池萬元 慰安婦発言:後半
 過日ご紹介した池萬元(チ・マンウォン)氏の慰安婦論の続きです.

慰安婦問題を解剖する(下) ─System Club, 2005/04/14
慰安婦を素材とした韓国の社会運動
 1990年11月,「挺身隊問題対策協議会(原文註:挺対協(訳註:日本ではしばしば「挺身協」と呼ばれるようだが))が慰安婦の為に献身するという趣旨で創設された.創設当時,挺対協の運営を主導した人々は所謂「イデ」(訳註:おそらく「梨大」=梨花女子大のこと)卒業生だったそうである.尹ジュンオク(83歳くらい)は李フィホ氏(金大中の妻)の先輩でキリスト者として知られ,チ・ウンヒは前女性部長官,そして李ミギョンはウリ党議員である.他にシン・ヘスクなどがいるという.
 1991年,政府は全国の市町村(訳註:原文では「邑面洞」.邑・面・洞とも自治体の行政単位)に公文を送り「慰安婦については秘密を保証するので,恥ずかしがらずに申告するように」という趣旨の公文を送り(訳註:重複ママ),これに従って申告したのは計200名ほどだったと言われている.彼女らのうち今残っているのは125名ほどで,この125名中 本物の「日本軍慰安婦」だと彼女ら同士の間で確認済みの老人たちは33名である.この集まりは略して「ムクゲの会 おばあさんの会」と呼ばれる.このおばあさんの代表が,日本の大法院で本物と確認された「沈美子(シム・ミジャ)」(82歳)おばあさんであり,2005/4/13午前と午後にわたり,筆者が長時間インタビューを行なった.
 現在 毎週水曜日のデモに出ているおばあさんたちのうち,マスコミに最も広く顔を出しているおばあさんは2名ほどだが,奇しくもこの2名については日本社会(国会議員,記者)から「あの方々は違う(訳註:本物ではないの意)」という評価を受けた方々だという.この2名は今でも挺対協に所属しているという.
 挺対協に失望を感じた5名のおばあさんたちがチョ・ゲジョン,ソン・ウォルジュ僧侶を訪ねて生活苦を訴え,仏教界および社会各界で募金運動を始めた.その結果,1992年10月 ソウル麻浦区ソギョ洞で初めて「ナヌムの家」の開所式が行なわれ,ミョンユル洞,ヘホヮ洞を経て1995年12月にチョ・ヨンジャ氏の寄贈した京畿道広州市トヱチョン面所在の650坪の土地に300坪も建物を建てたと紹介されている.おばあさん(訳註:沈美子のことだろう)の言葉によると,慰安婦のおばあさん10名を収容できる建物だという.
 この場所は韓国に観光に来る日本人たちの観光コースとなっており,国内外から義捐金が寄せられているという.はじめにナヌムの家を建ててくれと訴えたおばあさんたちは 運営者側に不満があって出て行き(訳註:この箇所,どちらがどちらに対して不満だったのか不明瞭),現在ホームページには10名の慰安婦の顔が載っているが,彼女らのうち約5名ほどは中国から来たおばあさんだという.この中国のおばあさんたちのうち何名かが,1日に3万ウォン貰って水曜日に日本大使館前の集会に出掛けているのだと おばあさんは言う.
 「挺対協」がキリスト者らの作った団体なら,「ナヌムの家」は仏教者の建てた福祉施設だ.園長(訳註:院長かも)はヘジン僧侶.ムクゲの会の33人は本物の「日本軍慰安婦」だと主張し,彼女らは挺対協とナヌムの家に対し かなりの不信を懐いている.
 ムクゲの会のおばあさん・沈会長は,その不信をこう表現する.
  1. 2つの機関は慰安婦を利用して国内外から募金を行い,自らの名誉を高める為に働き,募金された金を(訳註:自称もと慰安婦ら本人たちに,の意だろう)分け与えもしない.
