2007年 02月 17日 ( 1 )
「嫌韓というムーブメントは終焉する」・読後所感 2/2

「嫌韓」は収穫期を迎えている


承前。K3のエントリに戻る。これは新井さんの問題提起というより自問自答なのだろうけれども、


…結局、我々は選挙という手段によってしか事をなしえない。(中略)そのために一庶民がようやく手に入れた情報発信ツールで何をすればよいのか?淡々とその日思ったことを書き連ねる中で出る韓国や在日への不満。それをどうやって掬い上げ、集積させ、力とできるか?…

時代が一巡りしたということだろうか。初期の頃からのK3読者の方々のうち果たして何人がK3開設当時かかる問題提起のあろうことを予想し得たか。誰とは言わぬが厄介な男と厄介な時期に出会ってしまった(笑)ばかりに新井さんもとんだ重荷を背負い込んだものである。こればかりは何かの因果と思って諦めて戴くしかない。


閑話休題。一部メディアによって無理矢理仕立て上げられた「韓流」がそうである以上に、自生的に誕生した「嫌韓」もまた所詮は一過性のブームに過ぎない。ブームはいつか去る。それでよいと私は思う。去った後にそのブームが社会に如何なるコモンセンスを遺し得るかが重要である。


「韓流」が去り「嫌韓」が去るに伴い、それらと一定の距離を置いて来た人々まで含めて多くの大衆にとって韓国そのものは「嫌韓」以前とはまた違った意味に於いてではあれ「なるべくなら関わり合いになりたくない鬱陶しい存在」に戻って行くだろう。「まだ韓国なんか構っているのか。あんなのもう放っておけばいいのに」といった具合に。一見すれば「元の木阿弥」に見えるかも知れない。


が、「放っておく」わけに行かない部分は確実に残るだろう。竹島領有権問題然り、或いは靖國や慰安婦・教科書などまで含めた広い意味での歴史認識の問題にしても然り、更には日本の対北政策に対する韓国官民の敵対的行動然り、不法滞在韓国人による犯罪の問題然り、外国人参政権の問題然り、そして在日特権の問題もまた然り。その時、人々はもはやあの困った隣人たちを曾てのように腫れ物扱いはすまい。あらゆるまやかしは暴かれた。あとはそれをどれだけ多くの人々が知るかの問題に過ぎない。


これから暫くは「吐き出す時期」である。上は対日賠償請求の蒸し返しから下はパクリ商品の横行に至るまで、これまで蓄積された韓国に関する一切の事例を、単にネットの中だけに留めておかず紙媒体や電波などありとあらゆる手段を通じて可能な限り広範な大衆に浸透させることが肝要だ。近い将来、日本という国が上述のような諸問題にどう取り組んで行くべきかを改めて問われた際、それらの事例が人々の政治的行動を確実に一定の方向に押しやるだろう。そうなることを望まない勢力が「民族差別」だ「在日いじめ」だとお得意のレッテル貼りに血道をあげようにも、その「民族差別」なり「在日いじめ」なりの主と目されてきた人々は既にネットの海の底深くに帰って行った後である。あとに残されたマジョリティはあくまで目の前に突きつけられた事実のみを見て動く。



次に来るのは「嫌マス○ミ流」?


それはともかく、おそらく新井さんとしては輿論の「嫌韓」傾向が長い目で見て日本の政治に及ぼす効果のことはひとまず措いて、もう少し短期的なスパンで見て「嫌韓という資産」の運用を当面どうするかという問題を考えたかったのだろう。先ほどの問題提起の直後にこうある:


…それが実現した暁にはネットの意見を重要視する政治か(ママ)も出現するだろうから、今は過渡期なのかも知れない。 / だが、それまでに嫌韓という一種のムーブメントがどうなるか、という点に絞って考えると、…

同氏の見解では「嫌韓」は「サブカル的ポジション」に留まり「政治的行動に転嫁(ママ)することはないだろう」とのことだが、私は必ずしもそうは見ない。なるほど「サブカル的ポジション」といえば、前回のエントリの最後のほうで分類した(3)の人々などが現在既にそうで、その傾向の人々は(これまた誰とは言わぬが)今後ますます「ブラック小倉紀蔵」的な芸風(?)に磨きをかけて行くだろうけれども、「嫌韓」の政治的性格の部分はそれらサブカル的側面を離れ、場合によっては韓国そのものを殆どそっちのけにして一人歩きを始める可能性が高いと見る。


それ単独での存在意義の薄れた後の「嫌韓」が何処へ向かうか。私が思うに、おそらくはもっと大きな文脈の中での「メディアとの対峙」に回帰し収斂して行くだろう。それも意外に早い時期に。


周知のように、韓国ないし北まで含めての朝鮮一般を巡っては、メディアにとってこれまでタブーだった事項は殊の外多い。在日特権の問題にしても例外ではない。右を向けば解同との協調関係、ひいては人権擁護法案/条例との関わりがあり、片や左を向けば総聯の固定資産税減免問題や対北不正送金との関わりがあるといった具合に、その裾野は驚くほど広い。


これまた言い古された事だが、国内外からの如何なる圧力によるかを問わず、曾てメディアは自らに不都合な情報は国民大衆に「知らせない」ことができた。ネットの登場によってそれが不可能になった。曾て「国民の目」を自称し「権力を監視する」と嘯いたメディアが初めて自ら監視される側に回った。しかも彼らが忌み嫌って止まない権力によってではなく、彼らがそれと共にあると自称していた所の大衆によって、である。彼らは自らのコントロールの及ばない場所で輿論が生まれ一人歩きすることを極度に恐れている。昨今の「ネット右翼」叩きなどはその表れである。


余談だが、韓国のネットメディアはその言論の質に於いてお世辞にも褒められた代物ではないにも拘わらず、ただ保守三大紙など既存の「財閥系」メディアとの対決路線を貫いたことによってあれだけの隆盛を見た。オーマイニュースなどは良くも悪しくもその典型である。一方、同じオーマイでありながら、我が鳥越俊太郎のようなネットメディアの本分を見誤った輩が逆に既存メディアに歩調を合わせる形で2ch批判あるいは「匿名性」批判に血眼になっている姿は滑稽としか言いようが無い。彼らは日本に於ける所謂「市民参加型メディア」の可能性の芽を自ら徒に摘んだ。これら一連の出来事によって2chのような言論の最底辺は寧ろ自らの存在理由を再確認するだろう。それが日本にとって吉と出るか凶と出るかは私の知る所ではない。


話を戻すと、目下の一部既存メディアによる「ネット右翼」バッシングは今後ますます露骨さを増して行くだろう。それらメディアが上述の「匿名性」と並んで、或いはそれ以上に積極的に攻撃の矛先を向けるのが「ネットに蔓延するナショナリズム」とやらであることは明白である。それがますます「嫌韓」をメディアとの対決の方向に駆り立てるだろう。その都度双方によって肴にされる韓国こそいい面の皮ではあるが、元はといえば自業自得である。


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by xrxkx | 2007-02-17 00:57 | 雑記