝日)

と評価しています。朝日にとっての「対話再開の気運」なるものが如何なる性質のものであるかは一目瞭然でしょう。しかも此処でもお得意の「日『中』関係の冷え込みは靖国参拝のせい」論が出て来ますが、数えてみますと朝日だけがさして長くもない社説中に靖國を3度も登場させているという、もはや健気と言ってやりたいほどの中南海への忠誠ぶり。他に靖國に言及しているのは讀賣の


今回の協議も、本来なら昨年10月に開くはずだった。中国は、小泉首相の靖国神社参拝というまったく別の問題を持ち出し、協議をここまでずれ込ませた。

があるだけ。その他4紙の社説には靖國のヤの字も出て来ません。当たり前でしょう。




二階経産相の人物評


朝日だけがこうも事態を肯定的に評価している理由はと云えば、読者も既にお察しの通り、



…抜き差しならない空気が和らいできた背景には、日中双方の変化があった。一つは、昨秋の第3次小泉内閣で、ガス田問題を担当する経産相が、強硬派の中川昭一氏から中国とつながりの深い二階俊博氏に交代したことだ。


中国側も全面的な関係冷却は避けるため、対話再開へ動きだした。温家宝首相は先月、訪中した二階経産相と会い、関係改善の意向を伝えた。温首相が日本の閣僚と会うのは久しぶりのことで、中国側の対応の変化をうかがわせた。

とまぁ要は中共のおぼえの甚だめでたい二階さんの起用を手放しで歓迎する論調。こうまでお約束通りだと産経あたりはさぞかし仕事がし易かったことでしょう。「中国の分断策を警戒せよ」と題した産経社説などは謂わば朝日社説を読む前に朝日への反論を書いておいた形。




心配な点は、最近の二階俊博経済産業相の言動である。今年一月、地元和歌山県での意見交換会で、「国内には試掘をやったらいいと、元気のよい発言をする人もいるが、私はその道は取らない」と明確に試掘を否定した。


また、二階氏は二月に訪中して温家宝首相と会談した。同時期に訪中した中川秀直自民党政調会長とは対照的な歓待を受けた。温首相は二階氏との会談で、ガス田開発問題について「係争を棚上げし、平和の海として協力していく」と述べた。二階氏は「日中両国の経済協力に明るい見通しが立ったら、日本に来てもらいたい」と訪日を要請したといわれる。(産経)




二階氏はこの問題を所管する大臣として、国益を重視し、日本の立場を強く主張すべきだ。「試掘」は元気のいい人が言っているのでなく、主権国家として当然の権利である。中国に誤ったメッセージを与えてはならない。 / 中国の胡錦濤国家主席は、日本国際貿易促進協会会長の橋本龍太郎元首相ら日中友好団体の代表らと会談する方向で日程を調整している。親中派の取り込みを狙う中国の分断工作には、重ねて警戒が必要だ。(同じく産経)

産経のは明らかに初めから狙ってやっているのでしょうけれども、他にも



二階経済産業相は「試掘の道は取らない」と言う。二階経産相はかつて、中国の江沢民・前国家主席の講話を刻んだ石碑を地元に建てようとした親中派だ。二階経産相の就任を中国が好感し、日本に歩み寄る可能性もある、と期待する向きも国内にはあった。


だが、今回の協議でも中国は開発中止要求を拒否した。前回協議の後、ガス田とガス田をつなぐパイプラインの敷設を完了させるなど、着々と開発を進めている。宥和(ゆうわ)的な姿勢だけでは、事態の打開は期待できない。(讀賣)



と、二階さんの経産相としての資質そのものを問題視する立場では讀賣が産経と同様。日経はそこまで行かないまでも、



経済産業相が親中派の二階俊博氏に交代したことなどから、一部に協議進展への期待感も出ていた。しかし中国側の対応はこれを裏切るものだった。(日経)

