♪すいか泥棒 日曜版
2007-03-26T22:09:18+09:00
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†(∂_∂ )β~☆ もうニュースヲチは飽きた
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東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて・補遺
http://subakdoduk.exblog.jp/5293649/
2007-03-26T22:09:18+09:00
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雑記
前回の「3極モデル」から支那をバッサリ省いてしまった理由の多くは、一言で言えば「支那を入れると途端に話がややこしくなるから」というだけのことである。左側のヤルタ会談当時の図もそうだし、右側の冷戦期の図のほうもそうだ。
ヤルタ会談に支那代表として出て来ていたのはもちろん蒋介石なのではあるが、蒋の重慶政府というのは当時支那に幾つもあった政権の一つに過ぎず、延安の毛沢東、南京の汪兆銘やらその他地方軍閥の類まで含めれば「政権」なんぞゴロゴロあったわけで、どれか一つでもって《「中華民国」なる国家》を代表させてしまうと大なり小なり無理がある。そもそもそれらを当時の東アジアの勢力の力関係の中での《極となるプレーヤー》の一人だったとまで見てしまうと買いかぶりすぎることになりそうだし、特に蒋介石の場合は単にのちに「支那代表」の座を毛沢東に掠め取られるだけでなく、支那を追われた後も台湾で中途半端に生き延びていたりするのでますます扱いに困る。
西欧の左翼というのは、スターリンが独ソ不可侵条約によってヒトラーと取り引きしたことでソ連に対する幻滅を味わっているせいもあって、戦前の時点で既に古色蒼然たるインターナショナル路線とは袂を分かっている。彼らの場合、その後はもっと社会民主主義っぽい方向に行ったり或いはグラムシみたいなのに飛びついたりしたわけだが、そういう意味での思想的な「ソ連離れ」が日本の左翼に於いては西欧に比べてずっと遅かった。彼らにとっての転機になったのは、フルシチョフによるスターリン批判だったり、東欧の民主化運動へのソ連の弾圧だったりした(註1)が、日本の左翼の場合そうやって「ソ連離れ」したあとに飛びついた先がそれまで以上にまずかった。
※註1:右側の図について私はこれまで大雑把に「冷戦期の」という言い方をして来たけれども、コミンテルン史観が戦後日本の左翼の間で支配的だった時代というのは、上述のような具合で本当は大東亜戦争後のかなり短い時期だけだということになる。
「ソ連型ではダメだ」となって以後の西欧の左翼が先進資本主義国らしい社会主義のあり方をもう一回ちゃんと考え直そうとする方向に行ったのに対して、日本の左翼の場合はどちらかというと逆にマルクス主義がもともと想定していた一直線的な社会発展モデル(最初に原始共産制があって、奴隷制やら封建制やらを経て最後に共産主義社会に到達するという例のやつ)から取りこぼされた部分をどうやって掬い上げるか、みたいな方向に一生懸命になりすぎてしまったきらいがある。そういうことになってしまう背景には、勿論日本自身の社会構造が西欧キリスト教圏のそれと違っているという問題が何より先にあった(例えば「明治維新はブルジョア革命と見做せるか」みたいな話を延々ああでもないこうでもないやった挙句に「天皇制ボナパルティズム」などという珍妙な造語が生まれたりするように)のだろうけれども、それとは別に、日本の周りに先進資本主義国が一つも無かった点を挙げないわけに行かないだろう。
日本で殊更「民族主義」などというと何やら街宣右翼めいて聞こえるが、左翼が民族主義と結び付く傾向自体は世界史的に見ても別に珍しい事ではない。もともと弱小民族による自決権闘争やら反植民地主義闘争というのは「帝国主義」の対外膨張政策を敵視しているという点に於いて左翼と親和性は高い。スターリンのもとでコミンテルンが階級的利益ではなく《ロシアという特定国家の利益》を守る目的の為に周辺の衛星国を将棋の駒のようにコキ使うだけの組織に堕落したことへの批判を経た後の左翼にとっては特にそうだ。
それでも、西欧というのはもともと自分たちだけで大きな一個の閉じた経済圏や文化圏を作っており、とりわけ第2次大戦後は旧植民地を(結果的には)どんどん切り捨てていく形になったので、左翼にしても基本的に自分たちの先進資本主義社会の中だけで話が完結するのだからある意味気楽なものである。翻って日本の場合となると、何しろ周りが後進国だらけなので国と国との関係は専ら「日本がひとりで周辺国を侵略し搾取している」ような──多分に史実に反する──絵になってしまいがちである。とりわけ大東亜戦争に敗れて以後の日本は曾ての欧米列強の分まで《汚れ役》を引き受けさせられてしまった。
もともと民族主義勢力であったものがやがてソ連型社会主義の一党独裁体制を便宜的・形式的に取り入れてゆく傾向は、20世紀の序盤から中盤の東アジアに於いて極めて顕著だった。その雛形となったのが支那である(そうした要素は既に孫文の時代の国民党にも濃厚にあった。それが所謂「農村型革命」として完成を見たのは毛沢東が共産党の主導権を握ってからであるが)。今でこそ「我が国の特色ある社会主義」だ「ウリ式社会主義」だなどと後進国がマルクス主義の真似事を始めると碌な事にならないのは誰しも知る所だが、左翼の忌み嫌ってやまない所のファシズムといい勝負の野蛮で非人間的なこうした政治体制に対して日本の左翼が無節操なまでに寛容であったことは、先ほど述べたような日本の道徳的な「負い目」と無縁ではないだろう。勿論、「負い目」といっても左翼の立場から見ればそれはあくまで民衆から切り離され遊離した《日本という国家》の「負い目」であって、それを論い糾弾することに彼らが一種のカタルシスを覚えるらしいことは、所謂「自虐」史観が本当は自虐でも何でもないというのと同じことであるが。
こうした理由で、「ソ連型ではダメだ」となった後の日本の左翼陣営の一角にとって、支那がまことに有難い思想上の拠り所だった時代があった(註2)。彼らの眼にはあの「文化大革命」までが民衆による下からの改革に映ったらしい。「文革」を手放しで賛美していた「進歩的知識人」などは掃いて捨てるほどいる。学校教育の現場も例外ではなかった。70年代くらいまでは歴史教科書にも「文革」礼賛の言説が幾らも見られたものである。今では彼らは一様に頬かむりを決め込んでいる。例の「従軍慰安婦」が教科書に登場する頃までには、「文革」のくだりは教科書からすっかり消えてしまったそうだ。
※註2:ついでにいうと、支那に於いて四人組が打倒され「文革」が一転して否定された後も長い間《ボロが出なかった》のが北朝鮮である。ちょうど西欧の左翼がユーゴスラビアのチトーをもてはやしたのと同じような調子で、日本ではホー・チミンや金日成が礼賛された。左翼が「民衆史観」に傾けば傾くほど、弱小国のカリスマ的独裁者が株を上げた。同じ独裁者でも反共の朴正熙などは散々だったが。
左翼の話が長くなりすぎた。戦後日本の親米「保守」陣営から見た支那の位置付けについても触れておかなくてはならない。
東欧の多くの国々とは異なり支那はソ連の衛星国とはならなかった。共産党内で頭角を現した後の毛沢東が主導権を握るに当たって「モスクワ派」の徹底的な粛清を行ったのは有名である。殊にソ連でのスターリン批判このかた支那はソ連とはまことに仲が悪く、イデオロギー上の路線対立のみならず実際に国境紛争まで起こすほどの軍事的緊張関係にあった。支那を「共産陣営」としてソ連と一括りにしてしまうのは無理である。支那は寧ろ米ソのイデオロギー対立の埒外にあった。
冷戦期に於ける支那は左翼にとってばかり便利な存在だったわけではなかった。支那の外交の巧みさは、「共産陣営の盟主」だったソ連と敵対関係にある自らの立場を逆に利用して、本来自国にとって敵である「米帝」に自らを高く売り込むのに成功した点である。その絵を描いたのがキッシンジャーと周恩来だった。対外的には非同盟主義を売り物に全方位外交を行い、国内的には徹底的な一国社会主義を実践し、核保有、蒋介石の「中華民国」から椅子を乗っ取る形での国連加盟・安保理常任理事国入りを果たした支那は、米支修交──日本にとっては寝耳に水の──によって米ソ両国と並ぶ国際政治の極としての地位を不動のものにした。日本の大衆がパンダちゃんに熱を上げていた頃には日支両国の力関係は既に逆転していた。
支那の発言力は改革開放路線による経済発展とソ連の崩壊を経た今日にあってますます鞏固である。日本の相対的没落はパンダちゃんのせいではなく、日米「同盟」だけを頼みにして来た日本の「保守」派の政治的怠慢にこそ責任がある。なるほど大東亜戦争後の占領統治によって日本人を物理的にも精神的にも武装解除したのはアメリカだし、朝鮮がキナ臭くなるや一転して日本に再軍備を命じ、しまいには「安保タダ乗り論」やら日米「同盟」の「双務性」やらを次々と言い出したのもまたアメリカではある。しかしそのことはアメリカ様の言い分に唯々諾々と従って来た日本の「保守」政治の責任を些かも減じない。なるほど日本は再軍備こそしたが、遠くイラクやゴラン高原まで兵を送らされながら拉致被害者救出すら行う力を持たない。全てはアメリカ様の御意向次第である。
なるほど国家の主権保全の根幹を他国に頼りひたすら経済建設に勤しむことができなかったら戦後日本の経済的再興が少なからず遅れたであろうことは一面では事実だろう。しかし現在の繁栄が今後も続く保証など何処にも無い。アメリカ様にくっついていればこの世は安泰という以上の立国理念を持たない「保守」こと親米派と、ただ念仏のように反戦平和・護憲を唱える左翼およびサヨクとは、このようなまことに危なっかしい繁栄にしがみ付いているという点に於いて同じ過ちを犯している。自主国防が無ければ自主外交もあり得ない。自前の軍事力に裏打ちされない「平和」外交から抜け出さぬ限り日本は永久に「世界の財布」に甘んじなくてはならない。
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東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて
http://subakdoduk.exblog.jp/5257740/
2007-03-19T22:26:00+09:00
2007-03-20T01:20:08+09:00
2007-03-19T22:26:04+09:00
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雑記
この場合、登場人物として最低限必要なのは日米ソの三国だけである。支那も朝鮮も、その他の「アジアの民衆」もここには出て来ない。特に支那が出て来ないのは大雑把過ぎるように見えるかも知れないが、このことについて触れだすと長くなりすぎるから、いずれ別エントリで詳しく触れることにして、ここでは戦前と戦後を通しての《日本の立ち位置》の大枠を示すにとどめる。
さて、この三者の関係だが、赤く塗ったのがヤルタ会談当時の「聯合国」であり、青く塗ったのが冷戦期から今日に至るまでの所謂日米「同盟」である。当然ながらアメリカはその両方に属している。何だかこうして見ると日本とソ連とでアメリカを奪い合っているように見える。
コミンテルン史観
図(1)に於ける切り分け方を冷戦当時の左翼の眼で見るとどう見えるかを示したのが図(2)である。はじめに一つ注意しておくと、ここで謂う所の「左翼」からは、戦後の所謂新左翼や社会民主主義者、ユーロコミュニストなどは一応除外して戴きたい。彼らの立ち位置はまた違う。歴史的に左翼陣営というのは当世の日本の若い世代が一般に想像するような一枚岩ではなかった。無論、当世の日本のサヨクに至っては論外である。
白および灰色に塗った部分がそれぞれ「正」および「邪」とされることを表す。コミンテルン史観で言えばソ連は当然ながら戦前・戦後とも「正」である。この見方で行くと日本は戦前の「軍国主義」の時代も冷戦期の「米帝の走狗」の時代も一貫して「邪」ということになる。
さて戦前と戦後で色が違うのがアメリカである。ヤルタ会談当時のアメリカは「反軍国主義・反ファシスト」陣営の一員なので「正」である。一方で、冷戦期のアメリカは「帝国主義」陣営の一員(いや親玉か)なので「邪」である。日本の敗戦後、徳田球一だか宮本顕治だかがアメリカの占領軍を「解放軍」と呼んで万歳を叫んだそうだが、その彼らが同じアメリカの「帝国主義」を非難するのは、アメリカのその時々の立場をコミンテルン的立場からどう評価するかという《クレムリンの御都合》を反映しているに過ぎない。無論、実際にアメリカの対アジア政策が戦前と戦後とで本質的に何か変わったかといえばそんなことは全然無い。
GHQ史観
同じ図(1)が人によってはこう見える、というのが図(3)である。三国の切り分け方は(2)と同じ。右半分の色の塗り方が図(2)と逆になっているだけである。ここではアメリカが一貫して白すなわち「正」になる。
この見方に立つ人々は、日本国内で「保守」派を自称する人々の中にも存外多い。戦前の日本は「軍国主義」だから「邪」、戦後の日本はアメリカと「自由と民主主義という価値観を共有」する「同盟国」なので「正」というわけだ。靖國問題を巡って、自称「保守」派の中からすら「A級戦犯」分祀論がしばしば出て来る所以である。
