今朝見た記事からもう一本。以前から鳥取人権条例廃止運動をやっておいでの方々が、オンラインでも署名を集め始めた由。こういうのがネット上で力を持って来るのは本当に嬉しい。
- 鳥取人権条例廃止のため署名にご協力お願いします (メタモルフォーゼ・ニッポン 03/08)
署名の送り方など詳細は上記リンク先をご覧戴くとして、SEOの意味で当blogからも件の署名を募っているサイトにリンクを張っておきます。「鳥取のココロと未来 - 鳥取人権条例反対インターネット署名」。ここです。03/19〆切だそうですのでお早めに。
先頃「無期限凍結」で一応の決着を見たかに見えた鳥取人権条例が 何故こういつまでも息絶えないのかについては、同じくメタモさんの所の03/03付「鳥取人権条例凍結回避に向け動き出した解放同盟」に詳述されていますので、是非とも上の「署名にご協力お願いします」と併せて御一読戴ければと思います。日本国民でもない、日本国民たろうともしない在日らが人権委に名を連ね、地方行政に嘴を挿もうとしている構図がありありと見て取れる点は、かの三重県の例と全く同様でしょう。解同を筆頭とする差別利権屋集団からすれば自らの《被差別ステータス》を高める上で在日はお誂え向きのアクセサリーであり、逆に民団・総聯から見れば自らの政治的要求を通すうえで参政権を持つ「同和」団体の力が不可欠。日本という国の根幹を蝕むこれら2種類の勢力が、自分たちだけの間に謂わば絶妙の「多民族・多文化共生型社会」を作り上げているのはまことに興味深い現象ではあります。
以下 脱線。
むろん上述のような動きが解同や民団・総聯の間だけのママゴトに収まるならば特に怖れるに足りないのですが、問題は上述のメタモさんの所の「署名お願い」エントリに指摘されているように
…また、数もさることながら、彼らが署名を集めに回れば、「人権条例成立のために署名しない人間は差別者」という解放同盟の暗黙のプレッシャーが地元の人達を襲うことは容易に想像できます。
という点。人権ファシスト連の全ての奇術のタネが此の一点に凝縮されていると言ってよいでしょう。ややもすると「差別反対」が錦の御旗たり得る風潮はこの国に於いて決して過去のものとなったわけではありません。こうした風潮を根絶できるか否かは、結局のところ私たち日本国民ひとりひとりがいわれ無き「差別主義者」のレッテル貼りに胸を張って応戦し得るか否かに掛かっているのであり、その為には戦後数十年に亙って日本を覆い尽くして来た階級闘争史観(=渡部昇一らの謂う所の「一揆史観」)への仮借の無い批判が必要なのでしょう。
むろん日本のみならずアメリカあたりでもracistの烙印を押されることは政治的な死を意味しますが、ああした国に於いて白人が今なお人種差別の問題を腫れ物扱いしているのは実際に奴隷制という大航海時代以来の歴史の恥部が今も社会の底流で脈々と生き続けているが故です。それとは対照的に、解同や在日の謂う所の「階級差別」「民族差別」などは寧ろ彼ら自身の演出によって存在し続けています。彼らの全ての利権の源泉として、です。
両者のそうした違いを意図的に伏せたまま「閉鎖的で排外的な日本社会」を国外にまで印象づけようと狂奔しているのが、他ならぬ昨年夏以来ちょこちょこと顔を出している国連人権委員会のディエン報告であり「また大西か」であると言ってよいでしょう。曾て階級政党としての左翼(特に石橋正嗣~土井たか子時代の社会党)がその退潮に伴い「市民」運動としてのサヨクへと再編されて行く過程で、それと呼応して珊瑚朝日新聞をはじめとするメディアが「慰安婦」や「強制連行」などの虚構を生み出し教科書問題をでっち上げ靖國参拝を国際問題化して行った経緯がありました。藤岡信勝ふうに言えば「未来を語る言葉を持たなくなった左翼が過去に活路を見出そうとする」構図。人権条例(ひいては人権擁護法案)推進派にとっての「策源地」には決まってそれら「暗黒の日本史」があります。事が鳥取一件一県の問題では片付かない所以です。