言論弾圧法案:韓国国内からの批判
 昨日は韓国政界の一角で進められているという言論弾圧法案について書きましたが,当事者である元喜龍(ウォン・ヒリョン)ハンナラ党議員のような自称「合理的保守」が推し進めようとする言論弾圧に対し 韓国社会が全くの無批判でいるわけではないということは,日本人も公正を期する意味で知っておくべきだろうと思いますので,一応ご紹介しておくことにしましょう.
 補足.韓国メディアのうちで 機械翻訳ではない手作業による日本語記事を用意しているのは所謂保守三大新聞(=朝鮮日報・東亜日報・中央日報)だけなので,一般の日本人が韓国事情について知ろうとする場合,どうしても保守系メディアの意見に引っ張られがちな傾向は あります.韓国国内が反日一色で染まりがちな竹島領有権問題や教科書問題などについてウォッチしているうちは まだそれでもよいのですが,韓国国内が賛否両論に分かれがちな政治的争点──例えば国家保安法廃止論争・首都移転論争・戸主制廃止論争など──については,保守三大紙だけ見ていたのでは どうしても見方にバイアスが掛かります.
 殊に,民主化運動当時に学生運動に携わっていた世代以降の若い韓国人の場合,保守三大紙よりはハンギョレや京郷新聞といった「市民運動寄り」の新聞を好んで読む傾向が強く,また昨今では紙媒体以外にネット上のニュースポータルが一般読者の意見を募っていたり,あるいは記事そのものをアマチュアの「市民記者」に書かせていたり──例えば先日の「ジェネジャン騒動」や 昨年1月の「Kの国騒動」の仕掛け人だった「オーマイニュース」などは そうしたニュースポータルの筆頭株で,例の朴某氏などもオーマイの「市民記者」の一人──といった形の謂わばニュースソースの大衆化が ある意味で日本以上に進んでいます.そのため,保守三大紙を通して知り得た韓国事情のみをもって 例えばNaver韓国人などに論争を仕掛けると,時として非常にトンチンカンな突っ込みを入れてしまうことになりがちです.
 さて,元喜龍氏のblogの03/21のポストを見てみますと,同法案への反対意見が3つ紹介されています.

◇氏のwebサイトの掲示板に寄せられた書き込みから:
「第二の韓昇助を防ぐ」なる新聞記事を見ました.
日帝を称揚する者は片っ端から処罰するというものでした.

これについて異議があります.

歴史問題に関しては様々な解釈があり,多様な評価があります.
そうした自由な評価と解釈を 法的に統制することは,
北韓にも見られる時代錯誤的な言論弾圧です(訳註:「北韓」は北朝鮮のこと).

(訳註:「日帝」の「植民地支配」の)被害者が今なお存在するため,
彼ら(訳註:「日帝」)に対する称揚的な評価はあってはならないとお考えのようですが…
それなら,朴正熙もと大統領の被害を受けた人々のため(訳註:そうした人々が今もいるから)
朴正熙は国家経営はうまくやったと称揚することも
法的に処罰されるべきでしょうか?

そうではないでしょう… 確かに日帝時代には誤った点も多かったけれど… 良かった点もあるのでは?

そうしたことも少しは考えてみてよいはずなのに,それを片っ端から法的に処罰するなら,
韓国は北韓とどこが違うというのでしょう.これでも民主国家ですか?

もう少し思慮ある議員になっていただきたいものです.

◇「愛国と表現の自由」 -朴ミョンジン氏(ソウル大 教授)の 東亜日報への寄稿-
 「『日帝強占下 反民族行為 真相糾明特別法』に規定される親日犯罪または反民族行為を擁護し称揚した場合,表現の自由の範疇に該当しないものと見做し,これを処罰する」という法案を,ハンナラ党の元喜龍議員が準備中だという報道があった(訳註:「強占」とは韓国人が日本による韓国併合を「強制占領」と見做して呼ぶ語).
※言論と表現の自由の概念の古典となっている「アレオパジティカ(areopagitica)」に於いて,ミルトンは1664年,「あらゆる自由に先立ち,良心に従い自由に発言し論駁する自由」の重要性を銘記している.ボルテールは「私はあなたの意見には同意しない.しかし,あなたが自由に意見を述べ得るよう,私は命を懸けて戦う」と述べたと言われる.何時何処でボルテールがそう発言したのかは記録が定かでないが,言論の自由を強調する際にしばしば引用される言葉である.宗教・言論や出版の自由を制限しかねない法を議会が制定することが出来ない旨を明示したアメリカの修正憲法第1条もしばしば取り上げられる.
※これまで,この自由に於いて強調されて来たのは,何よりまず権力に対する言論の批判である.政治権力の濫用や不正に対する暴露,背任や違法行為に対する批判が主に強調されて来た.そのため,ナポレオンの「もしも言論に自由を与えたならば,私の権力は三日と続かなかったであろう」という言葉もしばしば引用される.しかし,残念ながら個人の権利という部分はあまり関心の対象になっていない.人間社会が究極的に追い求めるべきものは生存の権利であり,言論と表現の自由もまた これを保護する為の文明社会の手段と見ることができる.勿論これとても無制限のものではあり得ないが,制限は最小限にとどまらなくてはならない.
※元・議員は自他ともに認める合理的保守主義者である.そして,その保守の概念には個人の権利保護が核心を占めているとのことであった.彼の立法推進の動機が如何なる善意に端を発するものであれ,全体主義体制の悪法の大部分が「国家と民族の為に」なる愛国的名分を掲げて個人の口に轡をはめて来た事実を どうか忘れないで欲しいものである.