まとめ
図(2)および(3)の左側こそが、即ち世間でしばしば「東京裁判史観」と呼ばれるものである。一目で分かるように、この図の最も胡散臭い点は左側のソ連が白く塗られている点である。即ちあのスターリンを「民主主義」陣営の一員に加えている点である。
何せコミンテルン史観のほうはもともと共産党独裁の確信犯の立場から出て来るものだったわけだから、スターリンを「白」とすることの非を論ってみても無意味だろう。問題は「保守」派を自称する人々の中にも「東京裁判史観」を前提に日米関係を論じたがる者がゴマンといるという点である。
彼らの歴史観の中には「日本」が無い。少なくとも東アジアに於ける国際政治の極としての日本が無い。あるのは「アメリカにくっついている日本」と「そうでない日本」だけである。戦前の日本はアメリカ様に歯向かったから敗れた。戦後の日本はアメリカ様の「自由と民主主義」の信奉者であり続ける限り安泰である。それだけのことである。これの一体何処が「保守」なのか。
これも以前何度か触れたが、2005年のブッシュ演説に於ける「3つの誤り」批判──3つとも要は「独裁者との妥協」の誤りであるが──の3つのうちにヤルタ会談が含まれていたことの重大さは、まさにこの文脈で考えなくてはならない。スターリンのソ連を「白く塗った」ことがスターリン主義という怪物を肥え太らせ、結果としてあの東西冷戦をもたらしたという事実を、冷戦の生みの親の一人であるアメリカを代表して同国大統領自ら指摘したことの意義は大きい。日本はこうした動きにもっと敏感であるべきだった。戦後60年という節目の年に相応しい歴史観の転換を、日本人が自ら先頭に立ってやってのけるべきだった。当時の小泉総理にはその意志も才覚も無かった。
丸い地球を平らな紙の上に描こうとすると必ず何処かにその皺寄せを生じるのと同じように、現実には極めて多極的である筈の国際政治──上で見たような単純なモデルですら、東アジアだけで最低三極は必要──を強引に二極でとらえようとすると必ず何処かにほころびを生じる。上述の「白いスターリン」が象徴するのはまさにそうしたほころびである。これまで幾たびとなく触れた所の、第2次世界大戦を「民主主義のファシズムに対する戦い」と位置づける虚構は、まさにこのほころびを覆い隠すことによって、ソ連崩壊後十数年を経た現在もなお生き続けている。此処でいよいよ支那について触れなくてはならなくなる。(つづく)
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天木直人「慰安婦問題を騒ぎ立てても日本は勝利しない」読後所感
http://subakdoduk.exblog.jp/5242149/
2007-03-15T23:46:46+09:00
2007-03-15T23:46:46+09:00
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雑記
自ら官を辞し外交の現場を離れて久しい天木氏のことである。多少ヤキが回るのは致し方ない。が、上の文章から垣間見られる氏の人間像は、彼の思想信条への賛否以前に、人として憐れである。一つの憎悪で心が満たされると、人間というのはかくも堕ちるものか。
冒頭からして「慰安婦問題について私はこのブログで論ずるつもりはない。不毛な論争に時間を使いたくないからだ」である。おそらくこの問題の生い立ちのいかがわしさについては氏もよく分かっているのだろう。それは彼にとって「不毛な論争」に見えるらしい。さすがに「従軍慰安婦」だ「性奴隷」だといった《為にする造語》をこれ見よがしに用いてみせるのを避けるだけの節度と良心を氏が備えているらしいことは一つの救いではあるが。
周知の通り、天木氏は駐レバノン大使時代にアメリカによる対イラク戦に日本が加担することに断乎として異を唱え、遂には官を辞するに至った人物である。氏が当世の日本政府の対米盲従ぶりを批判するなら、即ち《アメリカ様の鶴の一声》に頭の上がらぬ日本であってはならぬと考えるなら、なおのこと彼は「グリーンなどという男が何を言おうが構わず、日本は自ら正義と信ずる所を堂々と貫くべきである。相手がアメリカであれ何処であれ不当な非難や要求に屈してはならない」と声を大にして主張すべきではないか。本来そういう人物なら、慰安婦問題という日本の国家および国民の名誉に関わる一大案件を「不毛な論争」の一言で放り捨てるような無責任な真似はできない筈である。氏は曾ての自らの進退を賭けた戦いの経歴に自ら泥を塗っている。
2004年秋の園遊会の折だったか、国歌・国旗の問題で「強制でないことが望ましい」なるご発言を今上帝がなさったというニュースが流れるや、ある特殊な政治的傾向を持った人々の多くが、都教委憎しの一念のあまり、本来忌み嫌って止まない筈の天皇のお言葉を錦の御旗の如くまつり上げ、鬼の首でも取ったように都教委をこき下ろしていた姿の浅ましさを思い起こされたい。今上帝のサイパン御幸の折も然り、かの「富田メモ」の折もまた然りだった。現在の天木氏の姿は彼らと瓜二つである。「日本の為政者たちが最大の味方であるとあがめ奉る『米国要人』」が「日本を擁護できない」と言っているぞ、ザマアミロ、という屈折した痛快の念以上の果たして何物を上の文章から読み取れるか。
日本の政治の中枢には「保守派」を自称するただの親米派があまりに多い。「保守」論壇に於いてもまた然り。誰とは言わぬが遊就館の展示物の「反米的記述」を改めさせたと自画自賛に明け暮れる輩などはその最たるものだろう。
何度でも言う。今回のアメリカの日本に対する振る舞いは日本の「同盟国」としてではなく戦勝国としての、或いは占領国としてのそれである。上の天木氏の文章が掲載されたのと同じ03/09付でシーファー駐日米大使が「河野官房長官談話から後退すれば破壊的な影響を与える」などと穏やかならぬ物言いで慰安婦問題に言及し、日本への内政干渉まがいの決議案を批判するどころか逆に自らも進んで内政干渉まがいの発言を重ねている事実に鑑みても明らかなように、今回の慰安婦決議案騒動は、単に支那・朝鮮移民のロビー活動にハイジャックされた一部の州に於ける議員らの利害の問題などに矮小化してとらえてよい問題では決してない。
もともと日本という国が真の意味での独立を回復するには、大東亜戦争を巡る歴史観の面に於いて占領国たるアメリカとの間で遅かれ早かれ決着をつけねばならなかったのである。そのチャンスは過去に幾らでもあった。その都度日本は決断を先送りして来た。今度という今度はそうは行くまい。濡れ衣を着せられた先人らの無念を雪ぎその名誉を取り戻す為に国を挙げて戦うか、無実の罪を甘んじて受け、ワシントン幕府の忠実なる御家人たり続けるか、途は二つに一つである。日本は東京裁判をもう一度やるくらいの覚悟で今回の騒動に臨まねばならぬ。ホンダ某らの動きの背景に支那およびそのオマケによる反日策動があろうが無かろうが、そんなものは今やついでの事である。
翻って我が天木氏の自らの祖国に対する観察眼は、それらから何からひっくるめ十把一絡げに「慰安婦問題で威勢のいい事を言っている右翼の連中」に見えるまでに曇ってしまったらしい。上のようなやり方では、上述のような親米派の対米盲従に対する氏の批判の質が問われることになるばかりである。
慰安婦問題で威勢のいい事を言っている右翼の連中は日本の国益を良く考えたほうがいい。日本の国内で、慰安婦問題に理解を示す政治家や識者を威勢良く罵倒する事は勝手である。しかし米国へ行って、米語で、奴らに同じ事を言ってみるがいい。勇ましい事を言ってみたらいい。勝ち目のない戦を米国に挑んだ日本は、その結果どうなったか。愚かな経験は一度だけでよい。慰安婦問題に限っては、私はマイケル・グリーンに賛同する。
「勝ち目の無い戦い」を挑むといわれて思い出すのが、2005年のあの馬鹿げた郵政解散/総選挙の折のことである。あのとき、小泉前総理と同じ選挙区から無所属で出馬し、徒手空拳で一騎討ちを挑んで敗れたもと外務官僚がいた。多くの場合──具体的には「日本はアメリカによる対イラク戦に加担すべきでなかった」という一点を除いては──そのもと外務官僚の政治的立場は私とはほぼ正反対であったし、そもそもそれ以前に郵政民営化やさらには国政全般に対する特筆に足る定見を彼が持っているようには私には思えなかったが、それでも私は彼の自らの所信に対する《筋の通し方》までを一笑に付す気にはなれなかった。寧ろそういう愚直さを私は愛する。彼が今何処で何をしているかはともあれ、彼が今も自ら信じる正義に殉じるだけの覚悟を持った《愚かな硬骨漢》であり続けていてくれることを願ってやまない。
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「マイク・ヒュンダイ」って2chか何処かで流行ってるの?
http://subakdoduk.exblog.jp/5202712/
2007-03-06T07:27:03+09:00
2007-03-06T07:27:03+09:00
2007-03-06T07:27:03+09:00
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時事ネタ一般
前回私は米下院議員らに意見を出すよりも先ずは日本政府に河野談話を公式撤回させる方策を考えた方が「健全だと思う」と書いたのでしたが、ではどうするのがよいかとなると、正直なところ私自身よい思案があるわけでもありませんでした。
他人様のやり方を批判する以上は相応の代案を出さねばフェアでありませんし、第一、再三に亙って述べて来たように事は我が日本の名誉に関わる問題です。かかる事態を目の当たりにして傍観者的・お茶の間時事評論家的態度を決め込むような真似だけはしたくない。何を為すべきか。此処数日来そのことをぼんやり考えていたのですが、96年に国連人権委に出された「クマラスワミ報告」の主であるクマラスワミ女史を何とかして公開討論なり何なりに引っ張り出す算段が無いか、と思い始めているところ。
ところで、先日の竹島の日に前後して日本のネット上でも俄かに知名度の上がった Occidentalism というblogで最近慰安婦問題に関するエントリが続々上がっています。米メディアが安倍発言を誇張して報じた件についても> PM Abe misquoted in English" href="http://www.occidentalism.org/?p=526">ちゃんと日本語報道の原文に当たって内容を確認しています。さらに> Comfort woman gives contradictory testimony" href="http://www.occidentalism.org/?p=531">元慰安婦の証言がそのたびごとに食い違っている件についてもかの李容洙の例を挙げて紹介していました。こんなのが非日本人のblogで流れるのは初めてかも。
上の安倍発言曲解報道の件は「またオオニシか」な部分の他にたしかAPでも流れていたから、或いはMari Yamaguchiも一枚噛んでいるかも。この人は昨年の北朝鮮のミサイル発射の折にも「日本が先制攻撃を検討」式のトバシ報道をバラ撒いた前歴があるし。
御存知のように日本発の英文報道というのは国内メディアか外信かを問わず総じてかなりバイアスが掛かっています(面白いことに慰安婦関連報道に関する英文記事では朝日より毎日のほうがひどかったりする。あとJapan Timesとかもかなりアレだ)から、外国人のblogというのは往々にして朝鮮人の主張を鵜呑みにしていたりするわけで、上の Occidentalism のように日本語の原文まで──読者の助けを借りてであるにせよ──ちゃんとチェックした上で記事にしているケースはまだまだ稀です。こういうのが日本人でも韓国人でもない第三者の立場で英文でWebに流され始めていることの意義は非常に大きいといえます。私も> The background of the comfort women issue: I. Chronicle" href="http://sdi-en.blogspot.com/2007/03/background-of-comfort-women-issue-i.html">長いことサボっていた英語版のほうにもそろそろ火を入れないとな。コツコツ続けてナンボだ、こういうのは。
> Rep. Mike Honda rebuts Prime Minister Abe… Kind of" href="http://www.occidentalism.org/?p=533">例の安倍発言曲解報道にさっそくマイク・ホンダが食いついた件なども紹介されていましたが、コメント欄を見ていましたらどちらかというとホンダのお朝鮮人脈に関する話で盛り上がっている方も若干名。以前も書いたようにその辺はホンダの主張の是非とは直接関係ないことですから私は殆ど興味ないのですが、中には面白いコメントもありました。これ、既に流行ってるのかしら。
GarlicBreath said:
Mike Honda is a toady for the koreans in his disrict. He needs to change his name to Mike Hyundai. Let me be the first to predict that he will be a van fleet award winner.
