【民団】続・自ら拒み続けた日本国籍取得を一転して「権利」と言い出す欺瞞。

昨日の三一節の盧武鉉演説は事のほか見所に乏しく、あれで記事1本書く値打ちは無いでしょうから簡単に済ませます。


もともと三一節というのは日本統治からの独立を求める運動(らしきもの)を記念していた筈ですが、昨今では逆に「韓国が未来永劫日本への依存から抜け切れないこと」を再確認する為にやっているのではないかとすら思えて来るほど、日本への注文ばかりが並ぶ演説が多いのは皮肉なことです。


昨年の三一節に盧武鉉が対日賠償請求──1965年の日韓基本条約締結時に「完全かつ最終的に決着」した筈の──に言及したのですが、今年の演説にあった「日本は既に謝罪した。我々は更なる謝罪を求めない。謝罪にふさわしい行動を求めるだけである」というのはその路線を踏襲するものでしょう。こうやって決着済みの事案を蒸し返し「たかれるだけたかる」ことを恥としない辺り、支那──特に江沢民以後の──の対日外交を多分に模倣したフシが見られます。


こういう所で日本が朝鮮や支那に無用の外交的「配慮」を見せることが如何に高く付くかという見本を私たちは目の当たりにしていることになります。そうした「配慮」は日本の対鮮・対支外交関係を好転させるどころか、逆に支那・朝鮮を慢心させ彼らの対日要求をエスカレートさせるばかりだということを、日本政府および国民はいい加減に悟らなくては困ります。今回の盧武鉉演説の文脈に於ける「謝罪にそぐわない行動」の筆頭が靖國参拝であることは言を待ちませんが、こういう所で日本側が断じて譲歩してはならない所以です。


特に朝鮮人の場合は支那人と異なり必ずしも利害得失の計算に基づいた外交をしません。支那人は自らが劣位と見れば正面からの勝負を避けるだけの智慧をまだしも備えていますが、朝鮮人にはそれが無く、只ひたすら自らの「自尊心」を満たそうとするだけです。劣勢と見れば自らの不明を棚に上げて他者への恨みばかりを募らせ、優勢と見れば打って変わって居丈高な態度に出るのが、長く「小中華」に身を置く中で染み付いた彼らの習性です。こうした人々との間に安定した外交関係を築き得る余地があるとするならば、それは彼らに我が方との力の差を存分に見せつけ彼らに敗北感を植え付けた後だけです。残念ながら当世の我が国の対鮮外交は悉くこの逆を行っています。




さて海の向こうの天下一大統領のことなど放っておいて(笑)、前回取り上げた民団新聞統一日報の「在日同胞のホットポテト 帰化-誰のための選択か」ですが、今回は同じシリーズの「中」に遡ってみようかと思います。この「中」では、帰化賛成論の立場から、


  • これまで頑なに帰化を拒み続けて来た民団の路線への批判

  • 帰化反対論に対する「代案」

  • 日本国籍取得によって得られる御利益


が述べられているのですが──。




帰化拒否は在日の対日コンプレックスによるもの


「中」では その冒頭で、在日社会に於ける「代表的な帰化賛成論者」に こう言わせています:



代表的な帰化賛成論者である韓昌祐マルハン会長は五年前の帰化当時の心情を「率直に言って貧しい家に生まれ、金持ちの養子に入っていくような妙な気持ちはどうすることもできなかった」と表現した(昨年12月の海外在住韓国人問題研究所フォーラムで)。




同じ人物が、末尾では更にこうも言っています:



韓会長は「在米同胞が米国国籍を得て2重国籍者になることには寛大なのに、どうして在日韓国人は日本国籍を取ると批判の対象になるのか見直す必要がある」とし、「在日韓国人は盲信的な愛国心や民族主義を捨てて、日本に対するコンプレックスも敢然とふるい落とさなければならない」と力説した。



在日社会で重きをなす人物のこうした発言が如実に示すように、在日の帰化拒否の原因は専ら在日自身の対日コンプレックス、もしくは上の韓某氏の言葉を借りれば「盲信的な愛国心や民族主義」にあります。「民族のアイデンティティ」へのこだわりは人一倍持ちながら、日本社会に於いてそれを前面に出すことに彼ら在日自身が引け目を感じていたということです。そうした引け目の多くが曾ての「母国」の経済的な貧しさに起因していたという。これまで折に触れ述べて来たように、もともと朝鮮人が他者との優劣や力関係を病的なまでに気にする民族であるが故でしょう。そうとでも考えなければ、



