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池萬元氏,今度は自ら親日発言        か
 (標題の「か」は東スポふうに小さく読んでね)

 例の池萬元(チ・マンウォン)氏のサイトを覗いていたら,昨日またちょっと面白い文章が掲載されていました.まさか一昨日の私の投稿に応えるつもりでお書きになったわけでもないでしょうが(笑),ともあれ これ,ことによると また物議を醸すかも知れません.

04/14夜 追記: 案の定 そろそろ始まっているようです.

慰安婦を解剖する (上) ─System Club, 2005/04/13
 2005/4/12夜9時のニュースに「慰安婦のおばあさんは北韓の工作員」というニュースが出ていて(訳註:「北韓」とは北朝鮮のこと),翌朝の新聞にも同じ内容が報道されていた(訳註:さる10日の「つくる」会集会での藤岡信勝教授の発言を指すものらしい).これを見た家族が罵った.「日本人どもめ,そういうとんでもないことを言うから国連(訳註:安保理)常任理事国になり損ねるんだ!」
 日本は1910年に韓国を併合した.それから32年後の1941年12月7日(ママ.勿論日本時間では8日),日本は真珠湾奇襲攻撃によりアメリカを相手に太平洋戦争を起こした.32年間は慰安婦問題が全く無かったのである.32年間 なぜ慰安婦問題が無かったのか.
 中国,インドアフリカ,南米,アジアなど世界の数多くの国々がヨーロッパの強国らや日本の植民地となった.それが善だったか悪だったかを論じるのは後回しにして,結果だけ見れば韓国は他の植民地に比べて事情の良いほうだ.

日本は朝鮮の女たちをどう遇したか?
 アフリカを植民地にした国々は,黒人を奴隷として捕らえては息子・娘,父母をばらばらに売り,牛馬の如く鞭で叩いて使役した.インドや中国は阿片漬けにされた.このように他の植民地は搾取と掠奪の対象であったが,韓国だけは日本人が渡来して千年万年も暮らしたがっていた土地なだけに愛着を持って育んだと見る見解が多い.韓国には地震も無く,山水は秀麗で,しかも大陸だったからだ.そのため日本人たちは韓国を日本同様に育み,韓国人たちにも日本人たちと同等の待遇(原文註:内鮮一体)を行なうことを政策としていた.
 頭の良い者は司法学校に入れ,卒業すれば韓国にある学校に配属した.韓国に日本人専用の学校,韓国人専用の学校を建て,道路,鉄道,港湾,発電所,工場,建築物など多くの資本を投資した.パラダイム面から見れば,他の植民地は搾取の対象であったが韓国だけは育成の対象だったというのが,この時代を知る方々の一般的な見解である.これは当時の経済を研究する若い学者らの間にも形成されている見解のようである.
 女性に対する待遇に於いても同様だったという.我々は5000年の歴史を誇るが,その歴史は侵略を受け苦痛を受けた歴史に満ち満ちている.受けた侵略は900回余り,その大部分は中国によるものだった.中国が我々を侵略する時は例外なく婦女子を強奪し,女性たちを中国に連行して行った.年を取ればお払い箱にした.捨てられた 恨(ハン)多き女たちが,それでも自らの土地だと(訳註:故郷を愛し懐かしんで,くらいの意)朝鮮を訪れれば,朝鮮人たちは彼女らを売女と呼んで後ろ指を指した.もともとは「還郷女」という(訳註:「売女」の箇所,原文では「화냥년」で,「還郷女(환향녀)」と音が似ている).しかし日本人たちは中国人たちのように韓国女性を粗暴には扱わなかったという.

慰安婦の種類
 「慰安婦」,「挺身隊」なる語が出るたびに韓国人たちは一も二も無く興奮する.過日ソウル大学経済学部の李栄薫教授が「慰安婦は売春婦(訳註:原文にある「양 색시」とは どうやら日本語で謂う所の「パンスケ」に近い語らしい)のようだ」と発言して散々な目に遭い,今でも随分と叩かれているらしい.彼の文章もまた去頭截尾の言論(訳註:ここでは「前後の脈絡を読まずに発言の一部だけをあげつらうこと」を指すのだろう)の犠牲である.慰安婦問題もまた,以前の5・18(訳註:1980年の光州民主化運動の弾圧事件のことだろう)のように禁断の領域となっているのである.そうした禁断のベールに覆われていることが問題をなおさら大きくしているというのが筆者の持論である.
 筆者の把握するところによれば慰安婦は厳密には3種類に区分されるが,筆者を含め韓国人たちの大部分はこれを区別できずに来た.
  1. 「日本軍慰安婦」: 日本人たちの非を唱えたり日本に反抗した家庭の婦女,嫁入り前の娘である.飯を炊いたり草むしりをしたり洗濯をしたりしているところを,または学校で勉強しているところをさらわれて行った娘たちである.この女たちこそが最も辛い境遇で捕らわれの身となり日本軍人らに輪姦された女たちであり,そのため日本への憎しみは骨髄に浸透している.日本の統計や この分野に関心を持つ人々の言葉によれば,「日本軍慰安婦」は20%,「従軍慰安婦」は80%を占めるという.
  2. 「従軍慰安婦」: 彼女らは生活に著しく窮して自ら軍票を貰って体を売ることで生計を保った娼婦だという.ソウル大の李栄薫教授の発言は,こうした側面を指すもののようである.
  3. 「挺身隊」: これは「女子勤労挺身隊」の略語で,15~40歳代に及ぶ勤労女性で,金を貰って看護婦や軍需工場労働に従事した女性たちである.最後まで貞操を守った者,時により体も売った者,あるいは「従軍慰安婦」に転向した者もいたという.
この3種類のうち問題となるのは主に「日本軍慰安婦」たちである.