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竹島の日関連韓国報道・所感
http://subakdoduk.exblog.jp/5185670/
2007-03-02T00:20:00+09:00
2007-03-02T03:38:29+09:00
2007-03-02T03:38:29+09:00
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時事ネタ一般
まず、先日「つつがなく日程を終えたようで」などと書きましたが御存知のようにメインの行事は殆どが2/22当日を避け週末にシフトしていたのでした。これは賢明な選択だったと思います。週末の方が人を呼びやすいという現実的動機もさることながら、「形だけやってればいいや」というおざなりな態度で竹島の日行事開催に臨んでいないという、韓国側への無言の意志表示になります。実際これが今回思いのほか効いたようです(後述)。
それからカッターナイフおじさんこと崔在翼は正しくは《もと》ソウル市議のようです。2/20付の聯合ニュースによると「1999年12月に家族3代皆で本籍を慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里に移し、独島守護全国連帯代表議長に就任 / 2004年2月には独島に戸籍を置く20歳以上の成人らの投票により独島里の名誉里長に選ばれた」とありますが、職業については「自ら『無保守(?)独島管理人』と名乗る」とあるのみでソウル市議の職歴については触れられていません。
さて以前も何度か書いたように、昨年の第1回・竹島の日を迎えるに当たっては、韓国メディアの大多数は「タケシマの日といってもありていに言えば一部の右翼が騒いでいるだけ」といった印象操作を必死でやっていたのでした。ところが、今年は韓国メディアの論調が一転し、「日本の独島侵奪野欲」に対する国民の危機感に訴えるような報じ方がいやに目につきました。先ほどの日程シフトの件などもそれで、韓国メディアによる報道のほぼ全てが殊更その点をみょうに強調して紹介しています。
「我が外交通商部は日本・島根県の『独島の日』行事に関連して『独島の日条例をただちに撤廃し、独島に対する不当な領有権主張をやめる』よう求めた」との報道もありました(単に談話を発表しただけなのか、島根県なり外務省なりに書面もしくは口頭で抗議したのかは不明)。何度も言うように韓国側は「独島の紛争地域化」を避けたいのですから、本来なら「日本政府でなく島根県という一地方が勝手にやっているだけ」のイベントなど知らぬ顔を決め込むに限るのですが、にも拘わらずこうやって余計な真似をしてしまうのは、おそらくは「それだと輿論が納得しない」という事情ゆえに仕方なくやっているのであって、今後も韓国政府からは通り一遍の抗議以上の妨害は無いでしょう。
さて、上述の「危機感に訴える報じ方」、典型的だったやつを1本ざっと見てみると、
2月22日、日本の島根県が制定した「タケシマの日」(訳註:タケシマと片假名標記した箇所は原文でも日本式に綴られていることを示す。以下同様)が2周年を迎えた。島根県は「独島領有権を確保しなくてはならない」という一方的な主張の載った広告パンフレットを国連機関に配布するのはもちろん、さらには大規模集会および記念式典まで準備中だ。
(中略)
島根県は、県庁近くにある県立博物館に独島関連古文書および地図を展示した所謂「タケシマ資料室」を来月からオープンすることにしている。
(中略)
一方、島根県のホームページでは、独島領有権を既成事実化しようとする韓国の動きに抗議する傍ら、国際司法裁判所に於いて解決すべく外交活動を展開すべきだと主張している。併せて、この為には国民輿論の醸成が是非とも必要だとして、大々的な宣伝に乗り出している状況。同時に「独島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土」だとする主張を載せた冊子(訳註:昨年の「フォトしまね」竹島特集号のことか)を住民らに配ったのに続いて、今年は「タケシマ、返れ島と海」というパンフレットを英語と韓国語版で作り、各1000部ずつ国連関係機関に配布する戦略を立てている。
国連機関にパンフレットを配布、というのはいいですね。こういうことを地道にやった方が良い。特に国際司法裁判所の件は世界的に広めないと。出来ることなら国連関係機関だけといわずに「独島ライダー」の行く先々で配ったりしても面白い(笑)。ただ、韓国語版は1000枚も要らないと思うぞ。まぁこの辺の数字のいい加減なのはウリナラ報道の常ですし、ましてやこの記事は「民衆の声」などという三流左派系ネットメディアですので細かい事言っても仕方ありませんが。
「タケシマの日」に前後した島根県と右翼陣営の動きはただごとではない。本来、島根県は22日「タケシマの日」を迎え記念行事を行う予定だったが、より多くの住民の参加の為に土曜日の24日に行事を企画したと伝えられている。
(中略)
右翼らの動きも慌ただしい。さる17日、「県土・タケシマを守る会」が街頭活動を行い、「タケシマは日本領」だと叫んで島根県の「タケシマの日」を広報している。この行事で、鳥取県と島根県の県会議員は「守ろうタケシマ、わが領土」と書かれた垂れ幕を掲げ、「2月22日は島根県条例・タケシマの日です」「国は国際司法裁判所に提訴を」などと書かれたビラ1000枚を配布した。22日と23日にも地域別に市内で車輌による宣伝で××(訳註:意味不明。誤打か)になっている状況だ。さらに、来る8月25日、日本の中国地域の民間団体連帯機構「連合中国ブロック」が連合島根・島根県・隠岐島町などとともに官民の活動で独島返還を求める大規模集会を島根県隠岐島町で開催しようとしていると伝えられ波紋が広がっている。
「守る会」については拙blogにも以前からバナーを貼っておりますので読者も御存知のことと思います。金大中政権の頃以来、韓国メディアはこういうのを必死に「右翼」扱いしたがる傾向があるのですが、その「右翼」と韓国人活動家とでどちらがマトモに見えるかは後述します。
それにしても県会議員らが街頭に立ったらしいというのは心強い。それくらいやってくれないと「国は何をやっている」と言ってみても迫力がありませんし。
島根県側は、「タケシマの日」を制定した2005年度から、関連予算額を毎年1400万~1800万円と策定するなど大々的な広報作戦を繰り広げて来た。(中略)昨年7月、島根県民1000人を対象に独島問題についてのアンケート調査を行った結果、県民の約70%以上が「独島問題に関心がある」と答えたことが分かった。このため島根県側では、「現在の関心の高まりは予想していた以上」だとして、広報作戦に極めて好感触を得ている模様だ。
日本のメディアらも、こうした島根県の「努力」が他の自治体にも少なからぬ影響を及ぼしていると報じている。実際、約40あまりの団体からなる「タケシマ・北方領土返還要求運動県民会議」と島根県議会が共同で提出した「タケシマ領土権確立を求める請願書」は、昨年6月初めて衆参両院本会議で採択されている。
今のところ「タケシマの日」の波紋は島根県内にとどまっている形だ。事実、島根県が一部漁民や右翼団体とともに独島領有権を主張し宣伝を行ってはいるが、一般市民はさほど関心を示していないためだ。しかし、世界を相手に「独島は日本領」を叫ぶ日本の作業が広がりを見せることが予想される中、今後日本国民の全般的認識が変化する素地は大いにある。(後略)
年間予算が1400万~1800万あれば結構な事ができそうです。これくらいの予算の枠内で最も費用対効果が高いのはおそらく新聞広告だと思うのですがどうでしょう。県民の意識啓発というとつい地元ローカル紙に眼が行きがちですが、思い切ってWPとかNYTみたいな英字紙にドーンと出してしまうのも面白い。そういうのがニュース沙汰になればいずれ日本の全国紙も記事にするでしょうから元は取れます。国連向けパンフという企画を思いつくほどの着想力がおありなのですから是非ともご検討いただきたいものです。
ところで先にも触れたカッターナイフおじさんのこと。先ほどの聯合ニュースには
同氏は「強硬一辺倒では良い事など無いと分かった。独島についてあまり思い入れの無い日本国民向けには穏健な広報戦を、国民を欺き問題を作っている政治家向けには強力な糾弾作戦を用いたい」と、硬軟両面戦術を駆使する計画であることを明かした。
とあったのですが、さてその顛末や如何に、というわけでKBSの「朝のニュースタイム」なる番組で2/26に流れたらしい現場リポートがなかなか面白かったので、こちらは久々に全訳しておきます。面白かったというのは、上述のように韓国メディアによる報道の多くが今年は国民の危機感を喚起する論調に転じていたのに対して、KBSは去年とそっくりの「盛り上がっているのは一部右翼団体だけ」という論調に徹しており、それが却って異色に見えたからでもあります。テキトーに茶々を入れながら見て行くと──
[アンカー]さる24日 土曜日は、我が独島を自分たちの土地だと言い張って日本の島根県が制定したタケシマの日でした。現地では我がデモ隊の反対にも拘らず今年も2回目の行事が強行されました。
しかし、彼らの無茶苦茶な主張を(訳註:一般大衆が、か)知っているのでしょうか。現地住民たちすら無関心、そっけない反応を示しました。現場へ李ギョンジン記者と行ってみましょう(訳註:現地レポート収録は24日、放送は26日なので、行事を生中継しているわけではない)…。島根県もこうした反応は予測していたのではないですか? 週末に行事を延期までしたそうですが。
[リポート]ええ。島根県では、当初2月22日だった行事日程を、もっとたくさんの人々の参加を誘導する為に週末の24日に延ばして行うことにしたんですね。
島根県では独島関連冊子をこうして(訳註:おそらくTV映像では実物を指し示している)韓国語と英語で製作し、日本の領土であるという歴史的認識を植えつけることに力を注いでいました。
しかし、それにも拘わらず行事現場は比較的落ち着いた様子でした。「タケシマの日」現場をこれからご一緒に見てみましょう。さる金曜日、仁川空港。独島名誉里長・崔在翼氏ら、所謂「独島4人組」(訳註:原文では「独島四人幇」)は、出国を控え決議文を叫びます。
[インタビュー]崔在翼(独島名誉里長):「独島の日記念行事に当たり、まことに怒りと悲痛の念を禁じ得ない。日本政府は独島強奪の陰謀をただちにやめよ!日本政府は独島の日をただちに廃棄せよ!」
これ、インタビューじゃないし。「決議文を叫ぶ」って何(笑)。早い話が《日の丸を食べない活貧団》といった風情。穏健路線とやら、早くも先が思いやられます。それから竹島の日は日本政府ではなく島根県がやってるのになぁ、とかいう細かい事は例によってケンチャナヨ。
しかし、日本到着から早くも困難に直面しました。
日本に到着すると、訪問団は2時間ほど入国が遅れました。
[インタビュー]崔在翼(独島名誉里長):「日本の空港側で我々の正当な旅行を妨害し2時間の遅れを出したという点で相当に残念に思います。複雑な思いを禁じ得ません」
「正当な旅行」だそうですが、2年前に県議会に乱入して刃物振り回したキチガイが相手ではそりゃ空港側だって警戒もするだろうよ普通。というか仁川空港こそよくまぁこんなのに「決議文を叫」ばせておいたなぁ。
崔氏らの日本抗議訪問は今回が初めてではなくてですね、さる2005年、崔氏一行は割腹など過激な闘争により現地警察に連行されたこともあります。
しかし今年は、訪問団もイベント会場も雰囲気が当時とは大きく変わりました。独島の日記念式典とあわせ、フォーラム形式で行われたこの日の行事は、500名余りが参加しましたが、比較的落ち着いて進行されました。
さる2005年当時、装甲車(訳註:街宣車の誤りか?)や街頭行進(訳註:などが見られたこと)に比べると、市内のどこにも独島の日だということを実感できる雰囲気は見られませんでした。現地住民たちの反応も、大部分はそっけないものでした。
[インタビュー]島根県の市民:「(タケシマについて)聞いたことはありますがよく分かりません。本当に分かりません」
島根県の小学生:「よく分かりません。(学校で独島について習ったことはありますか?)習ったことはありません」
何処かの国ではこういうイベントがあるたびに日の丸焼いたり自分を焼いたりするのが慣習なのかも知れませんが、日本ではこの手の行事というのはもともと粛々と執り行うものなのであってね。海の向こうからキチガイが鳴り物入りで乗り込んで来るから騒ぎになるだけの話。