◇元・議員の発想は極めて危険かつ稚拙だ -与党・ウリ党の李サンミン議員による法案反対声明-
 ハンナラ党の元喜龍議員が,「『日帝強占下 反民族行為 真相糾明特別法』上 親日犯罪または親日反民族行為と規定される行為を擁護し称揚した場合,これを処罰することのできる『日帝侵略行為歪曲および擁護防止法案』を準備中」だと発表した.
 これは極めて不適切であり,反日感情に便乗しようとするだけの薄っぺらな政治的術策としか見ることができず,さらには極めて危険な反民主主義的・反人権的思想観に(ママ:「を」か)持つものと思われ,大いに警戒したい.
 即ち,歴史に対する評価は各者の良心に従い自由に表現されるべきものであるということは絶対的に保証されるべきなのであり,それが今回の韓教授・池某(訳註:韓昇助・池萬元の両氏を指す)の件の場合のように あまりにも荒唐無稽かつ反民族的な内容を含んでいるとしても,これは健全な良心に基づいた批判によって死滅させ逐い出すべきものなのであって,法による処罰によって口を塞ぐべきものではない.
 自分の気に入らないからといって刑罰の権を振りかざし処断しようとする発想は,危険かつ反民主主義的である.ましてや真っ当な民主主義と人権意識に誰にも増して透徹すべき国会議員が,激昂の極にある反日感情に便乗し,軽率かつ無責任にそうした稚拙な法案を作ると公表することは まことに嘆かわしい.

 一方,それに対する元氏の所感は以下の通り:
被害者である我々の目で「戦犯国家の反人類的犯罪行為」を眺めるのでなく…
侵略者であり加害者である日本の目で
「反人類的犯罪行為」や それによって苦痛を受けた我が民族の痛みを眺め…
「日帝には良いところもあったじゃないか」などと どうして言えるのか…

朴ミョンジン教授はご自身が引用なさっているボルテールがどこの国の人だかご存知なのか…

ヨルリン・ウリ党の李サンミン議員は…
ナチ擁護発言を行なったゴーリッシュ(ママ:正しくはGollnisch)を法律で処罰した「ボルテールの祖国」フランスが
反民主主義的・反人権国家だとお考えなのか…

ナチ擁護発言は法律で処罰されるのが当然だが…
日帝侵略行為擁護発言は法律で処罰されてはならないとお考えなのか…

本当にフランスが表現の自由も人権も無い…
極めて危険で稚拙な国家だとお考えなのか…

反人類的犯罪行為を擁護する行為を「他者に対する暴力」だと定めた国連人権委を,
自分の気に入らないからと言って刑法の権を振りかざして処断しようという…
極めて危険で反民主主義的な行動を旨とする場だとお考えなのか…

全世界が斉しく処罰する「戦犯国家の反人類的犯罪」を
「被害国家」である我が国でも処罰し得るようにしようとすることが…
何故こうも難しいのか…

全世界が斉しく処罰する犯罪行為を処罰することが…
何故我が民族にとってだけ こうも難しいのか…

何故…

悲しい月曜日です…

悲しくて涙の出る月曜日です…
 池萬元氏との討論の後の 同氏への「釈明」中では あれだけヘラヘラしていた元氏が,また例の悲憤慷慨調に戻っています.03/17には私は
ここ数日来の竹島問題に頭の筋が何本か切れたのか,あるいは単に 頭に血が上った国民向けに意図的に義憤を演じて見せているのかは分かりませんが,
などと書いたのですが,今回もこういう調子でやっているところを見ますと,
  • これを地でやっているなら相当な馬鹿者であり
  • これを演技でやっているのだとすれば相当な役者ではある
わけで,今のところ どちらとも判断のしようがありません.
 どちらであるにせよ,「日帝=反人類的犯罪国家」「韓国=被害国家」という旧来のいかにも韓国的な被害者史観を万古不易の真理と信じているらしい点に,この人の何よりの不幸があると言えるでしょう.
 昨03/21にも書いたように,日本統治下の韓国は フランスのような被占領国ではありません.私とて日本による朝鮮統治に何ら問題点が無かったとまで断言するつもりはありませんが,ともあれ総体的に見れば 朝鮮人は日本統治の被害者ではなく受益者であったのは動かし難い事実でしょう(そもそも第2次大戦当時,「被害国家」としての韓国は存在していません).朝鮮人にとって認めたくない事実でしょうが,残念ながら朝鮮は日本統治によって初めて近代というものを知ったのです.朝鮮に自力近代化の可能性などかけらもありませんでした.朝鮮にも少なからずいた開化派人士が 誰によってどういう弾圧のされ方をしたかを思い起こしてみれば 一目瞭然でしょう(例えばその代表たる金玉均がどういう末路を辿りましたか).
 そうした「植民地近代化論」を「日帝の侵略を美化するもの」として糾弾したいなら,歴史研究の舞台で相応の反駁を行えばよいだけの話です.法によって他者の口を閉ざす必要があるとは思えません.
 元氏が第2次大戦後のフランスに於けるナチ協力者粛清の事例を自らの法案の大義名分の唯一の裏づけにしているらしいことは 上の文章からも明らかですが,一つの大義名分を以て他の全ての圧制を糊塗しようとするのは 古今東西の専制政治の常套手段です.バスティーユの囚人たちを解放した群衆に如何なる正義があろうとも,ロベスピエールの恐怖政治が免罪されるわけではありません.
 法を以て言論を抑圧することの危険さを敢えて顧みようとしない こうした韓国的「合理的保守」とは 畢竟民族的ショービニズムの域を出るものではなく,上のような数々の批判にも拘らずこうした法が罷り通るならば 韓国社会は今なお文革期の支那と何ら変わりない迷妄の中にあると言わざるを得ないでしょう.
[PR]
by xrxkx | 2005-03-22 21:56 | 韓国の親日派狩り