と、結果としては二階さんの起用が失敗に終わったことは認める形。「一部に期待感」の「一部」って誰だ、くらいのツッコミは入れてやりたくなりますが。


面白いのは東京新聞で、



先月、訪中した二階俊博経済産業相に温家宝首相は、ガス田問題では「『平和の海』として係争を棚上げし、協力する」と述べた。李外相も「対話を通じて争いを解決することを希望する」と言った。


その言やよし。問題は行動だ。



この直後に上述の「尖閣諸島では領有権棚上げを言いながら、…」が続くのですが、基本的に二階さんの起用そのものを問題視はしていない立場。





協議継続の意義についての言及、「共同開発」への評価



中国が開発を中止せず、共同開発のめども立たないのなら、日本も、試掘に向けた環境を整えるしかない。協議の継続が開発の既成事実化につながってはならない。 / 日中両国は、対話による解決を図ることで一致した。だが、協議を重ねるだけで前進を図れるかどうか疑問である。(讀賣)


二階氏はこの問題を所管する大臣として、国益を重視し、日本の立場を強く主張すべきだ。 / 中国に誤ったメッセージを与えてはならない。(産経)


もともと東シナ海ガス田の「共同開発」案なるものは支那が強引に採掘に踏み切った既成事実をなし崩し的に追認する形で生まれた代物なのですが、今やその「共同開発」案が日本政府内でもすっかり既定路線となってしまった感があります。最も強硬に「日本の立場の主張」を求める讀賣・産経あたりですら今では「共同開発」そのものへの異議は唱えていないのが情けない。もともと今回の協議で尖閣諸島の領有権問題を敢えて持ち出して来たのは支那の側です。讀賣・産経あたりは本来なら「共同開発」案など一回白紙の状態に戻してEEZ境界線確定から腰を据えてやれ(当然「係争中の海域」での一方的採掘などは国際法上も論外)とか、或いは天外天などのデータ開示を改めて支那サイドに強く迫れとかいった方向に行くべきでしょうに、それが言えないのは結局はアメリカがうんと言わないということでしょうか。ここをちゃんとしておかないと、ロイヤル・ダッチ・シェルとユノカルに手を引かせた一昨年の状態以前まで逆戻りしかねないのですが。



そんな中で今回いやに目を引いたのが毎日なのですが、



日本側も冷静に考えてみる必要がある。エネルギー確保の国家戦略から採算を度外視した開発を進める中国と共同開発を行うことが本当に日本の利益になるのかということだ。共同開発によって東シナ海が本当に「平和の海」になるのなら必ずしも否定するものではないが、埋蔵量やコスト面で採算が合うのかどうか。慎重に対応すべき問題である。(毎日)

意外な所から「共同開発案見直し」の声が出て来ましたが、毎日は基本的には



日中両政府は1カ月以内にも次回協議を開く方向で調整しているという。双方ともあまり熱くならず、じっくりと話し合ったらいい。(毎日)

と、「いつまでもダラダラと支那の時間稼ぎに付き合い続ける愚」についてはノータッチの筈。後述のように試掘にも言及していませんし。




政府は8日、提案を拒否することを確認した。日本は今後も粘り強く協議を続けるべきだが、中国が一方的に「白樺」の開発を強行する事態も想定して、日本側海域での試掘も視野に入れた対策を練るべきだ。 / 日中間で不測の事態が起きないよう、ガス田問題の話し合い解決に向けて協議の密度を上げるべきことは言うまでもない。(日経)

日経の場合は寧ろ協議を試掘とワンセットで考える論調のようです。試掘を進める際の支那との調整にウェイトを置いた書き方。…で、




今回の協議の唯一の合意は次回協議の早期開催だった。話し合い解決の道は残されている。中国の自制を促し、平和解決したい。東シナ海を「中国平和の海」ではなく、「日中平和の海」にすべきだ。(東京新聞)

今回えらく勇ましい語調で支那の態度を非難して見せた東京新聞ですが、おしまいまで読んでみれば結局「共同開発」に向けての協議を求めているだけというオチ。



この問題に打開策が見いだされれば、その効用は日中関係にとどまらない大きな意味を持つ。東南アジア諸国を巻き込んでエネルギーの地域協力を進める土台になりうるし、東アジア共同体の足がかりにもなる。(朝日)