日本軍慰安婦はいま何歳か?
 「日本軍慰安婦」が連行されたのは,おそらく1944年が最後だろう.当時15歳以上だったなら現在は少なくとも78歳以上(ママ)になっていなくてはならない.日本軍人らに5~6年間体を捧げたのであれば,78歳以上の高齢ということもあり身体も健康ではないはずだというのが本物のおばあさんの証言である.本物の慰安婦のおばあさんたちは精神的苦痛や性病その他の疾病により健康を著しく損ない,挙動もままならないという.ところが,最近TVで見る慰安婦のおばあさんたちの中には 歳もそれほど取っているようには見えず,健康状態も極めて良さそうで,声にも活気が溢れている方々がいる.

韓昇助(ハン・スンジョ)教授の書いた慰安婦(原文註:「正論」誌)
 (省略)

六何原則(訳註:所謂5W1H)によって認められた「日本軍慰安婦」は誰と誰なのか?
 2004/11/29,日本の大法院(訳註:大法廷)に於いて,六何原則に従い確実な「日本軍慰安婦」だったと認定されたおばあさんがいる.現在82歳である.このおばあさんが認める日本軍慰安婦のおばあさんたちは33名で,彼女らの中には日本大使館に出向いてデモを行うおばあさんはただの一人もいない.ならば,自らを慰安婦だったと言うおばあさんたちについては,その真偽のほどを誰がどうやって証明するのか? 近頃TVにしばしば登場するおばあさんの場合は,日本の関連団体が「偽者」だとして保証金支払いまで拒絶したことがあるという.日本の記者4名にインタビューを行なった(訳註:「記者のインタビューに応じた」であろう)が,4回とも言う事が違うそうであった.
 ベトナム戦争は1965年に始まった.当時の兵士たちは現在60歳前後になっている.枯葉剤などの補償を受ける場合,「私はベトナム戦争に参戦した」という事実を証明しなくてはならない.ところが記録が無い.証明する方法はベトナムで撮影した写真である.写真が無ければ当時の指揮官や同僚を探して証言してもらうのである.
 1980年,光州事態(訳註:上でも参照した民主化運動での弾圧事件のこと)発生した.当時誰が民主化闘士だったか,誰がデモ中に被害を受けたかを調査する際にも,大層なインチキが多かった.お互いがお互いを証言する(訳註:上述のような証言に於いて,事前に口裏を合わせて互いの為に偽証を行なうことを指す)ことも幾らもあった.当時はガソリンスタンドに行くとガソリンの缶をよくくれたという.配達屋の車の運転手が,ガソリンをドラム缶ごと貰えるのを面白がって 3回もドラム缶を一杯に積んで家に運んだ.4回目に行く途中で銃弾に当たった(訳註:デモ隊と軍との衝突に巻き込まれたのだろう)のに,民主化闘士として補償を貰ったという.これは光州教導所で聞いた話である.こうした類の雑多な事例は光州の人々自身も恥じている事である.
 然るに! 60余年が過ぎた今,偽慰安婦と「本物の日本軍慰安婦」を区別する事がどれだけ難しいだろうか? 大抵は「歳を取ったので記憶ははっきりしないが,被害に遭ったのは事実だ」と言い張る場合が多いという.
 1992年から,毎週水曜日の昼12:00~13:00に,日本大使館前では 3名から多いときには6名ほどのおばあさんたちが胸の前に黄色いチョン(訳註:何だか不明)を持ってデモを行なっている.「真相を糾明せよ」「謝罪せよ」「賠償せよ」「歴史教科書に真実を載せよ」「戦犯を処罰せよ」.既に600回をとうに超えたという.
 本物の「日本軍慰安婦」や「従軍慰安婦」だったおばあさんたちは,それを恥じて人々と接触の無いひっそりとした場所で暮らしているという.日本の法廷で本物の「日本軍慰安婦」と証明されたおばあさんの言葉では,本物のおばあさんたちはTVに顔が映るのを嫌ってただの一度も出たことが無いという.最近TVに顔を出しているおばあさんたちの中には,中国から来た5名ほどのおばあさんたちもいるという.彼女らは日本大使館前に出掛ける代価として1日に数万ウォンずつの日当を貰っているという.中国から来たおばあさんたちは,京畿道広州市にあるナヌムの家に収容されているという.しかし,本物とされる33名のおばあさんたちはナヌムの家を嫌がって外に住んでいるという.
 日本は1965年の韓日協定(訳註:日韓基本条約)に拘らずに保障をすると言っている.しかし,上の3つのカテゴリーの内のどれに属するかをはっきり区分して補償を請求するなら受け付けるとのことである.皆が皆「日本軍慰安婦」という最も有利なカテゴリーだと主張するのは信じ難いという.現在「日本軍慰安婦」だと互いに信じているおばあさんは33名で,彼女らは「世界平和ムクゲの会33人会」を構成している.