賛成論者の提示する代案は、日本国籍を取得する時は本名でしようという「本名帰化」だ。


本名使用は自らには「韓民族」であることをいつも自覚できるようにするだけでなく、日本人に堂々と「韓国系」であることをアピールすることができるというのだ。


彼らは今なら本名帰化が充分に説得力を持つことができると主張する。


母国である韓国が世界経済の10大国に入る国力を持ち、時代の流れも国籍・民族よりグローバル化を重視する方向に推移していて日本もこれを受け入れなければならないからだというのだ。



とあるように、「本名帰化」と「国力」とを結び付けて考えたがる理由が理解できません。朝鮮人が何かにつけて誇ってやまない(筈の)「民族のアイデンティティ」を、皮肉なことに彼ら在日自身が卑しい出自と捉えていたということです。そのためにこれまでは名前まで内地風に名乗り、「民族のアイデンティティ」を自ら隠して来たのだという。今なら「母国」が豊かになって来たのでそういうこともしなくて済むという。それが従来の帰化反対論への「代案」なのだという。


これは専ら彼ら在日自身の心の持ちようの問題であって、日本社会にその責任があるわけではありません。現にアメリカ・カナダ・オーストラリアなどに移民する韓国人は大概が洋式の名前を平気で名乗っていますね。朝鮮人ほど他者との優劣や力関係を気にする民族が、日本に於けるのと同様の「コンプレックス」を白人社会で感じずにいられるとは到底思えません。にも拘らず日本に帰化する韓国人だけが無闇やたらと「本名」に固執するのは、煎じ詰めれば「創氏改名は強制だった」などの誤った歴史教育から来る抵抗感によるものなのか、それとも「母国は日本には追いついたが西洋に較べたらまだまだ遅れているから西洋に対しては未だに引け目を感じ続けている」ということなのか。


いずれにせよ、その辺は本人たちが好きにすればよいことです。日本社会の側からすれば、本名帰化などは難読人名が増えるだけで、さしたる弊害もありません(むろん「結婚後の姓をどうするか」など戸籍上の技術的な問題はあるが、そんなのは昔半島でやっていたようにやれば済む)。但し、誤った歴史教育そのものの方はそうは行きませんが。




韓国系日本人は「日本国民」たり得るか


日本社会の側から見て、今後帰化を望む在日が増えることそのものに支障は無いと私が考える理由は以上の通りです。が、そうした帰化が増えることに何の懸念材料も無いかというと、残念ながら必ずしもそうとばかりは言い切れません。「中」では、上の韓某氏に続いて別の在日がこう言っています:



申副会長も「もう過去のセンチメンタリズムで国籍を強要する時代は終わったと思う」と述べ、「帰化者がずっと同胞社会との紐帯を維持して、この問題のために悩む多くの同胞たちにカウンセリングをして肯定的な帰化の方法を提示するのが望ましい」と語った。



「同胞社会との紐帯を維持」。こういうことをいつまでも言っているようでは、書類の上で「日本国民」になっても精神の上では相変わらず日本人にも韓国人にもなり切れないのは明白でしょう。


これが例えば《ある国から日本に来て「日本国籍を取りたいが取れずにいる」などの理由で現実に社会的不利益を蒙っている人々》の間になら、彼ら同士の間の互助組織みたいなものが出来上がって行くのは分からなくもない。しかし在日の場合はそうではありません。国籍取得については彼ら自ら拒んでいるだけの話ですから、本人さえその気になればいつでも「普通の日本人」になれる。彼らの言葉を借りれば「生活基盤」だって既に日本にちゃんとある。いつまでも「もと韓国人」同士でくっついていたがるのは、結局は彼ら在日が帰化後もなお「差別され疎外される」立場を自称することによる《逆差別のうまみ》から自立できないであろうと自ら宣言するに等しい。




国籍を実利で考える人々


次に彼ら在日が日本国籍取得に傾く積極的な動機について考えます。「中」には以下のようにあります:



申恵一在日韓国人本国投資協会副会長は本国での逆差別の例を提示して帰化賛成に重みを加える。


申副会長は「本国で活動する在日韓国人はむしろ『韓国国籍』を持っていて損になることが多かった」と告白。「住民登録がないという理由で選挙権がなかったし、子供を学校に行かせる時は教育庁に直接行って許可を受けなければならなかった」と例を挙げた。



だいたい「本国で活動する在日韓国人」などというものがいるのがおかしい(「本国で活動」できる者に何故日本が永住資格を与えなくてはならないのか、という話)のですが、極め付けは以下の箇所:



彼の言葉どおり日本国籍を取得した在日同胞が母国へ来れば政府から同胞資格証である「在外同胞居所証明書」とともに「外国人登録証」の発給まで受けることができて、状況によって有利な方を使うことができる。

要するに彼ら帰化賛成論者が帰化に賛成するのは「韓国で生活するのにも日本国籍があった方が寧ろ便利だから」。この文章の何処を読んでも、それ以上の帰化の動機は見出せません。


日本国籍を取得し日本国民になるということは、一朝事ある時は日本の為に朝鮮を敵として戦わなくてはならないということです。上のように生活上の御利益だけで国籍取得を論じる人々が、その覚悟をした上で日本国民たる道を選ぼうとしているとは思い難い。




日本国内に「帰化人党」が生まれる


日本社会にとってのより身近なリスクは、こうした人々が晴れて日本国籍を取得することにより、アウトサイダーとしての意識はそのままに日本国民としての権利を獲得し、謂わば彼らだけで国の中に国を作ってしまうことです。前回触れた白真勲の例のように、日本国籍を取った後も専ら在日の利益の為にのみ働こうとする者は後を絶ちません。彼らはそうした社会を「多民族・多文化共生社会」だと言いますが、私に言わせればそれは共生ではなく単なる寄生です。


このことに関連して、前回も参照した「コリアン・ザ・サード: 日本国籍取得権という罠」に以下のように述べられています:



確かにすべての在日が日本国籍を有した場合、それは民潭(ママ)や総連の存在意義が無くなるということでありますが、その存在が無くなるわけではないでしょう。韓国系反日日本人たちの溜まり場に変わるだけです。



「韓国系反日日本人たちの溜まり場に変わるだけ」ならば、まだしも日本社会に及ぼす悪影響は小さくて済むでしょう。私が危惧するのは、彼らが帰化後の元・在日たちをして「同胞社会との紐帯を維持」せしめ、それを元手に日本社会に於いて公然と政治的影響力を行使し始めることです。恰も公明党に於ける創価学会のように、です。


前回読んだ「下」にわざわざ「迷宮入りした帰化統計値」という一節が割かれていることは、こうした危惧を一層大きくします。



帰化者の子孫や家族など、血統上の韓民族がどの位になるのか、韓国系の日本人はどれくらいになるのかなどの数値は公開されていない

というくだりがありますが、これなどは「公開されていない」のではなく、もともとそんなものは国としても把握していないし把握のしようも無いのだと見るのが普通でしょう(戸籍謄本に「何某は何代前に韓国から帰化した者の子孫で、…」などと代々記載せよとでも言うのでしょうか)。こんな所で彼ら在日が「韓国系日本人の数」に拘る理由が何処にあるかは想像に難くありません。しかもそうした「帰化人党」が「同胞社会との紐帯」なる理屈の延長線上で外国──彼らにとっては帰化後も相変わらず「母国」であり続けるだろう──と連携し、自らの属する国家の利益よりも自らと民族を同じくする外国の利益を優先して日本の国政に関与しようとするとなれば尚更でしょう。そうでなくても創価学会や加藤紘一・河野洋平らの始末で日本は既に手一杯です。


こうした「帰化人党」の形成を日本社会は阻止しなくてはなりません。その為に最も有効なのは、所謂「民族教育」の容赦の無い撲滅でしょう。昨今、高校野球から大学受験資格まで様々な面で「民族学校」の類の「進出」が取り沙汰されていますが、こうした風潮が日本社会に害を為すのは寧ろ在日が晴れて「日本国民」としての肩書きを手に入れた後であることを肝に銘じておく必要があります。



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by xrxkx | 2006-03-03 02:27