例によって一紙だけ「大中華共栄圏」構想を垂れ流していますね。東京新聞でも此処までは書かない。




日本側の試掘の必要性についての言及



中国が開発を中止せず、共同開発のめども立たないのなら、日本も、試掘に向けた環境を整えるしかない。協議の継続が開発の既成事実化につながってはならない。 /  中国の姿勢に開発の既成事実化を図る意図がうかがえる。日本も、当然の主権の行使として、日本側海域で試掘に向けた準備を粛々と進めるべきだ。(讀賣)


二階氏はこの問題を所管する大臣として、国益を重視し、日本の立場を強く主張すべきだ。「試掘」は元気のいい人が言っているのでなく、主権国家として当然の権利である。中国に誤ったメッセージを与えてはならない。 / 中国の既成事実化を許さないためには、日本も海上保安庁や防衛庁などが協力し、万全の体制で試掘が行えるよう準備を急ぐべきである。(産経)


中国の既成事実化を防ぐためにも試掘に向けた準備を進め、国際司法裁判所に持ち込むことも考慮しておくべきだろう。(東京新聞)

と、讀賣・産経はもちろん東京新聞までが、どこまで本気で掘れと言いたいのかというニュアンスの違いこそあれ試掘の「準備」を主張しています。それに対し、



日本は今後も粘り強く協議を続けるべきだが、中国が一方的に「白樺」の開発を強行する事態も想定して、日本側海域での試掘も視野に入れた対策を練るべきだ。 / 白樺については、海底でガス田が中間線の日本側につながっていないかを調べるための試掘を具体的に検討する必要がある。(日経)

と、日経はあくまで「検討」どまり。朝日・毎日に至っては「試掘」なる語がそもそも登場しません。



Tags:



[PR]
# by xrxkx | 2006-03-10 12:46
Google先生が島根頁の説明をこっそり直した件

かれこれ一週間も放っておいてしまったネタですが一応ご報告。島根県サイトの竹島英文頁をGoogleで検索した時に出て来る説明が韓国寄りのヘンな文章になっている件、Googleに抗議メールを出したら返事が来たという話を以前書きました。Google先生曰く「アレは私が書いてるんじゃアリマセーン」ということ(頁説明に使う文章はdmoz.orgなど島根頁へのリンク元の文章内容から自動で拾っているもので、内容が不適切だと思うならそういうリンク元に抗議してくれ、と)だったのでした。


ところが実際には上の返事が来てから暫く後にGoogle先生が件のヘンな頁説明をこっそり直していたのを見つけました。現時点で頁説明に何と書いてあるかというと、



Takeshima homepage - [ Translate this page ]


-Takeshima is Japanese Territory-. JAPANESE KOREAN. photo of Takeshima. About Takeshima ? Establishing Territorial rights as soon as possible ...


www.pref.shimane.jp/section/takesima/eng/top.html - 3k - Cached - Similar pages - Remove result



太字部、以前は "Page maintained by ... Dokdo islets." という文だったのが挿し替わっています。単なる目次やら他頁へのリンクやらを拾ってしまっていてブサイク(その辺、サイト管理者も少しは気を遣って作ってくれよ)ですが、ウリナラ目線の説明文を勝手に付けられるよりはマシかな。


面白いのは、dmoz.orgのほうは相変わらずそのヘンな文がそのまま使われている点(それどころか、dmozは私が以前出した抗議メールに未だに目を通してすらいない)。dmoz.org由来のあのヘンな文を類似のディレクトリ検索サービスがみんなで使い回している状況は以前と何ら変わり無し。ということは、Google先生が以前言っていた「Google検索の頁説明は自動で生成していて、中の人がそれを手で書き換えたりはしていません」というのは真っ赤な嘘だったことになります。