(次回目次 省略)
05/04/15昼 追記:上の文章の標題,私が初めに読んだときは「(上)」が付いていなかった.順を追うと
・慰安婦を解剖する。
・慰安婦を解剖する(上)
・慰安婦問題を解剖する(上)
と編輯され直して現在に到る.
 細かいところに突っ込みを入れればキリがありませんが,最低限 次の3点は評価に値するといってよいでしょう.即ち,
  1. 日本統治時代をあたかも暗黒時代であったかのように描こうとする韓国の歴史認識をきっぱり否定している点.
  2. 「慰安婦」と「挺身隊」は違うものだということ,また その違いを韓国人たちがこれまで理解できずに来たこと,この両者について 韓国人である池氏がはっきり認めている点.
  3. 自称もと慰安婦らのうち少なくとも大部分はニセモノだと言い切っていること.つまり所謂「軍または官憲による強制の事実」が提示されていないという点に直截に言及している点.
こんなものは当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが,その当たり前の事を韓国人が出来ないばかりに,これまで日本がどれだけ余計な頭を下げ,余計な金を払って来たかを考えれば,「韓国人も やっとここまで来たか」という感を無しとしません.

 とはいえ,本文の論旨の出発点とも言うべき「慰安婦の分類」の箇所には,かなりあやふやな記述が多数見受けられます.
 「挺身隊」はともかく,「日本軍慰安婦」とか「従軍慰安婦」とかいった もともと存在しない言葉によって 日本側が申請の受け付け方を変えるなどというのも不自然ですし,第一 この種の業務を扱う窓口になるであろう「アジア女性基金」にしても 既に先日解散を発表しています.今後補償を行なうという日本側の窓口としてどういう機関を想定しているのかが分かりにくい.
 それから,本文中で言及している「2004/11/29」の判決というのも,何を指しているのか分かりませんでした.判例を探してみると あるにはあるのですが,大法廷ではなく第2小法廷ですし,そもそも これ,「慰安婦と認められた」どころか上告が棄却されています.何か類似の判例のことを指していて日付を誤記しているだけかも知れませんが.
 ともあれ,上の「33名」というのが本当に「日本軍による性的虐待の被害者」なのだとすれば由々しき事態で,それこそ軍および政府の指示による「強制連行」の事実があったかどうかをはっきりさせて貰わないと困ります.もし仮に一部将兵によるそうした暴行の事実があったとすれば,それは当時でも軍法により裁かれるべき罪でしたが,それと当時の日本の政策や軍令とは全く別次元の問題ですから.盧武鉉政権には 是非ともその33名が生きているうちに「過去史真相糾明」とやらをやって見せていただきたいところです.

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 おまけ.ナヌムの家のwebサイト(日本語版)というのがあるのですが,これがまた なかなかイイ感じにデムパを出しています.日本を犯罪国家呼ばわりしている張本人たちが日本人のボランティアの申し込み(「受け付け」と言いたいのだろうが)をしていたり寄付のお願いをしていたりという精神からして理解に苦しみますが,その手の批判はよそのサイトに任せるとして,すいか泥棒的にはやはりインチキ日本語に触れないわけに行きません.特筆すべきは頁上部のmarqueeタグで走らせている一行でしょう.曰く,
この場所には、忘れられない史があります。言葉では言い表せないほどの悲しさで恥ずかしさを忘れ、50年の闇をりけて堂と私達の前に立たれた方の物語が詰まっています。花のような生涯を閉じた方の息遣いとった方達の低いがめられた最後の史室です。許せない史。閉ざされた史に漬かったと心の記が私達に大きなえをす、偉大なる場です。ここから新たな千年を守っていく、人間の平和が育つことでしょう。この場所には、決して簡には癒されない史があります。私達をし見る澄んだ鏡となることを願いつつ
自ら恥知らず宣言してるし…. ヽ( ´ー`)ノ

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by xrxkx | 2005-04-14 14:16 | ◆ 池萬元 慰安婦発言