中共官営メディアの受け売りに終始する「中国情報局」の存在意義(2)
もともとサーチナというのはそういう記事ばかり載せているサイトですので,別段驚くには当たらないかも知れません.安手の観光情報だの,日本本土では通用せずに支那に流れ出した一旗組やら新手の大陸ゴロの為の儲け話だのといった話に終始しているうちは まだ可愛げもありますが,この手の「中国情報」系サイトが国際関係論めいたものを語り出すと始末に負えない.サーチナの場合も そうで,02/16付で「『チャイナリスク』は『ジャパンリスク』の裏返し」なる奇妙な文章が上がって来ていました.
戦後中共が日本に対して行なって来た ODAに代表されるユスリタカリの外交,日本の内政に対する露骨な干渉,国家主権の侵害,日本メディアに対して行使している隠然たる影響力,日本国内での支那人の犯罪の多発,etc, etc... それら諸々が ここに来て政府与党・外務省の媚中派や朝日新聞などが隠蔽しようにも手に余るほどに顕在化しており,それに対する危機感を広範な国民大衆が共有するに至った.事の核心はそれだけの話に過ぎません.
大上段に「チャイナリスク」とやらを見出しに掲げて見せたわりに,中身で言わんとする所は要するに「支那人や朝鮮人の反日感情には相応の理由があります」というだけの,自称「被害国民」の責任転嫁を代弁しているだけです.だったら筆者である関氏に尋ねたいが,朝鮮と同じように日本統治を経験した台湾が「靖國参拝」や「教科書検定」に嘴を突っ込もうとするか? 支那の一部と同様に日本軍の占領を受けた東南アジア諸国中,日本の領土を脅かしたり資源を掠め取ったりする国が一つでもあるか.
第一に,真珠湾にせよ原爆にせよ 当時日米は交戦状態にあったのに対し,日本と朝鮮は「元寇」「慶長の役」以来一度たりとも戦争をやったことはありません.両者を比較すること自体がナンセンスです.
第二に,日本の朝鮮併合は日韓間の条約締結によるものであり,支那やアメリカも──それぞれの利害得失に基づいて──認めた国際法上正当な外交行為の結果なのであって,「侵略」ではありません.
支那に対しても同様で,日本軍が支那の領土に攻め込んだことを「侵略」と呼ぶなら,日清戦争が朝鮮および周辺海域で戦われたことを思い起こしてもらいたい.支那も日本に劣らぬ「侵略」国であったことは一目瞭然です.その後日本に敗れ,凋落の一途を辿っただけの《落伍した侵略国》が,他国の「侵略」を責める資格を持つのか.それでも支那は侵略などしていないと言い張るなら,チベットやウイグルの民衆が何と言っているか聞いてみればよい.ベトナムはどうか.台湾はどうか.
第三に,ヒロシマやナガサキのモニュメントに「アメリカ許すまじ」と刻まれていないのは 本当に日本人が「忘れっぽい」からなのか.
今まで折に触れ書いて来ましたが,私は日本人が経験した核の惨禍というのは《全人類の 全人類に対する罪》だったと考えています.アメリカ独りを詰るのは簡単ですが,それでは現実に存在し今後も存在し続けるであろう核の脅威と正面から向き合うには十分ではない.《世界で唯一の被爆国》としての資格に於いて 日本が核廃絶に向けた取り組みを行なうなら,それは決して《世界で唯一実戦で核を使った経験を持つ国》の過去の責任に対する糾弾に矮小化されるべきではありません.
むろん,その《世界で唯一実戦で核を使った経験を持つ国》が 一握りの大国による核の寡占を推し進め,あまつさえ しばしばあまりにも安易に限定核戦争の構想を口にして来た事実については 批判の余地はあるでしょう.が,マトモな日本人はそれを批判する上で「過去に原爆を落とされた恨み」などという卑小な感情論を出発点にすることを潔しとしません.
ましてや中共の場合,自らが 数千万の国民の命を奪ったあの文革の混乱の中で核開発に狂奔し,滑り込みで核保有国に名を連ねるに至った経緯があります.アメリカの非を鳴らせる立場にはない.
そもそも「原爆」を反米プロパガンダの材料に使おう等は手法として古すぎる.かつて冷戦期にソ連が「モスクワ放送」や「今日のソ連邦」などを通じて盛んにそれをやっていましたが,日本人はそんなものに踊らされたりはしなかった.こういう使い古された言辞がひょっこり顔を出すのも,筆者である関氏が「アメリカに付くか,支那に付くか」なる 東西冷戦期さながらの二者択一のスキームでしか日本外交の立ち位置というものを考えられずにいる証拠です.
第四に,上の2つの段落には「経済制裁」なる語が2度現れます.これがこの記事の隠れた核心でしょう.北朝鮮を6者協議の席に引き戻すことが出来るかどうかという一事に中共の威信が掛かっている折も折,こんな記事が載る意味など,他に考えられません.