それはよいのだけれども、県民の反応については正直イマイチだなぁ。特に小学生。竹島の日当日に学校で臨時の朝礼くらいやればいいのに。「昔、韓国の李承晩という大統領が、日本固有の領土である竹島を乗っ取って、日本の漁民をたくさんさらって行きました」くらいのことは校長先生がちゃんと生徒に教えないといかんなぁ。
しかし、我が方の訪問団は行く先々で阻止に遭ったんですね。
[インタビュー]崔在翼(独島名誉里長):「本イベント会場で私たちの立場を記した冊子を配布できず、一方的な行事になるならば、この行事は偽りの行事であって、外でなりとも(訳註:会場外で、の意か?)冊子を配布できないことを遺憾に思います」
先の聯合ニュースにあった「硬軟両面戦術」とはどうやらこの冊子のことらしいのですが、それにしても「一方的な行事」ってあなた(笑)。もともとこの手の行事というのはそういうものだと思うが。「対馬の日」とかやってる馬山が日本側の立場に配慮なんぞしているかどうか行って訊いてみろと。そもそも2年前に高野前駐韓大使が記者の質問に答えて「竹島は日本領」だと言ったことにまでケチつけてた連中が一方的も何もあるまい。
我が方の訪問団が冊子を配布しようとすると、(訳註:主語が無いがおそらく警備に当たった県警が、だろう)これを防ごうともみ合いになりました。
「独島は韓国の土地!大韓民国万歳!侵略軍・日本政府は謝罪せよ!!!」
右翼団体の阻止と、これを押しとどめる警察、これに押しやられる我が方の訪問団がもつれ合い、雰囲気は険悪になったのですが…。
「何をする、どけ!! 落ち着きなさい、落ち着いて」(訳註:たぶん前半が崔在翼らで後半が警察)
[インタビュー]右翼団体関係者:「我が方の立場と韓国側の立場とをよく整理し、国際的に認められ得る結論を出すべきだと考えます」
はい、予想通り結局ファビョってます。リポーターの口ぶりも例によって「我が方の訪問団」が一方的にやられてることになってるのはご愛嬌。朝鮮人というのはいつもこうだしな。お仕事とはいえこういうキチガイの相手をしなくてはならない警察も「右翼」も大変だわ。
「右翼」といえば、ここに出て来る「右翼団体関係者」って、やはり「守る会」の会長さんかしら。違うかなぁ。ともあれ「穏健な広報戦」とやらをしに来た側よりも「右翼」のほうが遥かに節度ある受け答えをしているというのもいささか哀れを催さずにおれません。
訪問団はシネマ県(ママ)の澄田知事に抗議書簡を手渡そうとしましたが、これも制止されました。
[インタビュー]シネマ県庁 総務課長:「ただいま、定められた参席者だけが行事に入ることが出来、行事参席者には事前に招待状を送っておりますので、それ以外の方はお入りになれません」
島根県には独島専用博物館まで作られている状態でして(訳註:前の記事にも出て来た県立博物館の竹島資料室のこと)、県では行事当日、英語はもちろん韓国語でまで独島関連冊子を作って広報しています(訳註:同資料室の仮オープンのことだろう)。我が方の訪問団もまた、日本の古文書を公開し、独島が私たちの土地だと主張しました。
「書面の竹島に一島…一島は本邦と関係が無いことを心得なさい」(訳註:おそらく明治10年9月29日付太政官文書の「書面竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」のくだりを崔が読み上げている。KBSの記事に「竹島に」とあるが、これはおそらくテキスト起こしの担当者が「外」を聞き違えたもの)
[インタビュー]黄デヨン(韓国水中環境協会(?)会長):「韓国で思っていた以上に、日本に来てみたら実に歴史歪曲問題が深刻に進んでいるのを実感せざるを得ません。まことに悲痛です。大韓民国国民の皆さんは深刻に受け止めるべきだろうと思います」
日本政府関係者も参席せず、地域住民の関心すら惹けなかったものの、島根県は今回の行事を通じて人々の関心が高まっただけに、独島領有権確保の為一層努力したいとしています。
人々の関心を高め、独島を自らの土地にするために一層努力したいとは、何とも前途多難ですね。冷静ながらも徹底した対応が必要になりそうです。
そもそも抗議書簡の手渡しなんぞをわざわざイベント当日の忙しい時にやるほうが悪い。もっとも、もし私が島根県知事だったとしても刃物振り回すようなキチガイとは会いたくないけれどな。
で、また例によって藪から棒に「歴史歪曲」とか言い出すわけですが、一体何処で何を見て歪曲だと言っているのか説明して見せてほしいもの。件の資料室にしても、まだ2/24時点では仮オープンで崔らは入室していないだろうし。他に何か「歴史」っぽいものあったっけか。あと、これだけ毎年話題にしてるんだからいい加減「しまね」くらい覚えろ(笑)。
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米下院慰安婦決議案のこと ─議員宛メールもよいけれど─
http://subakdoduk.exblog.jp/5172994/
2007-02-27T01:41:18+09:00
2007-02-27T01:41:18+09:00
2007-02-27T01:41:18+09:00
xrxkx
時事ネタ一般
事は単に同決議案の可決成立を阻止すればよいという性質のものではない。2/15の米下院外交委亜太小委では決議案に反対した議員もいたそうだが、こうした議員の主張する所とて所詮「日本は既に第2次大戦に於ける自らの過ちを認め何度も謝罪して来たのだからこれ以上叩くべきではない」という線を越えるものではない。日本を利するか害するかに関わり無く、それが「慰安婦とは職業売春婦であって断じて所謂『性奴隷』などではない」という基本認識を共有しない者である限り私はこれと手を結ぶことはできない。それでは我が先人らの無実を主張しその汚名を雪ぐことにならない。
なるほど「敵の敵は味方」という考え方もあろう。仮にこの問題を単なる外交マターとしてのみ見るならそれもよいかも知れない。しかし今問われているのは国家の利益ではなく名誉である。《日本という国家が組織的に婦女子を強制連行し性的奴隷状態に置いたという根拠無き嫌疑》そのものを晴らさなくては何の意味も無いばかりか、「日本は既に謝罪したのだから本件は解決済み」なる主張の持ち主に日本国民自ら声援を送るが如きは却ってアメリカ輿論に「誤ったシグナル」を送ることにすらなりかねない。
敢えて言うが国家の名誉は国家の利益に優先する。国家の利益を守る行為に於いてはさまざまな手練手管もあろうが、国家の名誉を守る戦いに於いて自らの原理原則を枉げることは断じてあってはならない。
まずは政府をして河野談話を公式に撤回せしめないことにはどうにもならない。つい先日も某報道番組がホンダとのインタビューを放映したそうだが、記事に曰く、
米下院に慰安婦問題をめぐる対日非難決議案を提出したマイク・ホンダ議員(民主)が25日、フジテレビの「報道2001」に中継で出演し、決議案が「日本軍による強制的な性奴隷化」などと軍による強制連行を一方的に断定している根拠について、「官房長官談話が出て、首相が謝っている。実際に(強制連行が)なければどうしてそういうことが起こるのか」と述べ、平成5年の河野洋平官房長官談話を挙げた。
米国民であれ第三国の人々であれ、河野談話の背景を知らぬ者がこの言い分を聴いてもっともだと思うのは無理も無いではないか。上の記事には続いて
これに対し、日本側の出演者は「日本政府に謝罪を求めながら、強制連行の根拠を『日本の首相が謝罪しているからだ』というのは論理矛盾だ」(山本一太参院議員)などと反論。日本政府の対応にも注文が相次いだ。
とある。記者氏には「『日本政府の対応にも』とは、ものごとの順序が逆ではないか」と申し上げたいが、ともあれ山本氏の指摘は有効とは言えないにせよ少なくとも示唆的である。即ちホンダが河野談話を根拠に日本国首相に「政府を代表して」謝罪するよう求めている以上、ホンダは河野談話を「政府を代表して」の謝罪とは見做していないのだから、日本政府が今から河野談話を撤回してもホンダ側はそれを以て「日本政府が見解を覆した」と言うことはできない筈である。あとは日本政府がその一歩を踏み出せるかどうかに全てが掛かっている。どうすればその一歩を踏み出させることが出来るかに心を砕いた方が健全だと私は思う。
以下 愚痴として
マイク・ホンダは単に「無知な正義漢」に過ぎないと私は今のところ思っているが、日本人の中に彼を「確信犯的な反日活動家」だと見做す向きもあろうことは想像に難くない。この点、果たしていずれであるかを問うてみてもさほど意味は無いと思う。
「反日」を云々するなら、もともとアメリカという国じたいがここ100年来ずっと反日である。かの国を反日たらしめるにあたって支那のプロパガンダなどは寧ろ副次的な要因でしかない。
日本人にしてポーツマス条約以来の日米関係史を省みて猶この点を理解できぬ自称「保守」の何と多いことか。「同盟国のアメリカがこんな決議案を」などと今更のように言い出す輩は大抵これである。彼らは畢竟GHQ史観の側に立つ者でありアメリカ的戦後民主主義の崇拝者であるという意味に於いてサヨク──いやこの場合は「左翼」と書いてもよいかも知れないが──と大同小異である。果たして彼らが大東亜戦争終結までのアメリカと現在のアメリカは別だと思っているのか、それとも逆に日本の側が大東亜戦争を境にそれまでとは正反対にアメリカと「自由と民主主義という価値観を共有」する国に生まれ変わったと思っているのかは私の知る由も無いが、そのいずれであるにせよ彼らの歴史観は1945年を境に捻じれている。或いは1945年の時点に断層を生じている。彼らにとって守るべき日本とは煎じ詰めれば戦後の日米「同盟」のもとでの日本だけである。かかる人々に大東亜戦争の大義や祖国の名誉を説いてみるだけ虚しい。せめて今回の一件が単なる親米を保守からふるい落とすきっかけになってくれることを願うばかりだ。
愚痴ついでにもう一つ
先の米下院議員宛メールの件を巡って、中には「マイク・ホンダの日系米人としての素性の怪しさ」みたいな話をしだす恥知らずな日本人までいたらしい。
彼らのやっている事と、先日かの「竹の森遠く (So Far from the Bamboo Grove)」がアメリカで問題になった折にその著書の内容と全く無関係な人格攻撃──「著者の父は戦犯」といった類の──に明け暮れていた韓国人・韓国系米人のやり方とで、その品性に於いてどれほどの違いがあるか。しかも、「重要なのはマイク・ホンダの主張の誤りを糺すことであって彼の素性を暴くことではない」などと、よりにもよって日本側に好意的な日系米人に懇々と諭されている姿など見せられては、もはや大東亜戦争の大義どころではあるまい。日本人はかくも堕落したのだ。私も反反日キャンペーンは数多く見て来たし時に携わっても来たが、これほどの寂しさを味わったことは曾て無かった。
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「島が返るまでが竹島の日です」とか。
http://subakdoduk.exblog.jp/5160434/
2007-02-23T23:39:00+09:00
2007-02-24T01:18:21+09:00
2007-02-24T01:14:54+09:00
xrxkx
時事ネタ一般
竹島領有権に関する韓国側の主張が歴史的に見ても国際法の面から見ても根拠薄弱であることや、所謂「海洋主権宣言」なる海賊まがいのやり方については、既に何度も触れており他blogでもあちこちでやっているでしょうから繰り返しません。肝要なのは日本側がその原理原則を貫くことに尽きます。即ち
竹島は歴史的にも国際法上も我が国固有の領土である。
我が国は国際司法裁判所に於ける竹島領有権問題の平和的解決を一貫して呼び掛けている。全責任はひとえにこれに応じようとしない韓国側にある。
韓国側がどうしても国際司法裁判所での解決を望まぬ場合、この問題は国連安保理に諮られる。
領土回復の為の武力行使は自衛権の範囲内であって現行憲法に抵触しない。
これまで何度か書いて来ているように、私は「竹島を極東のフォークランドにせよ」と言い続けています。即ち最終的には武力なくして竹島問題の解決はあり得ないと考えています。無論これは「日本側が武力行使も辞さない姿勢を示さない限り韓国側が外交的手段を通じての問題解決に応じる可能性はゼロである」という意味に於いてであって、対韓武力行使という事態が実際に生じるかどうかについては「あくまで韓国の出方次第」という態度でいなくてはなりません。