まぁGoogleのほうは結果オーライで済ませるにしても、dmoz.orgがさっぱり抗議に対応しようとしていない点については改めて抗議し直さないといけません。あのコンタクトフォームから送ったのでは読もうともしないということなら、直接dmozの中の人のところにねじ込む経路を見つけないといけないな…。



ついでで申し訳ありませんが


例の島根頁に "dokdo" でリンクを張る作戦のほうは 第1回・竹島の日終了後も協力して下さる方が増え続けているようで有り難い限りです。(当blogに言及なさっているサイトをTechnoratiで探したり、"dokdo" を含む日本語頁をGoogleで探したりしてみますと そういったサイトが日々新たにヒットするのですが、なにぶん御連絡頂けていない方が多く私も全部を把握し切れていません。ともあれこの場を借りて御礼申し上げます。)お蔭様で現在ではgoogle.comとgoogle.co.jpとの両方で確実に3位以内にはランクイン出来ているようです。今後とも宜しくお願い申し上げます。



tags:






[PR]
# by xrxkx | 2006-03-10 10:47
【鳥取人権条例】オンライン署名運動をやってるそうだよ

今朝見た記事からもう一本。以前から鳥取人権条例廃止運動をやっておいでの方々が、オンラインでも署名を集め始めた由。こういうのがネット上で力を持って来るのは本当に嬉しい。





署名の送り方など詳細は上記リンク先をご覧戴くとして、SEOの意味で当blogからも件の署名を募っているサイトにリンクを張っておきます。「鳥取のココロと未来 - 鳥取人権条例反対インターネット署名」。ここです。03/19〆切だそうですのでお早めに。



先頃「無期限凍結」で一応の決着を見たかに見えた鳥取人権条例が 何故こういつまでも息絶えないのかについては、同じくメタモさんの所の03/03付「鳥取人権条例凍結回避に向け動き出した解放同盟」に詳述されていますので、是非とも上の「署名にご協力お願いします」と併せて御一読戴ければと思います。日本国民でもない、日本国民たろうともしない在日らが人権委に名を連ね、地方行政に嘴を挿もうとしている構図がありありと見て取れる点は、かの三重県の例と全く同様でしょう。解同を筆頭とする差別利権屋集団からすれば自らの《被差別ステータス》を高める上で在日はお誂え向きのアクセサリーであり、逆に民団・総聯から見れば自らの政治的要求を通すうえで参政権を持つ「同和」団体の力が不可欠。日本という国の根幹を蝕むこれら2種類の勢力が、自分たちだけの間に謂わば絶妙の「多民族・多文化共生型社会」を作り上げているのはまことに興味深い現象ではあります。



以下 脱線。


むろん上述のような動きが解同や民団・総聯の間だけのママゴトに収まるならば特に怖れるに足りないのですが、問題は上述のメタモさんの所の「署名お願い」エントリに指摘されているように



…また、数もさることながら、彼らが署名を集めに回れば、「人権条例成立のために署名しない人間は差別者」という解放同盟の暗黙のプレッシャーが地元の人達を襲うことは容易に想像できます。

という点。人権ファシスト連の全ての奇術のタネが此の一点に凝縮されていると言ってよいでしょう。ややもすると「差別反対」が錦の御旗たり得る風潮はこの国に於いて決して過去のものとなったわけではありません。こうした風潮を根絶できるか否かは、結局のところ私たち日本国民ひとりひとりがいわれ無き「差別主義者」のレッテル貼りに胸を張って応戦し得るか否かに掛かっているのであり、その為には戦後数十年に亙って日本を覆い尽くして来た階級闘争史観(=渡部昇一らの謂う所の「一揆史観」)への仮借の無い批判が必要なのでしょう。


むろん日本のみならずアメリカあたりでもracistの烙印を押されることは政治的な死を意味しますが、ああした国に於いて白人が今なお人種差別の問題を腫れ物扱いしているのは実際に奴隷制という大航海時代以来の歴史の恥部が今も社会の底流で脈々と生き続けているが故です。それとは対照的に、解同や在日の謂う所の「階級差別」「民族差別」などは寧ろ彼ら自身の演出によって存在し続けています。彼らの全ての利権の源泉として、です。


