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チョン・ヘグ氏の「ソウル新聞」論説について
承前
 このように,このチョン教授なる人物は,韓昇助氏の他にも 03/08に紹介した軍事評論家・池萬元氏と 「月刊朝鮮」代表・趙甲済氏の2名を名指しして,彼らの「擁護の論理」が持つという「一連の共通性」──私から見ると この3名を一括りに論じるのは かなり無理があるように見えるが──について 4つの反論を行なっています.

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 第一点.「もしも朝鮮がロシアに併合されていたら云々」を言ったのは韓昇助氏でした.これを「歴史のwhat-if」だとして反則技扱いするのは確かに容易な事でしょう.但し,本当に「歴史に『もしも』は存在しない」と考えるなら,チョン氏が真っ先に批判すべき対象は もっと他にある筈です.他でもない,
「もしも日帝による植民地支配が無かったら,韓国は自力で近代化を達成できたはずだ」
「朝鮮末期にはその為の近代化の萌芽が準備されていた」
云々といった,所謂「自生的近代化」論が それです.例えば,03/06付の朝鮮日報の社説『日帝支配が「祝福」だという捻じ曲げられた歴史観』にも,こうありました.
 韓日合併当時の韓国は、どうせ誰かの「えさ」になるほかなかったという話は、日本の右翼が植民支配を正当化するためにこれまで継続して主張してきた詭弁だ。
 このような話をこの地で耳にするなど、この上なく荒唐無稽だ。日帝の植民統治は韓国民の血と汗を搾取した。それだけでなく、韓国を日帝の附属品として挟み込むことで、国民国家レベルの完全な自生的近代化の道を捻ってしまった。
 民族を分け、凄惨な民族同士の戦いである韓国戦争や60年にわたる分断の種をまいたのも、日帝の韓国強占だ。問題の発言をした張本人も、このような簡単な歴史的事実を分からないはずはないだろう。
 韓氏の主張が「詭弁」だと思うのであれば,「日帝の植民統治は韓国民の血と汗を搾取した」などという 既に反証済みの思い込みを 万古不易の真理ででもあるかのように前提に置いて論じたり,「荒唐無稽」「歴史認識も間違っている」「思慮深い行動とも言えない」などのヒステリックなレッテル貼りに終始するのではなく,彼の主張のどこがどう誤っているかを具体的に示すべきでしょう.
 「日本が朝鮮戦争や分断の種を蒔いた」などという見当違いの説にしても そうです.朝鮮の南北分断は米ソ分割占領の結果であり冷戦の産物であって日本とは何ら関係ありません.同様に日本統治を経験した台湾がその後分断状態に陥ったかどうかを考えれば一目瞭然でしょう.
 同じく03/06付の中央日報の社説「日帝支配正当性主張に憤り」も同様です.
まず学者としては避けなければならない「もし」という仮定を、それも誤った仮定を論旨の出発点としている。日本でなければロシアが支配したはずだという状況論理自体も敗北主義的であるうえ、日本の植民地統治による民族的傷痕の深みに顔を背けた単純論理にすぎない。韓半島と韓民族の躍動性を無視した単線的評価であるだけだ。
 もともと反実仮想に対して「誤っている」云々を言い出すこと自体がナンセンスですが,それはともかく,ここでもまた「日本でなければロシアが支配したはずだという状況論理」なるものへの反論の根拠というものが一切示されないまま「敗北主義」「単純論理」「単線的評価」といったレッテル貼りに終始している点で,朝鮮日報と大差ありません.
 特に中央日報の場合,社説子自ら「歴史のwhat-if」に明示的に言及しているのですから,
「日帝の植民地支配さえ無かったら 今頃ウリは…」
といった考えが この社説子の脳裡をかすめるなど,よもやあり得ない事とは思いますが(笑).
 「日帝」の「植民地支配」からの「解放」後,南北を問わず朝鮮の歴史学の現場で 前述のような「近代化の萌芽」を探そうとする試みが何度となく行なわれ,その都度失敗して来た経緯があるのを,日本人もちゃんと知っています.