国の主権と尊厳は、それを守る為に如何なる犠牲をも厭わない覚悟と実践を伴う者にのみ与えられます。必要なのは国の主権護持に関する国民のコンセンサスを確立することです。政府の腰のひけた対応を詰る前に、まず国民ひとりひとりが竹島問題を自分自身の問題として捉える社会的気運が醸成されなくてはなりません(このことは拉致問題に関しても同様であるのは言うまでもないでしょう)。
以前「嫌韓という…」でも触れたように、韓国の対日政策のでたらめさ加減はなるほど今や広く国民に知られる所とはなりました。竹島問題もまたその一典型です。しかしながら、そのことが日本国民の主権意識を高めるカンフル剤としての役割を十分に果たせているかといえば、残念ながらまだまだ現状はお寒い限りだと言わざるを得ません。
この点、私たちは《敵》のやり方からもっと多くを学び得る筈です。これまで何度も触れたように、韓国側は竹島の「紛争地域化」を非常に警戒しています。彼らは竹島の「実効支配」──不法占拠は何年続けても国際法上は実効支配とは認められないのだが──を続けることでその既成事実化を図る以外に戦略的選択肢を持ちません。彼らが一貫して国際司法裁判所での決着を避け続けている所以です。ですから韓国側は本来なら日本側の領有権主張に対しては黙殺の一手あるのみ、の筈です。ところが、かの国民がそうした情勢にも拘わらず世界中の到る処で「独島は我らの土地」なるパフォーマンスを繰り返してしまうのはご存知の通りです。これは冷静に見れば戦略的に墓穴を掘っているとしか言いようが無いのですが、彼らが何故ついついそうしてしまうのかを省みるに、以下の3つの動機による面が大きいでしょう:
およそ争議というものは声の大きい側が勝つという彼らの社会慣習
彼らが日本側による竹島領有を「日帝」による韓国「強占」の経緯とワンセットで考えていること
竹島周辺海域の水産資源および存在の噂されているメタンハイドレートなど地下資源を巡っての国益意識
このうち(1)と(2)に関してはこれはもう彼らのお国柄としか言いようの無いものであってあまり真似したくありませんが、問題は(3)です。韓国に於いて「独島守護」がカッターナイフおじさん(=ソウル市議・崔在翼)や焼身自殺おじさんや指切りおばさんのような「イッちゃってる人」の間にとどまらず汎国民的な気運にまで育ち得るのは、こうした実利的側面がTVや紙媒体などメディアを通じて広く国民に宣伝されている事実に負う所が少なくあるまいと思います。彼らに大いに学べというのは、こうした部分です。
今まで「嫌韓」がネットの外にさほど浸透しなかったのは、「嫌韓」の持つ2重の欠陥ゆえだと言ってよいでしょう。
一つには「嫌」というのはあくまで「わたくし」の感情に過ぎないこと。「お前が韓国を嫌う理由はよく分かった。でもそれは俺には関係ない」と言われてしまえばそれで終わりです。
もう一つはこれまで「嫌韓」が韓国の《反日》にばかり光を当てすぎたこと。これまた「いいじゃないか、好きにさせておけば」と言われてしまえばそれまでです。活貧団のおじさんがどれだけ日の丸を食いちぎっても、おおかたの日本人にとっては別に痛くも痒くもないわけです。反日ヲチも結構ですが、それだけでは一種のゲテモノ趣味の域を出ません。
これからは特亜の《反日》だけではなく《害日》にもっと光を当てたほうがよい。竹島問題にしても然りで、竹島近海の「共同管理水域」で実際には韓国側のやりたい放題を黙認してしまっていることが、山陰地域の水産業にどれくらいの実害を与えているか、ですとか、ひいては「あなたのお宅で毎日食卓に上るお魚の値段にこれだけ響いて来るんです」といったような、《お茶の間を攻略できるアピール》の仕方を考えていく必要があります。
余談ですが、こういうやり方が非常に「うまくいった」例として80年代の野党側による消費税(当初は売上税といったが)導入反対攻勢がありました。80年代というのは、国鉄民営化による社会党-総評ブロックの瓦解が革新陣営にとどめをさした《55年体制の終わりの始まり》の時期でしたが、その時期に階級政党としての左翼が「市民の政治参加」なる謳い文句のもとで左翼からサヨクへと変貌し時流に適応してゆく上で、消費税の件が小さからぬ役割を果たしたと言ってよいでしょう(もう一つには、その少し前に参院比例代表制が導入されたことでミニ政党が乱立するという受け皿が既にありましたが)。
竹島といえば一部で有名な「竹島まんじゅう」の件。私が読んでいる某メルマガで随分前に流れていた記事から。「産経新聞の昨日の大阪朝刊にのみ掲載されていました」とのこと。ネット上のソースが無いようですが…。こういうの、メディアはもっとちゃんと流すべきだと思うのですがね。
土産「竹島ものがたり」商標登録 特許庁、一転認める(産経 07/01/30)
日本固有の領土・竹島(島根県隠岐の島町)を冠したまんじゅう「竹島ものがたり」をめぐり、「日韓両国に無用の混乱を招く」として商標登録を認めていなかった特許庁が、一転して登録を認めていたことが29日、わかった。
出願者の反論を前に、自ら調べをやり直すことは異例で、同庁は「調査不足だった」と審査の不備を認めている。
申請したのは東京の菓子みやげ問屋「大藤」で昨年12月下旬、日韓両国に混乱を招くため商標登録できないとする拒絶理由通知書を特許庁から受け取っていた。
通知に対する反論の意見書は1月末が提出期限で、同社が反論の準備を進めていたところ、29日までに登録を認める「登録査定」が送られてきた。
登録査定には「拒絶の理由を発見しない」として、「登録すべきものと認める」と当初と異なる内容が書かれていた。
特許庁の態度が相変わらずだなぁと。そもそも「無用の混乱」とは何たる言い草か。もともと「混乱」しているのはひとえに日本政府が竹島問題を巡って毅然たる態度で自らの原理原則を貫いていないからであって、まんじゅうが悪いわけではないでしょうに。それを言うなら、つい最近も北方領土を巡って一部メディアが盛んに書き立てていた「麻生外相、三島返還論に言及」みたいな歪曲報道の極致こそ無用の混乱と謂うのです。
ところでこのまんじゅう、上の産経の記事には「東京の菓子みやげ問屋」が商標登録出願者だとしかありませんが、製造元は島根なのでしょうか。よく分かりませんが先日読んだ「博士の独り言」なるblogによりますと
「竹島ものがたり」)読者提供
読者から提供いただいた写真を拝見し、筆者も購入。毅然とした焼き菓子に感銘を覚えている。手元に1、2箱を常備し、新聞社などへ訪凸する時の手土産に、また、訪ねてくる後輩に持たせたいと思う。「12個入り、840円」。問合せは、隠岐特産センター(電話08512-2-0787)とのことだ。同特産センターと筆者との間には利害関係は無い。ただ、この銘菓がベストセラーとなり、1人でも多くの国民に「竹島」を認知、確認する機縁になれば、と願う。
と、販売は島根県内で扱っているようです。「毅然とした焼き菓子」という言い回しが面白かったので引用してみたよ。興味のある方は上記連絡先まで。
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大東亜戦争の大義と戦後日本の「平和主義」について
http://subakdoduk.exblog.jp/5148390/
2007-02-21T00:29:00+09:00
2007-02-21T03:48:46+09:00
2007-02-21T03:48:46+09:00
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雑記
先に言ってしまうと、私は何も大東亜戦争を「日本の正義の、米英なりもっと広い意味での聯合国なりの悪に対する戦い」だと言いたいわけではない。無論あの戦争を戦った一方の当事者にすればあの戦争はかなり本気で「暴支膺懲」の戦いだとか「鬼畜米英に対する聖戦」だったろうし、それが悪いとは微塵も思わないのだが、ただ、戦後60年も経った現代を生きる私たちがあの戦争を振り返り総括する際にそれ一辺倒で済ませてしまうというのは、それはそれでやはり理性の怠慢であって、あちらの世界の方々が「あの戦争は軍国主義の起こした侵略戦争でした、アジアの人々に多大な迷惑を掛けました、戦争は悲惨だからいけません、これからはデモクラシーの時代です、戦争抛棄で平和主義でいきませう」とか言っていた/いるのと同じくらい困ったものではある。
私が前回触れた意味での「大東亜戦争に於ける日本の大義」とは、一つには日本が対米開戦に追い込まれる経緯──あるいは支那事変も同じことかも知れないが──を巡っての「お前ら何を被害者ぶってるわけ?」という思いであったり、また「人道に対する罪だの平和に対する罪だのとお前らに言われる筋合いは無い。それを言うなら通州事件やら東京大空襲やら原爆投下やらシベリア抑留のほうはどうしてくれる」という思いであったり、ましてややってもいないことまでやったと言われてはたまらんという話であって、そこの所を東京裁判このかたことごとく誤魔化して済ませて来ているから今からでも正すべきは正せと言っているに過ぎない。GHQ史観の信奉者の目にはそういうのが「歴史修正主義」に見えるらしいが、言い分は勝者の側にばかりあるのではないことは、かのパール判事の例を見れば明らかである。それをケシカランと言うほうこそヒトラーも顔負けの "Macht ist Recht" というか「勝てば官軍」主義である。
「核兵器の登場によって正義の戦争というものはあり得なくなった」と言ったのは確か湯川秀樹だったか。無論彼の言わんとする所が分からぬわけではないが、ただ、核の出現以前か以後かに依らず、そもそも戦争というものを「正義の戦争」と「そうでない戦争」とに分けることに果たしてどれだけの意味があるかと私は寧ろ首を捻りたくなる。そこはまぁ、湯川ほどの知識人にすらこうした発言をさせるだけの時代の空気というものが、曾ての「一億総懺悔」の時代にはあったということかも知れない。ことほど然様に時代の空気というものは極から極へ振れ易い。
戦争は一種の必要悪である。人性というものを根こそぎ変えてしまうことでも出来ない限り戦争が世の中から消え去らないであろうことは、「世界で最も古い商売」たる売春が無くならないであろうこととよく似ている。戦争そのものを無くすことが事実上不可能だからこそ、それに一定のルールを設けタガを嵌めておくことで戦争のもたらすリスクを可能な限り小さく抑える努力を人類はして来た。勿論これは戦争そのものを未然に防ぐ努力とはまた別次元で論じられるべき問題である。
ところで日本国憲法の平和主義というのは、上述のところを見なかったことにし、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なる虚構を設定した上に成り立っている。日頃「9条を世界へ」などと言っている人々は、「世界へ」という以上はおそらく所謂「一国平和主義」への批判的立場は踏まえている筈である。が、ではそういう人々が世界中のありとあらゆる戦争に分け隔て無く体を張って反対するだけの覚悟を持った上で「9条を世界へ」と呼ばわっているかというと、どう贔屓目に見てもそうは見えない事例が既に幾つも知られネット上にも流布しているのは周知の通りである。それは元をただせば彼らが実は「正義の戦争」というものの存在可能性を、もう少し控えめに言うならば戦争に於いて当事者のいずれか一方が他方に比べてより「正義」に近い位置にいるというようなことが起こり得る可能性を、意識的にかどうかは知らぬが心の何処かに想定してしまっているせいではないかという気がどうしてもしてしまうのである。国によっては「クリーンな核」なるものがあるらしいことを昔何処ぞの左翼政党が言っていたそうだが、そういうことを言い出す人々と所謂護憲派とで支持層がかなりの部分カブっているのも同じ理由ではないか。
そういえばつい先日も、とある米軍将校がイラクへの従軍を拒否したという記事を読んだ。大変な持ち上げようだが、それはまぁよい。この記事を書いた記者、どうも反戦運動か何かをやっている在米邦人らしいのだが、一方で
地元の peace actionでは、毎週土曜日にSTAMFORD(ママ)図書館の前で PEACE VIGIL をしています。もう、69週です。これからも戦争が続く限り、私たちも立ち続けます。
と言ったかと思うと同じ記事中で
もし、太平洋戦争で、日本の兵士が良心に従うことを許されていたら、あのような人道に対する犯罪を犯すことはなかったのではないでしょうか?