両者のそうした違いを意図的に伏せたまま「閉鎖的で排外的な日本社会」を国外にまで印象づけようと狂奔しているのが、他ならぬ昨年夏以来ちょこちょこと顔を出している国連人権委員会のディエン報告であり「また大西か」であると言ってよいでしょう。曾て階級政党としての左翼(特に石橋正嗣~土井たか子時代の社会党)がその退潮に伴い「市民」運動としてのサヨクへと再編されて行く過程で、それと呼応して珊瑚朝日新聞をはじめとするメディアが「慰安婦」や「強制連行」などの虚構を生み出し教科書問題をでっち上げ靖國参拝を国際問題化して行った経緯がありました。藤岡信勝ふうに言えば「未来を語る言葉を持たなくなった左翼が過去に活路を見出そうとする」構図。人権条例(ひいては人権擁護法案)推進派にとっての「策源地」には決まってそれら「暗黒の日本史」があります。事が鳥取一件一県の問題では片付かない所以です。


Tags:



[PR]
# by xrxkx | 2006-03-08 23:06
【民団】三重県・在日「人権」マンガをもう一押しで潰せそうな件

ここ数日来 私事でちとゴタゴタがあり、微妙に現実逃避モードの♪すいか泥棒でございますT-Tコンニチハ。書かないといけないことがあれこれ溜まってしまっているのですが、取り急ぎ今朝触れた報せから。当blogでも2月26日付で御紹介した三重県の「在日人権マンガ」の件ですが、その後 県側で少し動きがあったようです。



◆三重県が発行予定であった、在日韓国・朝鮮人問題をテーマとした人権啓発漫画「カヌンキル(僕の生きる道)」への抗議に対し、同書の出版に待ったがかかったようです。


これに対して、民団が抗議の要請を関係者に始めました。…



この一件、全国的にも結構な注目を浴び、抗議の声がそれなりに集まったということでしょう。「民団が抗議」というのは想定内。前回私も三重県への抗議メールを出した一人ですが、今度は「出版に待ったがかかった」のを評価し支持するメールを改めて出さないといけないな。お昼にでも書くことにします。皆様もぜひどうぞ。三重県への連絡先等は以前書いた通りですので御参照下さい。



余談というか言い訳。こういう「頭数」や「声の大きさ」で勝負するやり方というのは何やらサヨクめいていて私は本来あまり好きではないのですが、他でもない行政がそうした「声の大きさ」で転ぶ以上、こうしたやり方をあちらの世界の人々の専売特許にしてもおけないでしょう。




…それにしても最近「三重県」と聞くとこんなニュースばかりのような気がするのは気のせい? 先月末に日教組の教育研究全国集会などというのもあったようだし、3月に入ってからも「生きた在日史に驚き 三重県立高生が民団で人権学習 (民団新聞 03/01)」なんていうのがあったばかりだし。民団とツルんでいるらしい某同和団体のことに先日触れましたが、その団体のwebサイトによれば三重県にもこういう人権条例が既にあるのだそうです。



tags:



[PR]
# by xrxkx | 2006-03-08 09:54
【民団】続・自ら拒み続けた日本国籍取得を一転して「権利」と言い出す欺瞞。

昨日の三一節の盧武鉉演説は事のほか見所に乏しく、あれで記事1本書く値打ちは無いでしょうから簡単に済ませます。


もともと三一節というのは日本統治からの独立を求める運動(らしきもの)を記念していた筈ですが、昨今では逆に「韓国が未来永劫日本への依存から抜け切れないこと」を再確認する為にやっているのではないかとすら思えて来るほど、日本への注文ばかりが並ぶ演説が多いのは皮肉なことです。