  2. 何名もいないおばあさんたちを手下にして国際的な恥をさらして回らせている.私たちは金が欲しいのではない.私たちが望むのは名誉だ.私たちを利用して国際募金を行なうのは,私たちを二度辱める行為だ.
 こうした趣旨で沈美子おばあさんは6名の弁護士からなる弁護団を通じて2004年3月,上の2つの機構(原文註:挺対協・ナヌムの家)を相手に「募金行為およびデモ動員禁止 仮処分申請」を行った(原文註:仮処分申請資料保存中).

慰安婦の為の日本人社会運動
 1995年,日本では村山元総理が「財団法人・女性のためのアジア平和国民基金」(原文註:アジア女性基金)という機構を作り,日本社会で広範な募金運動を展開した.日本軍により被害を受けた12ヶ国の女性たちの為の団体である.実際的な住宅改善,看護ならびに医療,医薬品補助など本人の実情と意思を反映した支援を行なうことを文書で約束した.これに伴い韓国の慰安婦たちには一人当たり500万円を与えると提案して来た.おばあさんたちがこの金を受け取ろうとすると,挺対協と政府は おばあさんたちに「あなたがたがこの金を日本政府から受け取ったら娼婦になってしまう.絶対に受け取るな」と言い,日本の「アジア女性基金」に対しては「(訳註:その金を)韓国政府が受け取って記念館や慰霊塔を建てるので政府によこせ」と言ったという.
 これに伴い公式的には7名が500万円を受け取ったが,挺対協ではこのおばあさんたちを指して娼婦だと非難したという.本物のおばあさんの言葉によれば「個人が受け取れば娼婦で,政府が受け取れば当然の事」などという馬鹿なことがあるかと腹立たしいと言う.日本から金を受け取らなかったその他の慰安婦たちは,韓国政府から一人当たり3150万ウォンを受け取ったという(訳註:従って,1円=10ウォンで計算すると,総額の4割近く,一人当たりで言えば185万円ずつを韓国政府がピンはねしている計算になる).本物のおばあさんは日本の「アジア女性基金」に約束を守れと要求したが,アジア女性基金は2005/3/31付でおばあさんに「韓国政府が間で妨害している」というニュアンスの漂う手紙を送って来た.

朴ポンスンおばあさんの場合
 朴ポンスンおばあさんは33人の中の1人で,様々な合併症により余生を闘病生活の中で送り,2005/2/30,82歳で世を去った.この方は17年間ずっと食事が出来なかったという.日本人ボランティア団体である「ハッキリ」(原文註:確実に事を行うという意)(訳註:「日本の戦後責任をハッキリさせる会」を指す)の代表「ウスキ」サン(訳註:臼杵敬子.なお敬称の「さん」は原文でも日本語式に綴られている)が おばあさんを連れて精密検査を受けさせ,おばあさんに合った牛乳を開発して17年間送ったという.1年に5回ほど韓国にいるおばあさんを訪ね,不便な点を点検し,具合が悪ければ日本に迎えて入院させたりもした.
 韓国には「太平洋戦争犠牲者遺族会」があるが,会長はヤン某氏という(訳註:ヤン・スンイムのこと).ヤン会長は(訳註:朴ポンスン死後,か)公開的に慟哭し,5日葬で葬儀を延期(訳註:意味不明.もしや「演技」か?)したという.広く報道された葬儀には若干の日本人たちのほか韓国人らはあまりいなかったという.火葬場で遺骨を拾うとき,韓国人の誰も火葬費を出さなかった.それで「ウスキ」サンが払ったという.朴おばあさんの遺骨を運搬すると名乗り出る人もいなかった.結局あの82歳の沈美子おばあさんが骨壷を前に懸けて,寒い中 バス停2つ分の道のりを歩いて,待機中のワゴン車に乗って天安(訳註:地名)まで行ったという.天安の「望郷の里」まで膝をかがめて行くのはとても体にこたえる上に寒くて,その後ひどく体を病んだという.
