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天木直人「慰安婦問題を騒ぎ立てても日本は勝利しない」読後所感
(先に天木氏の件の文章からお読み下さい)

自ら官を辞し外交の現場を離れて久しい天木氏のことである。多少ヤキが回るのは致し方ない。が、上の文章から垣間見られる氏の人間像は、彼の思想信条への賛否以前に、人として憐れである。一つの憎悪で心が満たされると、人間というのはかくも堕ちるものか。



冒頭からして「慰安婦問題について私はこのブログで論ずるつもりはない。不毛な論争に時間を使いたくないからだ」である。おそらくこの問題の生い立ちのいかがわしさについては氏もよく分かっているのだろう。それは彼にとって「不毛な論争」に見えるらしい。さすがに「従軍慰安婦」だ「性奴隷」だといった《為にする造語》をこれ見よがしに用いてみせるのを避けるだけの節度と良心を氏が備えているらしいことは一つの救いではあるが。



周知の通り、天木氏は駐レバノン大使時代にアメリカによる対イラク戦に日本が加担することに断乎として異を唱え、遂には官を辞するに至った人物である。氏が当世の日本政府の対米盲従ぶりを批判するなら、即ち《アメリカ様の鶴の一声》に頭の上がらぬ日本であってはならぬと考えるなら、なおのこと彼は「グリーンなどという男が何を言おうが構わず、日本は自ら正義と信ずる所を堂々と貫くべきである。相手がアメリカであれ何処であれ不当な非難や要求に屈してはならない」と声を大にして主張すべきではないか。本来そういう人物なら、慰安婦問題という日本の国家および国民の名誉に関わる一大案件を「不毛な論争」の一言で放り捨てるような無責任な真似はできない筈である。氏は曾ての自らの進退を賭けた戦いの経歴に自ら泥を塗っている。



2004年秋の園遊会の折だったか、国歌・国旗の問題で「強制でないことが望ましい」なるご発言を今上帝がなさったというニュースが流れるや、ある特殊な政治的傾向を持った人々の多くが、都教委憎しの一念のあまり、本来忌み嫌って止まない筈の天皇のお言葉を錦の御旗の如くまつり上げ、鬼の首でも取ったように都教委をこき下ろしていた姿の浅ましさを思い起こされたい。今上帝のサイパン御幸の折も然り、かの「富田メモ」の折もまた然りだった。現在の天木氏の姿は彼らと瓜二つである。「日本の為政者たちが最大の味方であるとあがめ奉る『米国要人』」が「日本を擁護できない」と言っているぞ、ザマアミロ、という屈折した痛快の念以上の果たして何物を上の文章から読み取れるか。




日本の政治の中枢には「保守派」を自称するただの親米派があまりに多い。「保守」論壇に於いてもまた然り。誰とは言わぬが遊就館の展示物の「反米的記述」を改めさせたと自画自賛に明け暮れる輩などはその最たるものだろう。



何度でも言う。今回のアメリカの日本に対する振る舞いは日本の「同盟国」としてではなく戦勝国としての、或いは占領国としてのそれである。上の天木氏の文章が掲載されたのと同じ03/09付でシーファー駐日米大使が「河野官房長官談話から後退すれば破壊的な影響を与える」などと穏やかならぬ物言いで慰安婦問題に言及し、日本への内政干渉まがいの決議案を批判するどころか逆に自らも進んで内政干渉まがいの発言を重ねている事実に鑑みても明らかなように、今回の慰安婦決議案騒動は、単に支那・朝鮮移民のロビー活動にハイジャックされた一部の州に於ける議員らの利害の問題などに矮小化してとらえてよい問題では決してない。



もともと日本という国が真の意味での独立を回復するには、大東亜戦争を巡る歴史観の面に於いて占領国たるアメリカとの間で遅かれ早かれ決着をつけねばならなかったのである。そのチャンスは過去に幾らでもあった。その都度日本は決断を先送りして来た。今度という今度はそうは行くまい。濡れ衣を着せられた先人らの無念を雪ぎその名誉を取り戻す為に国を挙げて戦うか、無実の罪を甘んじて受け、ワシントン幕府の忠実なる御家人たり続けるか、途は二つに一つである。日本は東京裁判をもう一度やるくらいの覚悟で今回の騒動に臨まねばならぬ。ホンダ某らの動きの背景に支那およびそのオマケによる反日策動があろうが無かろうが、そんなものは今やついでの事である。



翻って我が天木氏の自らの祖国に対する観察眼は、それらから何からひっくるめ十把一絡げに「慰安婦問題で威勢のいい事を言っている右翼の連中」に見えるまでに曇ってしまったらしい。上のようなやり方では、上述のような親米派の対米盲従に対する氏の批判の質が問われることになるばかりである。



慰安婦問題で威勢のいい事を言っている右翼の連中は日本の国益を良く考えたほうがいい。日本の国内で、慰安婦問題に理解を示す政治家や識者を威勢良く罵倒する事は勝手である。しかし米国へ行って、米語で、奴らに同じ事を言ってみるがいい。勇ましい事を言ってみたらいい。勝ち目のない戦を米国に挑んだ日本は、その結果どうなったか。愚かな経験は一度だけでよい。慰安婦問題に限っては、私はマイケル・グリーンに賛同する。


「勝ち目の無い戦い」を挑むといわれて思い出すのが、2005年のあの馬鹿げた郵政解散/総選挙の折のことである。あのとき、小泉前総理と同じ選挙区から無所属で出馬し、徒手空拳で一騎討ちを挑んで敗れたもと外務官僚がいた。多くの場合──具体的には「日本はアメリカによる対イラク戦に加担すべきでなかった」という一点を除いては──そのもと外務官僚の政治的立場は私とはほぼ正反対であったし、そもそもそれ以前に郵政民営化やさらには国政全般に対する特筆に足る定見を彼が持っているようには私には思えなかったが、それでも私は彼の自らの所信に対する《筋の通し方》までを一笑に付す気にはなれなかった。寧ろそういう愚直さを私は愛する。彼が今何処で何をしているかはともあれ、彼が今も自ら信じる正義に殉じるだけの覚悟を持った《愚かな硬骨漢》であり続けていてくれることを願ってやまない。


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by xrxkx | 2007-03-15 23:46 | 雑記