昨年の三一節に盧武鉉が対日賠償請求──1965年の日韓基本条約締結時に「完全かつ最終的に決着」した筈の──に言及したのですが、今年の演説にあった「日本は既に謝罪した。我々は更なる謝罪を求めない。謝罪にふさわしい行動を求めるだけである」というのはその路線を踏襲するものでしょう。こうやって決着済みの事案を蒸し返し「たかれるだけたかる」ことを恥としない辺り、支那──特に江沢民以後の──の対日外交を多分に模倣したフシが見られます。


こういう所で日本が朝鮮や支那に無用の外交的「配慮」を見せることが如何に高く付くかという見本を私たちは目の当たりにしていることになります。そうした「配慮」は日本の対鮮・対支外交関係を好転させるどころか、逆に支那・朝鮮を慢心させ彼らの対日要求をエスカレートさせるばかりだということを、日本政府および国民はいい加減に悟らなくては困ります。今回の盧武鉉演説の文脈に於ける「謝罪にそぐわない行動」の筆頭が靖國参拝であることは言を待ちませんが、こういう所で日本側が断じて譲歩してはならない所以です。


特に朝鮮人の場合は支那人と異なり必ずしも利害得失の計算に基づいた外交をしません。支那人は自らが劣位と見れば正面からの勝負を避けるだけの智慧をまだしも備えていますが、朝鮮人にはそれが無く、只ひたすら自らの「自尊心」を満たそうとするだけです。劣勢と見れば自らの不明を棚に上げて他者への恨みばかりを募らせ、優勢と見れば打って変わって居丈高な態度に出るのが、長く「小中華」に身を置く中で染み付いた彼らの習性です。こうした人々との間に安定した外交関係を築き得る余地があるとするならば、それは彼らに我が方との力の差を存分に見せつけ彼らに敗北感を植え付けた後だけです。残念ながら当世の我が国の対鮮外交は悉くこの逆を行っています。




さて海の向こうの天下一大統領のことなど放っておいて(笑)、前回取り上げた民団新聞統一日報の「在日同胞のホットポテト 帰化-誰のための選択か」ですが、今回は同じシリーズの「中」に遡ってみようかと思います。この「中」では、帰化賛成論の立場から、


  • これまで頑なに帰化を拒み続けて来た民団の路線への批判

  • 帰化反対論に対する「代案」

  • 日本国籍取得によって得られる御利益


が述べられているのですが──。




帰化拒否は在日の対日コンプレックスによるもの


「中」では その冒頭で、在日社会に於ける「代表的な帰化賛成論者」に こう言わせています:



代表的な帰化賛成論者である韓昌祐マルハン会長は五年前の帰化当時の心情を「率直に言って貧しい家に生まれ、金持ちの養子に入っていくような妙な気持ちはどうすることもできなかった」と表現した(昨年12月の海外在住韓国人問題研究所フォーラムで)。




同じ人物が、末尾では更にこうも言っています:



韓会長は「在米同胞が米国国籍を得て2重国籍者になることには寛大なのに、どうして在日韓国人は日本国籍を取ると批判の対象になるのか見直す必要がある」とし、「在日韓国人は盲信的な愛国心や民族主義を捨てて、日本に対するコンプレックスも敢然とふるい落とさなければならない」と力説した。



在日社会で重きをなす人物のこうした発言が如実に示すように、在日の帰化拒否の原因は専ら在日自身の対日コンプレックス、もしくは上の韓某氏の言葉を借りれば「盲信的な愛国心や民族主義」にあります。「民族のアイデンティティ」へのこだわりは人一倍持ちながら、日本社会に於いてそれを前面に出すことに彼ら在日自身が引け目を感じていたということです。そうした引け目の多くが曾ての「母国」の経済的な貧しさに起因していたという。これまで折に触れ述べて来たように、もともと朝鮮人が他者との優劣や力関係を病的なまでに気にする民族であるが故でしょう。そうとでも考えなければ、