 韓国で慰安婦のおばあさんたちを押し立てては愛国者のふりをし,良心家のふりをして来た人々は皆どこへ行ってしまったのか!朴ポンスンおばあさんは日本の女性たちが17年間父母のように面倒を見て,葬式の費用も負担し,葬式も済ませた.
  • 日本の奉仕団体と韓国の奉仕団体は何が違うか? 日本の奉仕団体は17年間朴おばあさんに一般の息子娘以上の真心を注いだ.葬儀も行なった.その間,韓国のあの多くの奉仕団体は何をしていたのか?
  • 日本の奉仕団体は大部分の韓国人たちが感動するほどの奉仕を行なったが,慰安婦の為と称するあの多くの韓国の奉仕団体らは慰安婦を使い走りとしか思っていなかったというのだろうか?
  • 朴おばあさんには 1億5000万ウォンという涙にぬれたお金があった.日本から受け取った500万円(原文註:5000万ウォン)と,月々受け取る60万ウォンとを合わせたお金だ.このお金は誰のもとへ行くべきか? 放っておけば政府のものになる.そのお金を政府が自分のものとすべきかどうか,政府の措置が注目される.

沈美子おばあさんの場合
 沈美子おばあさんは 2004/11/29 日本の大法院で本物の「日本軍慰安婦」だとの判決を受けた方である.このおばあさんの為に法廷闘争をしてくれた弁護士たちは,韓国人弁護士ではなく日本人弁護士で,「ウスキ」サンと「ヒラダ」サンという(訳註:前者は前述の臼杵敬子の夫か何かか? また「ヒラダ」はどうも「原田」の誤記である可能性あり).
 1940年,黄海道(訳註:地名.現在の北朝鮮占領下)のとある学校の5年制の時だった.彼女は刺繍が上手だった.韓国の地図にムクゲの花が一杯に咲いた刺繍を作ったところ,先生がそれを教室に飾った.それを見た日本の先生が日本地図に花を刺繍してくれと頼んだ.沈おばあさんは日本地図に朝顔の花を刺繍してあげた.ある日 日本の巡警が彼女を捕まえて尋問した.日本の花は桜なのに何故一年草である朝顔を刺繍したのかと難癖を付けたのだった.日本の巡査に強姦された後,苛酷な拷問を受けた.背中や腰,手の爪をひどく痛め付けられ,今も拷問の痕がくっきりと残っている.
 「日本軍慰安婦」となって日本に行ったが,たまたま顔が可愛く知的に見えたので日本の憲兵隊長スズキの愛人になった.信任を得たおばあさんは遊郭暮らしを免れた.スズキ憲兵隊長の夫人だという証明書まで貰った.当時ハン・ヨンウンと金マリアが訪ねて来て,望みは何だと尋ねたという.母や祖母のもとに帰りたいと言うと,それなら独立運動に資金が要るから金を出せと言ったという.沈おばあさんはそれが本当だと思い,日本軍の将校たちの洗濯をしたり編み物をしたり,ハナマキ(訳註:「腹巻」の誤記だろう)という腰に巻く財布を作って一つ20ウォンで売って金を払ったという.
 独立軍が来て旅行証明書を出してくれと頼みに来れば,スズキ隊長に親戚だと言って「自由通過」の効力を持つ強力な旅行証を作ってやったことも何度もあったという.
 1992年3月,沈おばあさんが現地証言をしに福岡に行った時,法廷に立とうとしたおばあさんに「いくら補償すれば良いか」と言ったので(訳註:誰がそう尋ねたのかは不明),「やい此奴,私が金を貰いたくて証言になど来るか,日本の土地を全部貰ったとて補償にはならぬ」と叫んだあと卒倒したという.おばあさんを補償を貰いに通っている存在だと思っているのにカッとなったからだという.日本人たちにこういう認識を植え付けたのは他ならぬ韓国のマスコミのせいであり韓国の慰安婦の為と証する社会団体のせいだと思うと おばあさんは憤った.