と言っているといった具合に、私にはこの記者氏が凡そ戦争というもの全てに反対しているのか、それとも戦争に於ける「人道に対する犯罪」なるものにのみ反対しているのかが何度読んでも分からぬのである。後者の場合、「人道に対する犯罪」無き戦争、謂わば「クリーンな人殺し」とでも呼ぶべきものの存在可能性を前提に話をしていることにならないか。そこの所の折り合いを反戦平和運動に携わる皆さんがどうやってつけているのか、誰か分かる人がいたら解説してほしいくらいである。
この記者氏の理解する所に従うなら、記事に出て来る日系米人将校が従軍拒否という挙に出た理由はあくまでこの将校があのイラク戦争を「国際法上違法」と考えているからに過ぎず、当然ながら彼が全ての戦争に斉しく反対しているわけではないだろう。そもそも全ての戦争に反対する人は職業軍人たる道を選ばないだろうし。
従ってこの将校の所信は次の2通りのいずれかしかあり得ない。即ち
「世の中には時として正義の戦争というものもあり得る。正義の戦争に於いては自分は戦うことを厭わない」
「世の中に正義の戦争というものは存在しない。全ての戦争は必要悪である。だがそれが《必要》悪である以上、必要とあれば自分は戦うことを厭わない」
上のいずれであったとしても世間の多くの反戦平和運動の主張する所とは相容れないように私には思えるが、どうなのだろう。もしも「いやそんなことはない、上のいずれであったにしても反戦平和とは矛盾しない」というのなら、今度は「ではあの日本国憲法9条は一体何なのだ。平和主義の立場からもあんなものは無用の長物ではないか」という話になりはせぬか。
というわけで、上の記者氏は今後も反戦平和運動を続けるなら件の米軍将校か護憲論の少なくともいずれか一方を捨てねば筋が通らぬ。記事中には護憲の「ご」の字も出て来ないようだから、きっと記者氏はバリバリの改憲派に違いない。なるほど改憲派の方が平和主義に近かったのか。ふー、安心した。
おまけ
読者には或いは私がここで直接何ら関係の無い2つの話をごちゃ混ぜに論じているように見えるかも知れません。
数年前、広島原爆慰霊碑事件というのがあったのを読者もご記憶のことでしょう。原爆を落とした側ではなく落とされた側が「あやまちは繰り返しませぬから」などと言い出す不思議さは、かの事件の犯人ならずともお感じになった方は多いかと思います。かの事件に象徴される戦後日本の「平和主義」の捻れというか自己矛盾というか場合によってはご都合主義的なものというか、これは前から気になっていることがらの一つではありました。
それを所謂「『自虐』史観」の為せる業と切り捨ててしまうのは容易ですが、そこをもう一歩奥まで腑分けして行くと、戦後「平和主義」がもつ一種の潔癖さ──必要悪としての戦争を頭の中から消してしまうという──の中から逆に架空の「正義の戦争」とでも呼ぶしかないものが出て来て、戦後「平和主義」的な目で見たときの東京裁判などは実はその一つの具象なのではないか、と考えてみると少しは分かる気がしたよ、というようなことを言いたかったのでした。おわり
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米下院慰安婦決議案のこと ─安倍総理は河野談話を全否定せよ─
http://subakdoduk.exblog.jp/5139830/
2007-02-19T03:59:00+09:00
2007-02-20T00:19:03+09:00
2007-02-19T03:59:18+09:00
xrxkx
時事ネタ一般
彼らが日本政府に謝罪を求める上での拠り所は事実上「河野談話」一つであるらしい。今月5日に讀賣が報じた所では加藤良三なる駐米大使が米下院外交委の某小委員会委員長宛に同決議案採決反対の書簡を送った由。「日本政府がすでに慰安婦問題に関する責任を認め、謝罪を表明してきたことなどを説明」したのだそうな。「既に謝罪した」ではまたしても「言葉ではなく行動を」とネジ込まれるだけだという、それこそ盧武鉉でも分かるほど簡単な事が、日本政府高官には何故分からぬのか。
とはいったものの、である。確かに外務官僚の無為無策や不誠実を詰るのは容易だが、彼らとて「足を縛られている」のだ。肝腎の内閣がかの河野談話を踏襲すると言っている状況で現場の外交官にこれ以上の働きを求めるのは酷だろう。河野洋平の罪は万死に値するが、第一義的な責任はかかる徒輩を──そして今日に至るまでその始末を付けられずにいる全ての政治家を──国会に送っている私たち国民にある。
今からでも遅くはないから、安倍総理は河野談話を公式に撤回し、当時の調査は勿論今日に至るまで「軍または官憲」による強制性を立証するに足る証拠は何一つ示されていないことを全世界に向け堂々と主張すべきである。祖国防衛の為に尊い命を捧げた先人らに不当にも着せられた汚名を雪ぐ努力を総理自ら怠ったままで、次の世代に「国を愛する心」など説いてみても虚しい。
そういえばあの2005年春のバンドン会議での「小泉おわび演説」の折にすら、少なからぬ「保守」系サイトがこう言っていた:「これでもう日本は謝罪しなくてよいのだ」。所謂「小泉信者」──これももうそろそろ死語だが──による「アバタもエクボ」の極みである。あのとき私はこう書いた:「日本は大東亜戦争に二度負けたのだ」。果たしてどちらが正しかったか。
仮に件の決議案を安倍総理が丸ごと受け入れたとしたらどうなるか。曾て「小泉信者」がやったように、今度は「安倍信者」が「これでもう日本は…」とやり出すのかも知れない。賭けてもよいがそんな事で支那や朝鮮は矛を収めたりはすまい。次は「天皇が謝罪せよ」と言い出すのは目に見えている。
彼らにとって日本の譲歩は妥協の糸口ではなく、更なる譲歩を引き出す足掛かりに過ぎない。そしてその都度「人道的観点」から日本国民の血税がドブに捨てられる。かの「アジア女性基金」のように。
支那や朝鮮の反日策動の前に一切の妥協や弥縫策は有害無益である。河野談話などはその典型だ。あの93年の調査で「強制性の証拠無し」と出た際に政府が毅然とした対応を取っていれば、その後の慰安婦騒動の展開は180度変わっていただろう。
先にバンドン会議の話に触れたが、その直後の2005年5月だったか6月だったか、ブッシュが確かラトビアのリガで演説した際にヤルタ会談の誤りに言及したことがあった。
第2次世界大戦時、欧米先進諸国がヒトラーを倒す為にスターリンと手を結んだことがのちの東西冷戦を生んだ。一人の独裁者と戦う為に別の独裁者と手を結んだ結果がこれである。が、愚かにもアメリカはその東西冷戦下に於いても支那との国交「正常」化という同じ過ちを繰り返した(こちらについてはブッシュは上の演説では何も語っていない)。
こと対極東政策に関する限りアメリカはオレンジ・プランの時代からかれこれ100年以上一貫して同じ過ちを繰り返している。援蒋ルート然り、対支国交「正常」化然り。現在に於いてすらアメリカが時として「同盟」国たる日本に対する以上に支那に甘いのは、彼らアメリカ人が支那のプロパガンダに対しあまりに無防備なるが故であり、さらに言うなら西洋人の宿痾とも言うべき支那への買いかぶりの為せる業である。
周知のように支那人はプロパガンダにかけては世界一流である。彼らは都合の良い時だけ「侵略の被害者」を演じる術に長けている。支那が世界で最も「侵略の被害者」を名乗る資格に乏しい国家であることは、現在進行形の侵略である所のチベットや東トルキスタンの例を挙げるまでも無く明白だろうに、である。朝鮮人はプロパガンダに於いて支那人に比べ遥かに稚拙ではあるが、それでも「侵略の被害者」を演じるうまみだけは覚えた。支那の尻馬に乗って大声を上げるだけの役だから楽なものである。
マイク・ホンダは朝鮮のみならず支那でも大層な人気だそうな。米国内の「人権派」が世界最大の人権弾圧国家のプロパガンダのお先棒を進んで担いでいる図というのは笑えない冗談である。凡そ世の中に《無知な正義漢》くらい始末に負えないものは無い。
第2次世界大戦を「ファシズムに対する民主主義の戦い」だったとする世界規模の虚構は今も生き続けている。いい目を見ているのは専らファシストといい勝負の独裁国家ばかり。逆にいつも割を食っているのが日本である。まずこの虚構に日本は敢然と立ち向かわなくてはならない。独裁国家風情に「日本はドイツに学べ」などと言われて平身低頭していてはいけない。「日本をナチスドイツと一緒くたにするな」と言い返さなくてはいけない。
上述のブッシュ演説などは日本にとってまたとない追い風だった筈である。小泉前総理にはそれを活かす意志も才覚も無かった。ことごとくその逆を行った。まぁ靖國で「不戦の誓い」とやらをやってのける御仁にそんなものを期待するだけ無駄だが。
問われているのは大東亜戦争に於ける日本の大義である。まずは対日戦勝国──支那のようなまがいもの(ましてや朝鮮に至っては論外)でなく正真正銘の──たるアメリカに対してこれを堂々と主張しウンと言わせなくてはならない。それが出来ぬというなら日米「同盟」などという恥ずかしいことは口にせぬがよい。此処を避けて通る限り日本は永久にアメリカ様に頭が上がらないのである。支那は勿論のこと、朝鮮の売春婦風情にまでそれを見透かされているからこそ、今回の慰安婦決議案のような事がひっきりなしに起きる。
河野談話の全否定とは煎じ詰めれば日本の大義を取り戻す道のりの一歩に過ぎない。懸案は慰安婦だけではなく「強制連行」の問題もあれば南京事件も靖國もある。日本がGHQ史観に真っ向から立ち向かう覚悟を持たぬ限り、これら諸懸案が根本的に解決されることは無いだろう。今や支那・朝鮮の事はそのついでに過ぎない。
おまけ
あまりニュース記事の追っかけをやりたくないこともあり、暫くこんな感じのメモ的な書き散らしが続くと思いますがご容赦あれ。文体、「です・ます」よりこっちのほうが楽だなぁ。どうしようかな。
あと、コメント欄は開けておきました(先日開けるの忘れた)が基本的に不精ですので返事はあまり期待なさらないで下さい。TBはどう見ても益より害のほうが多いので当分閉じたままにしておきます。こちらからも打ちません。もしも拙blogの名前でTBを受け取ったという方がおいででしたら、それはニセモノですので容赦なく削除なさって下さい。出来ましたら送信元のIPなどお知らせ戴ければ幸いです。お手数をお掛けして申し訳ございませんが何卒宜しく御願い申し上げます。かしこ
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「嫌韓というムーブメントは終焉する」・読後所感 2/2
http://subakdoduk.exblog.jp/5130962/
2007-02-17T00:57:00+09:00
2007-02-20T00:21:55+09:00
2007-02-17T00:48:35+09:00
xrxkx
雑記
承前。K3のエントリに戻る。これは新井さんの問題提起というより自問自答なのだろうけれども、
…結局、我々は選挙という手段によってしか事をなしえない。(中略)そのために一庶民がようやく手に入れた情報発信ツールで何をすればよいのか?淡々とその日思ったことを書き連ねる中で出る韓国や在日への不満。それをどうやって掬い上げ、集積させ、力とできるか?…
時代が一巡りしたということだろうか。初期の頃からのK3読者の方々のうち果たして何人がK3開設当時かかる問題提起のあろうことを予想し得たか。誰とは言わぬが厄介な男と厄介な時期に出会ってしまった(笑)ばかりに新井さんもとんだ重荷を背負い込んだものである。こればかりは何かの因果と思って諦めて戴くしかない。
閑話休題。一部メディアによって無理矢理仕立て上げられた「韓流」がそうである以上に、自生的に誕生した「嫌韓」もまた所詮は一過性のブームに過ぎない。ブームはいつか去る。それでよいと私は思う。去った後にそのブームが社会に如何なるコモンセンスを遺し得るかが重要である。
「韓流」が去り「嫌韓」が去るに伴い、それらと一定の距離を置いて来た人々まで含めて多くの大衆にとって韓国そのものは「嫌韓」以前とはまた違った意味に於いてではあれ「なるべくなら関わり合いになりたくない鬱陶しい存在」に戻って行くだろう。「まだ韓国なんか構っているのか。あんなのもう放っておけばいいのに」といった具合に。一見すれば「元の木阿弥」に見えるかも知れない。
が、「放っておく」わけに行かない部分は確実に残るだろう。竹島領有権問題然り、或いは靖國や慰安婦・教科書などまで含めた広い意味での歴史認識の問題にしても然り、更には日本の対北政策に対する韓国官民の敵対的行動然り、不法滞在韓国人による犯罪の問題然り、外国人参政権の問題然り、そして在日特権の問題もまた然り。その時、人々はもはやあの困った隣人たちを曾てのように腫れ物扱いはすまい。あらゆるまやかしは暴かれた。あとはそれをどれだけ多くの人々が知るかの問題に過ぎない。
これから暫くは「吐き出す時期」である。上は対日賠償請求の蒸し返しから下はパクリ商品の横行に至るまで、これまで蓄積された韓国に関する一切の事例を、単にネットの中だけに留めておかず紙媒体や電波などありとあらゆる手段を通じて可能な限り広範な大衆に浸透させることが肝要だ。近い将来、日本という国が上述のような諸問題にどう取り組んで行くべきかを改めて問われた際、それらの事例が人々の政治的行動を確実に一定の方向に押しやるだろう。そうなることを望まない勢力が「民族差別」だ「在日いじめ」だとお得意のレッテル貼りに血道をあげようにも、その「民族差別」なり「在日いじめ」なりの主と目されてきた人々は既にネットの海の底深くに帰って行った後である。あとに残されたマジョリティはあくまで目の前に突きつけられた事実のみを見て動く。
次に来るのは「嫌マス○ミ流」?