賛成論者の提示する代案は、日本国籍を取得する時は本名でしようという「本名帰化」だ。


本名使用は自らには「韓民族」であることをいつも自覚できるようにするだけでなく、日本人に堂々と「韓国系」であることをアピールすることができるというのだ。


彼らは今なら本名帰化が充分に説得力を持つことができると主張する。


母国である韓国が世界経済の10大国に入る国力を持ち、時代の流れも国籍・民族よりグローバル化を重視する方向に推移していて日本もこれを受け入れなければならないからだというのだ。



とあるように、「本名帰化」と「国力」とを結び付けて考えたがる理由が理解できません。朝鮮人が何かにつけて誇ってやまない(筈の)「民族のアイデンティティ」を、皮肉なことに彼ら在日自身が卑しい出自と捉えていたということです。そのためにこれまでは名前まで内地風に名乗り、「民族のアイデンティティ」を自ら隠して来たのだという。今なら「母国」が豊かになって来たのでそういうこともしなくて済むという。それが従来の帰化反対論への「代案」なのだという。


これは専ら彼ら在日自身の心の持ちようの問題であって、日本社会にその責任があるわけではありません。現にアメリカ・カナダ・オーストラリアなどに移民する韓国人は大概が洋式の名前を平気で名乗っていますね。朝鮮人ほど他者との優劣や力関係を気にする民族が、日本に於けるのと同様の「コンプレックス」を白人社会で感じずにいられるとは到底思えません。にも拘らず日本に帰化する韓国人だけが無闇やたらと「本名」に固執するのは、煎じ詰めれば「創氏改名は強制だった」などの誤った歴史教育から来る抵抗感によるものなのか、それとも「母国は日本には追いついたが西洋に較べたらまだまだ遅れているから西洋に対しては未だに引け目を感じ続けている」ということなのか。


いずれにせよ、その辺は本人たちが好きにすればよいことです。日本社会の側からすれば、本名帰化などは難読人名が増えるだけで、さしたる弊害もありません(むろん「結婚後の姓をどうするか」など戸籍上の技術的な問題はあるが、そんなのは昔半島でやっていたようにやれば済む)。但し、誤った歴史教育そのものの方はそうは行きませんが。




韓国系日本人は「日本国民」たり得るか


日本社会の側から見て、今後帰化を望む在日が増えることそのものに支障は無いと私が考える理由は以上の通りです。が、そうした帰化が増えることに何の懸念材料も無いかというと、残念ながら必ずしもそうとばかりは言い切れません。「中」では、上の韓某氏に続いて別の在日がこう言っています:



申副会長も「もう過去のセンチメンタリズムで国籍を強要する時代は終わったと思う」と述べ、「帰化者がずっと同胞社会との紐帯を維持して、この問題のために悩む多くの同胞たちにカウンセリングをして肯定的な帰化の方法を提示するのが望ましい」と語った。



「同胞社会との紐帯を維持」。こういうことをいつまでも言っているようでは、書類の上で「日本国民」になっても精神の上では相変わらず日本人にも韓国人にもなり切れないのは明白でしょう。


これが例えば《ある国から日本に来て「日本国籍を取りたいが取れずにいる」などの理由で現実に社会的不利益を蒙っている人々》の間になら、彼ら同士の間の互助組織みたいなものが出来上がって行くのは分からなくもない。しかし在日の場合はそうではありません。国籍取得については彼ら自ら拒んでいるだけの話ですから、本人さえその気になればいつでも「普通の日本人」になれる。彼らの言葉を借りれば「生活基盤」だって既に日本にちゃんとある。いつまでも「もと韓国人」同士でくっついていたがるのは、結局は彼ら在日が帰化後もなお「差別され疎外される」立場を自称することによる《逆差別のうまみ》から自立できないであろうと自ら宣言するに等しい。




国籍を実利で考える人々


次に彼ら在日が日本国籍取得に傾く積極的な動機について考えます。「中」には以下のようにあります:



申恵一在日韓国人本国投資協会副会長は本国での逆差別の例を提示して帰化賛成に重みを加える。


申副会長は「本国で活動する在日韓国人はむしろ『韓国国籍』を持っていて損になることが多かった」と告白。「住民登録がないという理由で選挙権がなかったし、子供を学校に行かせる時は教育庁に直接行って許可を受けなければならなかった」と例を挙げた。



