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東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて

戦後「保守」を自称する親米派の歴史観が大東亜戦争終結を境に捻じれている、という点について、今まで慰安婦決議案の話の途中で何度か言及して来た。これについては以前から私の立場を一度まとめておいたほうがよいかも知れないと思っていたので、物凄く大雑把な図を何枚か描いてみた。



東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて_a0026107_22231589.gifこの場合、登場人物として最低限必要なのは日米ソの三国だけである。支那も朝鮮も、その他の「アジアの民衆」もここには出て来ない。特に支那が出て来ないのは大雑把過ぎるように見えるかも知れないが、このことについて触れだすと長くなりすぎるから、いずれ別エントリで詳しく触れることにして、ここでは戦前と戦後を通しての《日本の立ち位置》の大枠を示すにとどめる。



さて、この三者の関係だが、赤く塗ったのがヤルタ会談当時の「聯合国」であり、青く塗ったのが冷戦期から今日に至るまでの所謂日米「同盟」である。当然ながらアメリカはその両方に属している。何だかこうして見ると日本とソ連とでアメリカを奪い合っているように見える。



コミンテルン史観


東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて_a0026107_22234392.gif図(1)に於ける切り分け方を冷戦当時の左翼の眼で見るとどう見えるかを示したのが図(2)である。はじめに一つ注意しておくと、ここで謂う所の「左翼」からは、戦後の所謂新左翼や社会民主主義者、ユーロコミュニストなどは一応除外して戴きたい。彼らの立ち位置はまた違う。歴史的に左翼陣営というのは当世の日本の若い世代が一般に想像するような一枚岩ではなかった。無論、当世の日本のサヨクに至っては論外である。



白および灰色に塗った部分がそれぞれ「正」および「邪」とされることを表す。コミンテルン史観で言えばソ連は当然ながら戦前・戦後とも「正」である。この見方で行くと日本は戦前の「軍国主義」の時代も冷戦期の「米帝の走狗」の時代も一貫して「邪」ということになる。



さて戦前と戦後で色が違うのがアメリカである。ヤルタ会談当時のアメリカは「反軍国主義・反ファシスト」陣営の一員なので「正」である。一方で、冷戦期のアメリカは「帝国主義」陣営の一員(いや親玉か)なので「邪」である。日本の敗戦後、徳田球一だか宮本顕治だかがアメリカの占領軍を「解放軍」と呼んで万歳を叫んだそうだが、その彼らが同じアメリカの「帝国主義」を非難するのは、アメリカのその時々の立場をコミンテルン的立場からどう評価するかという《クレムリンの御都合》を反映しているに過ぎない。無論、実際にアメリカの対アジア政策が戦前と戦後とで本質的に何か変わったかといえばそんなことは全然無い。



GHQ史観


東京裁判史観がもたらす日本の歴史的立ち位置の捻じれについて_a0026107_22244042.gif同じ図(1)が人によってはこう見える、というのが図(3)である。三国の切り分け方は(2)と同じ。右半分の色の塗り方が図(2)と逆になっているだけである。ここではアメリカが一貫して白すなわち「正」になる。



この見方に立つ人々は、日本国内で「保守」派を自称する人々の中にも存外多い。戦前の日本は「軍国主義」だから「邪」、戦後の日本はアメリカと「自由と民主主義という価値観を共有」する「同盟国」なので「正」というわけだ。靖國問題を巡って、自称「保守」派の中からすら「A級戦犯」分祀論がしばしば出て来る所以である。



まとめ


図(2)および(3)の左側こそが、即ち世間でしばしば「東京裁判史観」と呼ばれるものである。一目で分かるように、この図の最も胡散臭い点は左側のソ連が白く塗られている点である。即ちあのスターリンを「民主主義」陣営の一員に加えている点である。



何せコミンテルン史観のほうはもともと共産党独裁の確信犯の立場から出て来るものだったわけだから、スターリンを「白」とすることの非を論ってみても無意味だろう。問題は「保守」派を自称する人々の中にも「東京裁判史観」を前提に日米関係を論じたがる者がゴマンといるという点である。



彼らの歴史観の中には「日本」が無い。少なくとも東アジアに於ける国際政治の極としての日本が無い。あるのは「アメリカにくっついている日本」と「そうでない日本」だけである。戦前の日本はアメリカ様に歯向かったから敗れた。戦後の日本はアメリカ様の「自由と民主主義」の信奉者であり続ける限り安泰である。それだけのことである。これの一体何処が「保守」なのか。



これも以前何度か触れたが、2005年のブッシュ演説に於ける「3つの誤り」批判──3つとも要は「独裁者との妥協」の誤りであるが──の3つのうちにヤルタ会談が含まれていたことの重大さは、まさにこの文脈で考えなくてはならない。スターリンのソ連を「白く塗った」ことがスターリン主義という怪物を肥え太らせ、結果としてあの東西冷戦をもたらしたという事実を、冷戦の生みの親の一人であるアメリカを代表して同国大統領自ら指摘したことの意義は大きい。日本はこうした動きにもっと敏感であるべきだった。戦後60年という節目の年に相応しい歴史観の転換を、日本人が自ら先頭に立ってやってのけるべきだった。当時の小泉総理にはその意志も才覚も無かった。



丸い地球を平らな紙の上に描こうとすると必ず何処かにその皺寄せを生じるのと同じように、現実には極めて多極的である筈の国際政治──上で見たような単純なモデルですら、東アジアだけで最低三極は必要──を強引に二極でとらえようとすると必ず何処かにほころびを生じる。上述の「白いスターリン」が象徴するのはまさにそうしたほころびである。これまで幾たびとなく触れた所の、第2次世界大戦を「民主主義のファシズムに対する戦い」と位置づける虚構は、まさにこのほころびを覆い隠すことによって、ソ連崩壊後十数年を経た現在もなお生き続けている。此処でいよいよ支那について触れなくてはならなくなる。(つづく)


by xrxkx | 2007-03-19 22:26 | 雑記