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 第二点.今まで何度となく触れて来たように,「日本統治により韓国が発展した」などというのは日本に於いては周知の事実です(それを大っぴらに主張するのが憚られる雰囲気が日本に蔓延していたものまた事実ですが).
 上でチョン氏が「話にもならない」の一言で切り捨てようとしている「民族文化」についても そうで,例えば李朝末期まで朝鮮ではハングルの──そう,韓国人が誇ってやまない あのハングルの──読み書き一つ満足に教えられていなかった事実,そしてハングルの正書法(日本語で謂う所の仮名遣いに当たるルール)を統一・標準化したのが朝鮮総督府の功績だったという事実などは,彼らの「民族文化」の保護・発展にとって日本統治がプラスであったかマイナスであったかを窺い知ることの出来る好例と言えるでしょう.
 第一,「それゆえに韓国は発展したのであり従って日帝の植民地支配は望ましかったなどと主張」などという書き方は 韓氏の主張を大幅に捻じ曲げるものと言わざるを得ないでしょう.韓氏の主張の核心は
「ロシアよりは日本に併合されるほうが幸いだった」
「日本統治の否定的側面ばかりを強調する韓国人の歴史認識は正しくない」
の2点に尽きると言ってよいかと思います.その意味で,チョン氏や彼に賛同する韓国社会のマジョリティこそ,
「極めて部分的な理由を挙げて全体を正当化否定しているという点に於いて,そして日帝の植民地支配の否定肯定的側面について目を閉ざしているという点に於いて妥当性を欠いている」
との謗りを免れないでしょう.

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 第三点.この点に於ける韓昇助氏や池萬元氏の主張は,
「日本人を怨んでばかりいないで,その優れた面を学べ」
というだけの,極めて穏当かつ建設的な提言に過ぎません.
 ちなみに,池萬元氏は必ずしも「日帝擁護」でもなければ「韓昇助擁護」でもなく,韓昇助氏の文章の論旨についても是々非々で読めという中立的な立場のようです.寧ろ ここで触れる「第三点」が,実は韓氏と池氏の主張の殆ど唯一といってよい接点です.例の「石を投げるな」に見られる池氏の主張の骨子は
「李朝末期,朝鮮の政界は政争に明け暮れ,日本の明治維新や文明開化から学ぶ所があまりに少なかった」
「朴正熙が韓国の近代化・経済発展に多大な寄与をしたのは,徒らに日本を憎んでばかりおらずに日本から積極的に学んだからだ」
「現在,その朴正熙を韓国の左派勢力が『親日派』として断罪しようとしているのは,李朝末期と同じ不毛な政争でしかない」
といったもので,寧ろ朴正熙擁護ではあっても 韓昇助擁護と呼ぶには少々無理があり,ましてや「日帝擁護」と見るのは到底不可能です.何せ池氏は日本統治の功罪の再評価そのものには殆ど言及していません.
 それに対し,「歴史というものは時代の状況により逆境に処すべき時もある」なるチョン氏の主張は,李朝末期の固陋な事大主義と鎖国政策との結合であれ,「光復」後の韓国の頑愚なまでの日本排撃であれ,それが「時代の状況」の要請する所に適っていたかどうか,果たしてそれが「逆境に処する」上で妥当な選択だったかどうかに対する考察を全く欠いたまま,過去の選択に無条件の免罪符を与えようとするものでしかありません.そういう考え方に満足できるなら,そもそも「過去史清算」など必要無い筈です.