それはともかく、おそらく新井さんとしては輿論の「嫌韓」傾向が長い目で見て日本の政治に及ぼす効果のことはひとまず措いて、もう少し短期的なスパンで見て「嫌韓という資産」の運用を当面どうするかという問題を考えたかったのだろう。先ほどの問題提起の直後にこうある:
…それが実現した暁にはネットの意見を重要視する政治か(ママ)も出現するだろうから、今は過渡期なのかも知れない。 / だが、それまでに嫌韓という一種のムーブメントがどうなるか、という点に絞って考えると、…
同氏の見解では「嫌韓」は「サブカル的ポジション」に留まり「政治的行動に転嫁(ママ)することはないだろう」とのことだが、私は必ずしもそうは見ない。なるほど「サブカル的ポジション」といえば、前回のエントリの最後のほうで分類した(3)の人々などが現在既にそうで、その傾向の人々は(これまた誰とは言わぬが)今後ますます「ブラック小倉紀蔵」的な芸風(?)に磨きをかけて行くだろうけれども、「嫌韓」の政治的性格の部分はそれらサブカル的側面を離れ、場合によっては韓国そのものを殆どそっちのけにして一人歩きを始める可能性が高いと見る。
それ単独での存在意義の薄れた後の「嫌韓」が何処へ向かうか。私が思うに、おそらくはもっと大きな文脈の中での「メディアとの対峙」に回帰し収斂して行くだろう。それも意外に早い時期に。
周知のように、韓国ないし北まで含めての朝鮮一般を巡っては、メディアにとってこれまでタブーだった事項は殊の外多い。在日特権の問題にしても例外ではない。右を向けば解同との協調関係、ひいては人権擁護法案/条例との関わりがあり、片や左を向けば総聯の固定資産税減免問題や対北不正送金との関わりがあるといった具合に、その裾野は驚くほど広い。
これまた言い古された事だが、国内外からの如何なる圧力によるかを問わず、曾てメディアは自らに不都合な情報は国民大衆に「知らせない」ことができた。ネットの登場によってそれが不可能になった。曾て「国民の目」を自称し「権力を監視する」と嘯いたメディアが初めて自ら監視される側に回った。しかも彼らが忌み嫌って止まない権力によってではなく、彼らがそれと共にあると自称していた所の大衆によって、である。彼らは自らのコントロールの及ばない場所で輿論が生まれ一人歩きすることを極度に恐れている。昨今の「ネット右翼」叩きなどはその表れである。
余談だが、韓国のネットメディアはその言論の質に於いてお世辞にも褒められた代物ではないにも拘わらず、ただ保守三大紙など既存の「財閥系」メディアとの対決路線を貫いたことによってあれだけの隆盛を見た。オーマイニュースなどは良くも悪しくもその典型である。一方、同じオーマイでありながら、我が鳥越俊太郎のようなネットメディアの本分を見誤った輩が逆に既存メディアに歩調を合わせる形で2ch批判あるいは「匿名性」批判に血眼になっている姿は滑稽としか言いようが無い。彼らは日本に於ける所謂「市民参加型メディア」の可能性の芽を自ら徒に摘んだ。これら一連の出来事によって2chのような言論の最底辺は寧ろ自らの存在理由を再確認するだろう。それが日本にとって吉と出るか凶と出るかは私の知る所ではない。
話を戻すと、目下の一部既存メディアによる「ネット右翼」バッシングは今後ますます露骨さを増して行くだろう。それらメディアが上述の「匿名性」と並んで、或いはそれ以上に積極的に攻撃の矛先を向けるのが「ネットに蔓延するナショナリズム」とやらであることは明白である。それがますます「嫌韓」をメディアとの対決の方向に駆り立てるだろう。その都度双方によって肴にされる韓国こそいい面の皮ではあるが、元はといえば自業自得である。
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「嫌韓というムーブメントは終焉する」・読後所感 1/2
http://subakdoduk.exblog.jp/5127419/
2007-02-16T02:31:00+09:00
2007-02-16T05:33:42+09:00
2007-02-16T05:33:42+09:00
xrxkx
雑記
はじめに
「そろそろ嫌韓というムーブメントの行く末を案じる時に来ているような気がする」というのは全くその通りだろう。寧ろ今までその「嫌韓というムーブメント」の中からそうした声がなかなか出て来なかったのが不思議なくらいだ。無論、「嫌韓ムードが日韓間の友好関係構築に水を差すから」などという薄ら寒い理由ではない。いつまで「嫌韓」ばかりやっていてもそこにとどまっていては先が無いことくらい当初から分かり切っていた筈だからである。
私自身、支那・朝鮮関連の報道記事は今でも目を通すが、自分でblogに半島ネタを書くというのは、ご覧の通り卵子売買から黄禹錫の論文捏造に至る一連の騒ぎを追っかけていた頃以来長いことやっていない。、どちらかというと、「飽きた」というよりは「支那・朝鮮そのものについてはもう言うべき事はあらかた言ってしまった」という気がしたからである。無論新しいネタは日々数限りなく供給され続けているのだからそれを元に従来どおりの切り口で書こうと思えば幾らでも書けるだろうが、書き手としてはそんな事ばかりしていても消耗感が募るばかりだ。書くならもっと日本という国にとって大事な事を書きたい。その「大事な事」が私のような一介の技術屋の手に余るからなかなか書けないだけである。
ついでに言えば、特亜ヲチ系blogの書籍化が商業ベースに乗るご時世──良し悪しはさておき──にあって、単にそれらの一翼と思われるのはゴメンだ、という思いも率直なところ無くはなかった。特に「嫌韓」の「嫌」が嫌だった(もっとも「私は嫌韓」と自ら称する人はあまりいないと思うが)。言い換えるなら、やれ韓国は反日だから懲らしめてやれだの、台湾は親日だから仲良くしろだのといった小学生の交友関係みたいなノリで国家間の関係を語りたがる薄っぺらさが鼻持ちならなかった。念の為書いておくがこれは「反日だからといって毛嫌いしないで仲良くやっていく方法を模索すべきです」とかいった意味では更々ない。乱暴な言い方をすれば、「反日のままで別に構わないではないか、『利日』にさえしてしまえれば」というような意味である。
「嫌韓」は何故終わるか
私自身のことはこれくらいにして、上のK3のエントリでは、「嫌韓というムーブメント」の終焉の動機として新井さんは次の点を指摘している:
…そもそも日本人自体がムーブメントというものに乗せられ易いという面もあるんじゃないかと思う。 基本的に不正というものに対して敏感なのが日本人なのかな、と思いながらも、喉元を通り過ぎれば過去のものとして割り切ってしまうような、悪く言えばもう関係無いや的振る舞いをしてしまうのも、また日本人の性質のように感じられる。熱しやすく冷めやすいというか。…
あくまで私の想像の域を出ないが、こと韓国に関する限り、少なからぬ日本人が単に「飽きた」というよりは「もうウンザリ」というか「お腹いっぱい」というか、いずれにせよ「まともなパートナーとして付き合っていくのは無理」という諦めに近い感触を共有するところまで来ているのではないか。韓国──あるいは北朝鮮にしてもそうだが──の対日要求の支離滅裂さなり、政府内外の韓国人集団の政治的言動のお粗末さなり、市井の韓国国民がしばしば見せる非文明的な言動なり、そういった夥しい事例がネット上に蓄積され共有されていったことが、えてして喧伝されがちな「近くて遠い国から近くて近い国へ」式の美辞麗句の虚構性についての社会通念を形成してゆく上で一定の成果を挙げたことは、もっと高く評価されてよいだろう。今や、日本にあって無邪気にも「韓国が好き」などと手放しで言い切れるのは、かの国の料理と芸能しか知らないミーハーだけである。逆に、極論すればこれを為し得た時点で所謂「嫌韓」はその役目を終えたのだと思う。
皮肉なことに、これら一連の過程に於いてすら、当の韓国は徹頭徹尾脇役であり続けた。彼らの為す所とは即ち「知れば知るほど嫌いになる国」という当たり役を素のままで演じ切ることでしかなかった。何故なら、夙に言われ続けて来たように、日本の「嫌韓」大衆の多くにとってより重大な関心事は、これまで韓国に関するネガティブな報道を手控えて来た他ならぬ日本国内メディアの姿勢だったからである。「ありのまま」の韓国報道を求めるそうした大衆の欲求の変化を、メディアももはや無視し得ないところまで来ている。間もなく竹島の日がやって来るが、竹島の日条例成立当時の関連報道などはその見本だった。ニュースやワイドショーなどでコメンテーターが李承晩ライン以来の韓国側のやり口を真正面から非難する場面など、10年前にどれだけお目に掛かれただろう。
所詮商業メディアは大衆のニーズには勝てない(逆に言えばこれは公共放送たるNHKが国内外の反日勢力のターゲットにされ易い所以でもあるが)。メディアがどれだけ「韓流ブーム」なるものをでっち上げてみたところで、それこそ「熱し易く冷め易い」大衆に飽きられればそれで終わりである。「韓流」が去れば「嫌韓流」も去る。「嫌韓」とは畢竟そうした日本メディアの歪んだ韓国観の鏡像に過ぎないからだ(老婆心ながら所謂「嫌嫌韓」な人々はこの事を肝に銘じておいたほうが良い)。
「嫌韓」は自律的発展をしない
ところで、しばしば世間で十把一絡げに「嫌韓」と称される潮流には、ごく大雑把に分けて以下の3つの傾向──段階と呼んでよいかどうか──がある:
2chなどで謂う所の「嫌韓厨」。この傾向の人々はニュースやスポーツ中継などを通じて得た「韓国ウザイ」程度の認識しか持っておらず、韓国人とはどういう生き物であるかについての知識ないし「経験値」が総じて不足している。が、さればこそ韓国ないし韓国人(在日含む)に関する日本国内の報じ方の異常さに対する反応は際立ってナイーブかつ尖鋭であり、またその点に関する限り彼らの批判の概要自体はあながち的外れでないことが多い。
「戦闘的対話」路線。この傾向の人々は、基本的には「日韓関係の現状打破には個人レベルでの対話による相互理解の積み重ねが重要」だと考えている。が、韓国人の主張の論理破綻・情緒先行・虫の良さに対しては一切のトレランスを示さないという只一点に於いて、若宮啓文的思考と決定的な一線を画している。
「生態観察」路線。この傾向の人々は韓国人をそもそも対等の対話相手と見做さず、従って日韓間の相互理解なるものの必要性もさほど認めておらず、もしくは相互理解などとうの昔に諦めている。但し、「韓国という国への向き合い方・対処の仕方」を考える上で韓国人独特の思考様式・習性を知悉しておくことが不可欠だと考える傾向は(2)の「戦闘的対話」路線の人々に劣らず強く、従ってそうした基本的素養を欠いた「食わず嫌い」に対しては冷淡。ついでにいうと、韓国人のものの考え方を読み解く上で欠かせない「ウリ」とか「恨」とかの概念についてある程度以上まとまった正確な理解を持つに至っているのはこの傾向の人々だけである。
無論これらは大まかな傾向を示したに過ぎず、またこれら3者の間に明快なボーダーラインがあるわけでもないが、「嫌韓」なる現象を外から眺めた場合に最も目に留まり易いのが(1)であるのは言うまでも無い。昨年あたりから俄かに活発になり出した一部既存メディアによる「ネット右翼」バッシングに於いて槍玉に挙がり易いのも(1)である。実際彼らの場合もともと大した理論武装をしているわけでもないから、直情径行型・脊髄反射型の言動や基本的な事実誤認も多く、従ってこれだけでは言論の質に於いて韓国側と大差無い。これが(2)や(3)になると本人たちは必ずしも韓国及び韓国人を「嫌って」おらず、従ってこういう傾向を「嫌韓」に含めるのは厳密には誤りである。
ここで、「知れば知るほど嫌いになる国」の困った点は、幾ら「知って」もそれだけでは(1)が(2)や(3)に発展して行くことは稀だという点だ。前述のように多くの人々はある程度「知った」時点で「お腹いっぱい」になってしまい、その先が続かないからである。「ありのままの韓国」には「致死量」がある。
こうして多くの人々が「やれやれ呆れた国だね韓国は」という段階で思考停止してしまうに至る。これに対する「嫌嫌韓」サイドからのカウンターアタックはどうかと言えば、旧態依然「日本の軍国主義がアジアの人々に与えた精神的苦痛」とやらを引っ張り出して来て日本人に一方的なトレランスを求めるに留まっていたり、そうかと思えば日韓双方の留学生や一部在日などによく見られるように「等身大の韓国人像」論もしくは「裸の付き合い」論とでも呼ぶべきものに逃げ込んでしまい、肝心の「個別に見れば必ずしも悪い人ばかりでない韓国人が集団を成したときに何故ああいう異常な群集が出来上がるのか」という点については一貫して言及を避け続ける、といった例が殆どである。これでは両者の主張が平行線を辿るのも無理は無い。かかる事態は「嫌韓」及び「嫌嫌韓」いずれの側にとっても斉しく好ましからぬ事態に違いない。