慰安婦ごっこはもうこれくらいにすべきだ
 現在残っているという125名の慰安婦のおばあさんたち,そしてその125名中33名の「日本軍慰安婦」のおばあさんたち,彼女らは韓国の慰安婦奉仕団体からどれだけの助けを得ただろうか? 結論的に言うが,金銭的な助けをあまり得られず,生活支援もあまり得られなかったというのが沈おばあさんの証言だ.それなら韓国政府からどれだけの助けを得たか? 韓国政府は寧ろ日本の「アジア女性基金」から受け取る援助までも受け取れなくする邪魔者だというのが沈おばあさんの言葉だ.
 これまで15年の奉仕活動がこのようなありさまだとすれば,「挺対協」や「ナヌムの家」に何の意味があり,毎日のように日本大使館前で行なっている慰安婦デモは何の為のものなのか?
 これについて,沈おばあさんは2つのことを語る.ひとつは募金と自らの栄達の為にやっているのだということ,もうひとつは慰安婦たちの名誉を踏みにじる行為だということだ.沈おばあさんの唯一の望みはお金ではなく名誉だという.自分たちは娼婦ではなく,国家が強くなかったが故のスケープゴートであり,だからこそ平和を愛しており,恒久的な平和を念願するが故に「世界平和の為のムクゲの会のおばあさん」として記憶されることを望むという.
 そうした希望に反し,慰安婦を助けると名乗り出た人々が却って慰安婦たちを娼婦呼ばわりするとはあきれ果てるし恨めしいという.彼らは果たして慰安婦たちの痛みを癒す為に存在するのかということだ.今 そのおばあさんの傍らには,そのおばあさんの為の自叙伝を書く為に資料を集めて分析している人がいる.資料は実に膨大だった.
 日本の社会奉仕団体ならびに日本政府は,韓国人慰安婦たちに対して韓国政府と社会団体が何をやっているのかについて 非常に不信感を懐いているという.「慰安婦行事の背後には北韓(訳註:北朝鮮のこと)の工作員がいる」という趣旨の発言が出て来るのは その一例ではあるまいか.
 慰安婦たちをこれ以上辱めず,日本をはじめとする海外に向けて韓国の名誉を汚さない為にも,慰安婦問題は活発に公論化され調査されるべきである.挺対協やナヌムの家についても調査がなされるべきだというのがおばあさんの主張だ.
 これまで通りの慰安婦行事や慰安婦の為の社会活動は,大韓民国名誉と「本物の慰安婦」たちの名誉の為にも中止すべきだというのが筆者の考えである.こうしたやり方では,韓国人たちに日本に対する憎悪を吹き込む反日運動の一環だと誤解されかねない.
 筆者は何らかの不純勢力が事のあちらこちらを歪曲して反米感情を起こし,韓国国民を世界で最も義理を欠く恩知らずな背恩亡徳の国民に仕立て上げるのに成功たのと同様に,慰安婦もまた反日感情を誘発する手段として悪用されているという考えを持っている.
 後半に入って「ハッキリさせる会」が出て来たことで前半での疑問の大半が氷解しました.
 まず2004年11月29日の最高裁の件ですが,大法廷ではなく第2小法廷であって しかも上告棄却,とここにも書いてあります.ああハッキリした.
 どうも池氏は「ハッキリさせる会」との直接のコンタクトは無いようで,誰かに上の上告のことを聞いて知っただけなのでしょう.少なくとも資料に当たってみたらしい形跡が見られない.
 もっとも,最近慰安婦やら「強制連行」やらの絡みで全国津々浦々で「下手な鉄砲も…」式に次々と起こされている裁判では,国の法的責任を認めた上での「国家無答責」論での原告敗訴という それこそハッキリしない判決がちらほら出て来ていますので,そういうのと混同している可能性は無くもありません.慰安婦絡みだと 例えば下関判決などはそうした例でしょうし.

