さて少々時機を逸した感はあるが米下院のマイク・ホンダらによる慰安婦決議案の件。「20万人」などの陳述が目立つのを見ると、ホンダらはおそらく慰安婦側の主張を鵜呑みにしており自身ではさほどの勉強はしていないだろう。明らかに「つくる会」を指すと思われる教科書批判が織り込まれているのも目を引く。バックにどういう団体がいるかおおよそ察しがつこう。慰安婦らを呼んでの公聴会を今頃後付けでやるというのもどうかしている。
彼らが日本政府に謝罪を求める上での拠り所は事実上「河野談話」一つであるらしい。今月5日に讀賣が報じた所では加藤良三なる駐米大使が米下院外交委の某小委員会委員長宛に同決議案採決反対の書簡を送った由。「日本政府がすでに慰安婦問題に関する責任を認め、謝罪を表明してきたことなどを説明」したのだそうな。「既に謝罪した」ではまたしても「言葉ではなく行動を」とネジ込まれるだけだという、それこそ盧武鉉でも分かるほど簡単な事が、日本政府高官には何故分からぬのか。
とはいったものの、である。確かに外務官僚の無為無策や不誠実を詰るのは容易だが、彼らとて「足を縛られている」のだ。肝腎の内閣がかの河野談話を踏襲すると言っている状況で現場の外交官にこれ以上の働きを求めるのは酷だろう。河野洋平の罪は万死に値するが、第一義的な責任はかかる徒輩を──そして今日に至るまでその始末を付けられずにいる全ての政治家を──国会に送っている私たち国民にある。
今からでも遅くはないから、安倍総理は河野談話を公式に撤回し、当時の調査は勿論今日に至るまで「軍または官憲」による強制性を立証するに足る証拠は何一つ示されていないことを全世界に向け堂々と主張すべきである。祖国防衛の為に尊い命を捧げた先人らに不当にも着せられた汚名を雪ぐ努力を総理自ら怠ったままで、次の世代に「国を愛する心」など説いてみても虚しい。
そういえばあの2005年春のバンドン会議での「小泉おわび演説」の折にすら、少なからぬ「保守」系サイトがこう言っていた:「これでもう日本は謝罪しなくてよいのだ」。所謂「小泉信者」──これももうそろそろ死語だが──による「アバタもエクボ」の極みである。あのとき私はこう書いた:「日本は大東亜戦争に二度負けたのだ」。果たしてどちらが正しかったか。
仮に件の決議案を安倍総理が丸ごと受け入れたとしたらどうなるか。曾て「小泉信者」がやったように、今度は「安倍信者」が「これでもう日本は…」とやり出すのかも知れない。賭けてもよいがそんな事で支那や朝鮮は矛を収めたりはすまい。次は「天皇が謝罪せよ」と言い出すのは目に見えている。
彼らにとって日本の譲歩は妥協の糸口ではなく、更なる譲歩を引き出す足掛かりに過ぎない。そしてその都度「人道的観点」から日本国民の血税がドブに捨てられる。かの「アジア女性基金」のように。
支那や朝鮮の反日策動の前に一切の妥協や弥縫策は有害無益である。河野談話などはその典型だ。あの93年の調査で「強制性の証拠無し」と出た際に政府が毅然とした対応を取っていれば、その後の慰安婦騒動の展開は180度変わっていただろう。
先にバンドン会議の話に触れたが、その直後の2005年5月だったか6月だったか、ブッシュが確かラトビアのリガで演説した際にヤルタ会談の誤りに言及したことがあった。
第2次世界大戦時、欧米先進諸国がヒトラーを倒す為にスターリンと手を結んだことがのちの東西冷戦を生んだ。一人の独裁者と戦う為に別の独裁者と手を結んだ結果がこれである。が、愚かにもアメリカはその東西冷戦下に於いても支那との国交「正常」化という同じ過ちを繰り返した(こちらについてはブッシュは上の演説では何も語っていない)。
こと対極東政策に関する限りアメリカはオレンジ・プランの時代からかれこれ100年以上一貫して同じ過ちを繰り返している。援蒋ルート然り、対支国交「正常」化然り。現在に於いてすらアメリカが時として「同盟」国たる日本に対する以上に支那に甘いのは、彼らアメリカ人が支那のプロパガンダに対しあまりに無防備なるが故であり、さらに言うなら西洋人の宿痾とも言うべき支那への買いかぶりの為せる業である。
周知のように支那人はプロパガンダにかけては世界一流である。彼らは都合の良い時だけ「侵略の被害者」を演じる術に長けている。支那が世界で最も「侵略の被害者」を名乗る資格に乏しい国家であることは、現在進行形の侵略である所のチベットや東トルキスタンの例を挙げるまでも無く明白だろうに、である。朝鮮人はプロパガンダに於いて支那人に比べ遥かに稚拙ではあるが、それでも「侵略の被害者」を演じるうまみだけは覚えた。支那の尻馬に乗って大声を上げるだけの役だから楽なものである。
マイク・ホンダは朝鮮のみならず支那でも大層な人気だそうな。米国内の「人権派」が世界最大の人権弾圧国家のプロパガンダのお先棒を進んで担いでいる図というのは笑えない冗談である。凡そ世の中に《無知な正義漢》くらい始末に負えないものは無い。
第2次世界大戦を「ファシズムに対する民主主義の戦い」だったとする世界規模の虚構は今も生き続けている。いい目を見ているのは専らファシストといい勝負の独裁国家ばかり。逆にいつも割を食っているのが日本である。まずこの虚構に日本は敢然と立ち向かわなくてはならない。独裁国家風情に「日本はドイツに学べ」などと言われて平身低頭していてはいけない。「日本をナチスドイツと一緒くたにするな」と言い返さなくてはいけない。
上述のブッシュ演説などは日本にとってまたとない追い風だった筈である。小泉前総理にはそれを活かす意志も才覚も無かった。ことごとくその逆を行った。まぁ靖國で「不戦の誓い」とやらをやってのける御仁にそんなものを期待するだけ無駄だが。
問われているのは大東亜戦争に於ける日本の大義である。まずは対日戦勝国──支那のようなまがいもの(ましてや朝鮮に至っては論外)でなく正真正銘の──たるアメリカに対してこれを堂々と主張しウンと言わせなくてはならない。それが出来ぬというなら日米「同盟」などという恥ずかしいことは口にせぬがよい。此処を避けて通る限り日本は永久にアメリカ様に頭が上がらないのである。支那は勿論のこと、朝鮮の売春婦風情にまでそれを見透かされているからこそ、今回の慰安婦決議案のような事がひっきりなしに起きる。
河野談話の全否定とは煎じ詰めれば日本の大義を取り戻す道のりの一歩に過ぎない。懸案は慰安婦だけではなく「強制連行」の問題もあれば南京事件も靖國もある。日本がGHQ史観に真っ向から立ち向かう覚悟を持たぬ限り、これら諸懸案が根本的に解決されることは無いだろう。今や支那・朝鮮の事はそのついでに過ぎない。
おまけ
あまりニュース記事の追っかけをやりたくないこともあり、暫くこんな感じのメモ的な書き散らしが続くと思いますがご容赦あれ。文体、「です・ます」よりこっちのほうが楽だなぁ。どうしようかな。
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