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業務連絡: 最近拙blogからTrackbackを受け取った方はおいでですか
http://subakdoduk.exblog.jp/3898198/
2006-07-07T14:05:00+09:00
2006-07-07T14:15:40+09:00
2006-07-07T14:05:30+09:00
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未分類
つい3日ばかり前に私のところに「トラックバック代行サービス」なるものからメールが来ていました(詳細はこちら)。この際ですのではっきりさせておきますが私はこんなサービスに登録を申し込んだ覚えはありません。PingはTechnorati一つで間に合いますし、無差別にクソTB投げまくる行為については寧ろそういうblogに軽く殺意を覚えるクチですし、第一サボってるblogからTB飛ばしても何にもなりませんし(泣)。
以前も島根サイトの件で当blogを騙って方々にTB打ちまくった不心得者がおりましたので或いは今回もその類かも知れません。2006年4月から本日7/7までの間に当blogからTBを受け取った方がいらっしゃいましたら、それはニセモノですので容赦なく削除なさって下さい。お手数をお掛けして恐縮ですが宜しくお願い申し上げます。以上
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虎の子のミサイル大放出でもNPC扱いはそのままの哀れ。
http://subakdoduk.exblog.jp/3898006/
2006-07-07T13:25:32+09:00
2006-07-07T13:25:32+09:00
2006-07-07T13:25:32+09:00
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時事ネタ一般
今回北が放ったミサイルの中にテポドンが含まれていたのがジョンイルくんお得意の米への屈折した愛情表現(笑)なのは明白ですが、腕っ節はめっぽう強いのに蜂に刺されただけで泣き出してしまうガキ大将のようなあの国が自らの本土にまで届くミサイルの発射実験を目の当たりにして通り一遍の抗議や遺憾表明で済ませるなどあり得よう筈も無いでしょう。
このことは取りも直さず、日本国内で過去数年間続いて来た「単独での経済制裁に効果があるか無いか」式の小田原評定が自ずと立ち消えになることを意味します。この国が「主権国家とは何ぞや」という宿題をまたも未完成のまま提出する羽目になってしまったのは恥ずかしい限りですが、今回のミサイル劇を皮切りにこれまで遅々として進まなかった拉致問題解決の為の対北圧力の強化が一瀉千里に進むであろうことの意義を今は多とします。本来なら万景峰の入港禁止については今回のミサイル発射のずっと前から実行の大義名分は十分すぎるほどあった筈で 寧ろ遅きに失した感が拭えません(遅くともかの偽遺骨騒動の時には発動していなくてはならなかった)し、総務省が全国139の自治体に総聯関連施設への適切な課税を指示した件に至っては対北制裁云々以前の常識の問題なのですが、経緯はともあれどうにか帳尻は合ったかという所。
一方北朝鮮が今後もミサイル発射を続けると言明しているのは有難い事です。北曰く、「日朝平壌宣言や核問題をめぐる6か国協議の共同声明のような合意には拘束されない」。ならず者国家もとい国家未満の面目躍如ですか。わはははは。南北を問わずかの民族のオツムがどういう具合に出来ているかについては改めて触れるまでもないでしょうが、この期に及んで尚こういう輩を相手に「対話と圧力」だの「平壌宣言を守れ」だのを繰り返しておいでの某国の宰相などは己のボキャブラリーの貧困と戦略眼の無さを恥じた方が良い。この人に最も欠けているのは「いま日本は北朝鮮そのものを相手にしているのではなく北朝鮮の頭越しに支那と戦っているのだ」という自覚です。支那と言えば7/5付で外交部の劉建超が僅か2段落の短い談話を出していますが、これを見ても今回の一件が国連安保理に持ち込まれることを支那がどれだけ嫌っているかは一目瞭然。これで支那が安保理で拒否権行使に踏み切れば自らもテロ支援国家の誹りは免れず、決議に賛成したらしたで自らがホストを務める6者協議が茶番に過ぎないことを自ら認めたも同然。中南海も今頃はさしずめ出来の悪い息子を持った親の心境でしょうが、日本も他人の心配ばかりしていないでそろそろ「やれば出来る子」を卒業する潮時でしょう。
北朝鮮 ミサイル テポドン 経済制裁 安保理 支那
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【竹島】ご報告:dmoz側が島根サイトの説明を幾らか改善した件
http://subakdoduk.exblog.jp/3376014/
2006-03-22T14:37:56+09:00
2006-03-22T14:37:56+09:00
2006-03-22T14:37:56+09:00
xrxkx
竹島
※MSIMEって「ごほうこく」を変換すると「ご報告」より先に「呉邦国」を出して来る癖がいつまで経っても直りません。これはM社の嫌がらせですか -_-;
今からちょうど一ヶ月前のエントリでdmoz.orgに問い合わせた「島根サイトの説明がヘン」その他の件、長らく放っておかれていたのですが、dmoz側がようやく対応したようです。私は此処何日かチェックをサボっていたのですが、昨日読者の方からコメントでお知らせ戴いて確認してみましたところ、問い合わせのステータスに関しては
Status
Report 618a7a6b28b582d7cf7c1860493653e4 was submitted on 2006-02-21 08:51 .
Its current status is resolved - This report has been resolved. We do not disclose the details of our findings, but if abusive editing was found it will be rectified. Thank you for your report. :)
となっています。(ちなみに、たとえ問い合わせそのものは英語版フォームから行ったとしても ステータス確認は日本語版のフォーム頁からも出来るようです。「そこまで相互乗り入れが出来ているなら 質問も日本語でよかったんじゃないか」とか一瞬思いましたが、まぁいいかw)
で、dmoz側が問い合わせ内容をどのように "resolve" してくれたかというと、まず"Society: Issues: Territorial Disputes" の頁には "Dokdo" のエイリアスとして "Takeshima" が新たに作られていました。それからその "Dokdo" の頁に掲載された島根サイトの説明文も
Takeshima is Japanese Territory - Sponsored by the Shimane prefectural government in Japan and defends Japan's claim to the islets, named Dokdo by Korea. Includes general information about the island, and historical territorial issues and chronology.
と書き換えられています。「取り敢えず島の名称については両論併記する形に改めた」という点だけは評価しますが、他のサイトの説明と読み比べてみれば相変わらず「Takeshima云々は日本政府がそう言っているだけ」というトーンが拭い切れないなぁという感は否めません。ついでに細かいことですが、以前は2番目だった筈の島根サイトの順位を3番目に下げてあるのが気にならなくもない。
というわけでdmozの記述内容全般については今なお必ずしも満足の行く出来とは言えないのですが、それより重要なのは「こちらがきちんと抗議すれば向こうも対応する姿勢は見せている」という点でしょう。やはりこういう時に言うべきことを言わずにいるのは罪だな、というお話。
ちなみに、dmoz側の頁説明の変更結果は Googleには今のところ反映されていません。これはこれで暫く見張りを続ける必要がありそう。
tags:
竹島
Takeshima
Google
Open Directory Project
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【WBC】日本の優勝に一番花を添えてくれたのは実はボブだったんじゃないかという気がする件
http://subakdoduk.exblog.jp/3373460/
2006-03-21T23:05:05+09:00
2006-03-21T23:05:05+09:00
2006-03-21T23:05:05+09:00
xrxkx
雑記
納得行かないジャッジはあったわけだけれども、それを甘んじて受け入れた上でニッポンは世界一になったのだからヨシとしよう。東京裁判もかくありたいものだと思った。「不当であり無効ニダ」とか言っていては一流にはなれんのだなぁ結局。
試合運びの詳細はこちらを御参照あれ。まぁ正直言ってあのキューバに勝てるとは思ってなかった。本当にめでたい。
東京大空襲の日以来あれこれ思うところがあり、其処へまた岩国の件などが重なったりして心中鬱勃たるものが澱のように溜まってしまい、恒例の「書けない病」に陥っていたのですが、久々におめでたい気分の♪すいか泥棒は飲み慣れないお酒を少し飲んでアタマがヘンです ヽ(゚∀゚〃)ノ~♪
どうでもいいこと
王監督の髪の毛が薄くなっていてびっくりした。まぁ、私が物心付いた頃には既に伝説の人だったのだから無理も無いけれど。
あと、試合の合間々々に流れるCMにも王さん出てたけれど、相変わらず演技が出来ない人だなぁ。こちらの方は「♪ぷーれぇーとー蹴ーってー 投ーげ込ーむぼーぉーるー」の頃からあまり進歩してないみたいだ(笑)。そもそもこういう劇的な人生の主に「演技」をさせる必要があるのかどうか。
逆に選手の方には髪の毛多すぎの人が何人かいたようで。別に「スポーツマンたるもの云々」とかいう野暮な話をしたいのではなく、本人たちがアレを気に入ってるなら好きにすればいいけれど、見ていて「スポーツ関係無しに普通にアカヌケナイぞコレは」と思うのもこちらの勝手。
私はイチローが左打者であることすら今日になるまで知らなかったくらいプロ野球には疎いのだけれど、今日見たイチローの印象は ずっと前にCMだか何かで見た時の「いまふうの小僧」とは歴然と違って、すっかり「立派なスポーツマン」になっていてびっくりした。試合後の写真撮影か何かの時に相手チームの選手と肩を組んで談笑しているシーンは衒いが無くて好感が持てました。とてもああは行かなかったであろう何処かの国との対戦を準決勝のうちに済ませてしまってよかったよ。
そういえばそんな国もあったんだった
忘れるところだった(笑)。もとい、忘れておけばよいのに思い出してしまった。たしか「相手が日本なら100回やっても負けない」とか言っていたのでしたっけ?
【WBC】韓国、イ・スンヨプ、「ルールが間違っている」 「ルールの間違いで脱落した」 [3/19]
日 WBC幸運の優勝(ノーカットニュース 03/21)
竹島の件で国際司法裁判所に出て来ないのも「ルールが間違っている」せいなのでしょうねぇきっと。
あと、2番目のノーカットニュースの方には「キューバは準決勝の対ドミニカ戦で手持ちの投手陣を使い果たしてしまっており云々」というお約束のくだりがありますが、準決勝までで消耗してるのは日本も同じじゃないの? そうでないなら何処かの国は「戦力を温存したままの日本」に準決勝で6-0で負けたことになるわけで一層立場無しだな。まぁいいや。
その辺のネタは他にもコレでもかというくらいあるらしいのでこの辺を御参考に。ああいうスポーツマンたる資格のない民族のことをわざわざ思い出して折角の高揚感を台無しにしたくないので今回はこの辺で。
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