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 池氏のことは後回しにして,先に 今回の主役といってよい「沈美子」がどういう人物なのかを少し見てみましょう.
 まず本文中に数多く紹介されているインタビュー内容だけを見ても,胡散臭い点が山ほど見られますね.例えば
  1. 今年82歳だとすると,生まれたのは1922~23年.韓国式に数えても1924年.「日本の巡査に強姦された」と称する1940年当時は 満17歳か18歳.そのとき「5年生」だったというのは当時の学制に照らして不自然ではないか.
  2. 上の証言中,「軍または官憲による強制連行の事実」を証明するものが何一つ無い.単に「日本軍慰安婦となって日本に渡った」とあるのみ.
  3. 「憲兵隊長の愛人となって遊郭暮らしを免れた」のであれば,慰安婦と認められる筈が無い.ついでにその「愛人となった」過程についても,強制性があったことを示す証言が一切無い.
  4. 「独立軍が日本に来て…」のくだり.沈美子は彼らを日本で迎えている.つまり彼女は内地に住んでいる.内地に慰安婦は存在しない(内地で売春に従事したのは《慰安婦》ではなく単なる《娼妓》である).
  5. その「独立軍」に出してやったという「通行証」だが,慰安婦問題をめぐって日本を糾弾する人々の謂う所の「性奴隷」というのは そんな融通が付けられるほど憲兵隊に顔が利くのか.
等々….上の証言を読む限りでは,この沈美子なる人物は自分の意思で内地に渡って憲兵隊長の妾をしていただけにしか見えないのですが,どうでしょう.

 いま私の手元に,藤岡信勝 著 「『自虐史観』の病理」(文藝春秋,1997)という本があります.その129頁から138頁まで,「信用できない元慰安婦の『証言』 ──彼女たちは真実を述べているか」という章があります(元は「原題現代教育科学(註:2005/10/12 誤字訂正)」1997年8月号に掲載された「元慰安婦証言の信憑性」という題の論文だそうです).その中で,自称もと慰安婦らに対する聞き取り調査の結果が6種類紹介されています.
 さて,ここに登場する自称もと慰安婦は全部で26人.そのうち,慰安婦になるに当たって「軍または官憲による強制連行」があったと主張しているのは 実は僅か8名.その8名の中に今回の沈美子が含まれています.
 聞き取り調査を行なった時期も調査を行なう者も 調査ごとに異なり,彼女たち全員が全ての聞き取り調査に応じているわけではありません.沈美子の場合,初めの3つ,即ち
  1. 「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件訴状」 (1991年12月.92年4月追加)
  2. 「聞きとり 13人の元慰安婦」(1992年02/16-17, 03/09-10.「ハッキリ通信」3号に掲載)
  3. 伊藤孝司 編著 「〈証言〉 従軍慰安婦・女子勤労挺身隊」(風媒社,1992)
の聞き取り調査には加わっていますが,4回目から脱落しています(実はその4回目の調査を行なったのが他ならぬ「挺対協」なのですが).
 前述の「『自虐史観』の病理」の131頁に 26人のうちの誰がどの調査に応じたかが表で示されているのですが,それを見ますと,それまでの調査の少なくともいずれか応じていた自称もと慰安婦らのうち7人が 4回目の調査では外されています.その7人のうち「強制性」があったと主張しているのは実に4人.その4人の中に沈美子が含まれています.
 何故外されたのか.そのことについて,挺対協が調査結果を出版した「強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち 証言集 I」には こうあるそうです.
「(接触した40人の慰安婦のうち)調査結果において自分の経験を語りたがらない人,証言がそのたびごとにひどくくいちがったり,話の前後があわず,調査が難しい人たちを除いていきながら,最終的に調査を完成させたのがこの本に記載された19人の証言である」
「調査者たちを困らせたのは,証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケースだった」
(続く)
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by xrxkx | 2005-04-16 03:21 | ◆ 池萬元 慰安婦発言