だいたい「本国で活動する在日韓国人」などというものがいるのがおかしい(「本国で活動」できる者に何故日本が永住資格を与えなくてはならないのか、という話)のですが、極め付けは以下の箇所:



彼の言葉どおり日本国籍を取得した在日同胞が母国へ来れば政府から同胞資格証である「在外同胞居所証明書」とともに「外国人登録証」の発給まで受けることができて、状況によって有利な方を使うことができる。

要するに彼ら帰化賛成論者が帰化に賛成するのは「韓国で生活するのにも日本国籍があった方が寧ろ便利だから」。この文章の何処を読んでも、それ以上の帰化の動機は見出せません。


日本国籍を取得し日本国民になるということは、一朝事ある時は日本の為に朝鮮を敵として戦わなくてはならないということです。上のように生活上の御利益だけで国籍取得を論じる人々が、その覚悟をした上で日本国民たる道を選ぼうとしているとは思い難い。




日本国内に「帰化人党」が生まれる


日本社会にとってのより身近なリスクは、こうした人々が晴れて日本国籍を取得することにより、アウトサイダーとしての意識はそのままに日本国民としての権利を獲得し、謂わば彼らだけで国の中に国を作ってしまうことです。前回触れた白真勲の例のように、日本国籍を取った後も専ら在日の利益の為にのみ働こうとする者は後を絶ちません。彼らはそうした社会を「多民族・多文化共生社会」だと言いますが、私に言わせればそれは共生ではなく単なる寄生です。


このことに関連して、前回も参照した「コリアン・ザ・サード: 日本国籍取得権という罠」に以下のように述べられています:



確かにすべての在日が日本国籍を有した場合、それは民潭(ママ)や総連の存在意義が無くなるということでありますが、その存在が無くなるわけではないでしょう。韓国系反日日本人たちの溜まり場に変わるだけです。



「韓国系反日日本人たちの溜まり場に変わるだけ」ならば、まだしも日本社会に及ぼす悪影響は小さくて済むでしょう。私が危惧するのは、彼らが帰化後の元・在日たちをして「同胞社会との紐帯を維持」せしめ、それを元手に日本社会に於いて公然と政治的影響力を行使し始めることです。恰も公明党に於ける創価学会のように、です。


前回読んだ「下」にわざわざ「迷宮入りした帰化統計値」という一節が割かれていることは、こうした危惧を一層大きくします。



帰化者の子孫や家族など、血統上の韓民族がどの位になるのか、韓国系の日本人はどれくらいになるのかなどの数値は公開されていない

というくだりがありますが、これなどは「公開されていない」のではなく、もともとそんなものは国としても把握していないし把握のしようも無いのだと見るのが普通でしょう(戸籍謄本に「何某は何代前に韓国から帰化した者の子孫で、…」などと代々記載せよとでも言うのでしょうか)。こんな所で彼ら在日が「韓国系日本人の数」に拘る理由が何処にあるかは想像に難くありません。しかもそうした「帰化人党」が「同胞社会との紐帯」なる理屈の延長線上で外国──彼らにとっては帰化後も相変わらず「母国」であり続けるだろう──と連携し、自らの属する国家の利益よりも自らと民族を同じくする外国の利益を優先して日本の国政に関与しようとするとなれば尚更でしょう。そうでなくても創価学会や加藤紘一・河野洋平らの始末で日本は既に手一杯です。


こうした「帰化人党」の形成を日本社会は阻止しなくてはなりません。その為に最も有効なのは、所謂「民族教育」の容赦の無い撲滅でしょう。昨今、高校野球から大学受験資格まで様々な面で「民族学校」の類の「進出」が取り沙汰されていますが、こうした風潮が日本社会に害を為すのは寧ろ在日が晴れて「日本国民」としての肩書きを手に入れた後であることを肝に銘じておく必要があります。



tags:



[PR]
# by xrxkx | 2006-03-03 02:27