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 そうしたチョン氏が,一方で昨今の韓国に於ける親日派狩りを「過去の過ちを繰り返すまいという,過去に対する省察」と称して手放しに讃美しているのが 他ならぬ第四点です.
 ご存知のように,韓国では昨年3月に「日帝強占下 親日反民族行為糾明に関する特別法」なるものが議会を通過しましたが,罰則規定は設けないという当初の公約は何処へやら,「親日派」の子孫から土地をはじめとする財産を接収するなどの物理的措置を盛り込もうとする動きが,韓国国内,特にチョン氏の文章中に謂う所の「左派」内部には一貫して存在します.前回前々回と取り上げた与党・ウリ党の宋栄吉議員などは その代表です.こんな事後法まで作って しかも「親日派」本人ではなくその子孫に罰則を科する行為の異常さにも気付かず,「過去史清算」に名を借りた魔女狩りへの《大政翼賛》に終始する学者の存在価値が一体何処にあるのか,疑わざるを得ません.

 最後に,「民主化の進展を左派支配と見る強迫観念」について.
 日本の場合であれ韓国の場合であれ,冷戦終結から15年近くも経た今頃になって 政治的主張を右だ左だと両極分化された構図で論じるくらいナンセンスな話も無く,同様の意味で 昨今の日本のネット言論が「ウヨク」「サヨク」なる言辞を安易に使いすぎるきらいがあるのもどうかと思うのですが(もっとも,だからこそ「サヨク」を本来の意味での「左翼」と使い分けたりするのだろうけれども,それはさておき),ここではチョン氏の謂う所の「左派」を
  • 反軍事独裁・民権伸張論
  • 容共・親北
  • 「南北朝鮮の自主的平和統一」支持,特にアメリカの影響力への反発
の3つの条件によって定義しておくことにします.これとても,「北朝鮮の体制が果たして共産主義と呼ぶに値する代物か」という点で 私自身 大いに違和感は感じますが,ともあれ,韓国国内の政治的主張の「右左」を論じる人々が,大抵は「アメリカ寄りか,北朝鮮寄りか」といった程度の尺度を「右左」と呼んでいるに過ぎないのだと見做しておくことは,さほど的外れでもないものと考えます.
 周知のように,かつて韓国では軍事独裁政権の下で極端な反共政策が取られて来ました.「国民教育憲章」などは当時の雰囲気を良く伝えるものです.この時代,チョン氏から見た「極端な保守主義者ら」は寧ろ反共と民主主義の区別が出来ていなかったのであって,そうした傾向は現在に於いてもその根幹の部分で大差無いと見るべきでしょう.
 これに対し,軍事政権当時以来の学生運動をはじめとする一連の「民主化」運動は 軍事政権を「民衆を抑圧する装置」として捉えていましたし,冷戦時代のアメリカの対東アジア戦略を南北分断の固定化の主たる原因として排撃しようとした経緯もあります(彼らは決まって「一方のソ連軍は北朝鮮建国と同時に朝鮮半島から去ったではないか」という言い方をする).
 そうである以上,北朝鮮を見る彼らの目が その歪んだ非人間的体制よりもまず「大国の干渉によって我々と分断されている,いつかは統一されるべき同胞」たる民衆に向けられるのは不可避な趨勢だったでしょう.金大中以来の「太陽政策」が,元来そうした大衆的感情の上に成り立っている物であることは ご存知の通りです.北朝鮮の経済が崩壊に瀕し,民衆が飢餓に喘いでいる昨今では,この傾向は以前にも増して顕著になっています.韓国から一歩踏み出せば 核や拉致といった《国際社会の平和と安定への露骨な挑戦》が これだけ声高に糾弾されているにも拘らず,韓国政府およびそれを支持する韓国国民らが頑として北朝鮮擁護の姿勢を崩そうとしない所以です.
 「左派」なるものは「極端な保守主義者ら」の「想像の中」だけにいるとチョン氏は断定しますが,本当にそうでしょうか? 「左派と民主主義とを区別できていない」のは果たして誰でしょう?
by xrxkx | 2005-03-10 15:17 | 韓国の親日派狩り