「真珠湾に至るまでには、枢軸国(ママ)による日本への苛烈な経済制裁があった筈である」
とのことですが,日米開戦前のアメリカが日本に対して行なった 石油の禁輸をはじめとする「経済制裁」が あくまで日本の満州・支那・朝鮮などにおける権益をアメリカが奪うことを目的としたものであったのに対し,今や日本国民の80%が支持しているとも言われる対北経済制裁は 拉致被害者全員の即時奪還を目指すものでしかなく,その性格に於いて比較の対象にはなり得ません.第一項で指摘したのと同じ論理のすり替えが,ここにも見られます.
それでもなお北朝鮮が《真珠湾の再来》を望むなら,それはそれで良いでしょう.02/12にも書いたように,北朝鮮が取り得るそうした行動は,日本の保守層の間にも根強く残る「平和」主義のくびきから 日本を最終的に解き放つ結果を招くでしょうから.その意味で私などは北朝鮮がそうした暴発に出ることを寧ろ歓迎します.
第五に,北朝鮮を指して「70年前の自分達と酷似した精神構造の国だ」と言い放つに至っては──「国の精神構造」なるものが金正日のそれを指すのか朝鮮人一般のそれを指すのかが そもそも不明瞭ですが,それはさておき──,もはや本気で言っているのかどうか訝りたくなります.70年前(昭和10年)の日本が人さらいをビジネスにしていたか.日本が軍事力を元手に他国を相手に駄々をこねて援助をせしめるような卑しい真似を一度でもしたか.
そもそも本当に北朝鮮が「70年前の自分達と酷似した精神構造の国」であるなら,かつての抗日ゲリラの末裔である中共当局が半世紀前にこれを援けて出兵したのは正しかったのか.それどころか現在に至るまでこれを討とうともせず,自らの外交的発言力拡大の為に,あるいは米軍との間の緩衝地帯として生かさず殺さずの状態に置いておくことに何の大義名分があるのか.「お気楽」を言うなら,こういう支那人のダブルスタンダードを何の疑問も抱かず擁護し得る筆者くらい「お気楽」な物書きも珍しい.
上であれだけ滔々と日本の「侵略」だの「真珠湾」だの「原爆」だのを論じたにしては,結論部分は「近年の進出日本企業がらみのトラブル」などという随分卑近な「チャイナリスク」で締め括られていますが,私自身,日本企業が現地人たちとの間で起こすトラブルについては「嫌なら支那で商売などするな」という立場ですので異論はありません.
但し,それなら同様のことは当世日本にウヨウヨいる支那人が日本国内で起こすトラブルについても言える筈です.文明国の「発想や思考・行動様式」「価値観(人・モノ・金・国などなど)」に従えないなら支那人は日本に来るべきではない.というより支那から一歩も出るべきではない.
例えば,昨今日本で多発している支那人(特に所謂「就学生」だが)の犯罪について,そうした犯罪予備軍を続々と日本に送り込んでいることを恥じるどころか,これまで
「日本政府が彼ら就学生に十分な財政上の待遇を与えないから彼らが犯罪に走るのだ」
と言い放ち続けて来たのは どこの誰だったか.「ジャパンリスクの裏返し」などという 中共が聞いたら泣いて喜びそうな安易な責任転嫁論をご丁寧に日本の読者に吹聴している暇があったら,彼ら支那人に「文明国のやり方を学ぶか,それとも永久に支那に閉じこもって暮らすか」を選ぶよう説いて聴かせてやったほうが良い.その結果,支那人が「もう日本人と付き合うのは御免だ」という選択をするのなら,私はそれを寧ろ歓迎します.日本人が「傲慢な思い込みを廃(ママ)し」たり「まず相手を異質のものとしてしっかりと学習」したりするコストを殊更支払うことなく対等のパートナーシップを築き得る相手なら,世界中に幾らでもいます.
2005年1月30日、イラクで選挙が行なわれたが、湾岸戦争や今回の混乱の中で米国の爆撃等で家族や友人を失った人たちが、30年、40年後に、米国そのものや米国人に対して全く何の恨みも感じないなどという事がありえるだろうか? もしあったら、その方がよほど不自然である。「支那人が日本を良く思っているか,悪く思っているか」などということは,日本人が支那という国との付き合い方を考える上では どうでも良いことなのです.相手に好かれているか嫌われているかを以て国策を論じるほど日本人は単細胞ではない.現に日本が唯一安保条約を結んでいるアメリカとは非常に割り切った付き合い方をしている.
別に江沢民が反日教育をしてもしなくても、圧倒的多数の中国人(老若男女)が心の底では日本を良く思っていないのは事実だし、韓国にしても、ワールドカップ共催以前のサッカー・日韓戦のあのモチベーションの高さはいったいどこから来たものなのか、つい数年前までの事なのに、多くの日本人はもう忘れてしまっているようだ。とにかく戦後の日本人は大事なことを忘れやすい国民になった。
戦後中共が日本に対して行なって来た ODAに代表されるユスリタカリの外交,日本の内政に対する露骨な干渉,国家主権の侵害,日本メディアに対して行使している隠然たる影響力,日本国内での支那人の犯罪の多発,etc, etc... それら諸々が ここに来て政府与党・外務省の媚中派や朝日新聞などが隠蔽しようにも手に余るほどに顕在化しており,それに対する危機感を広範な国民大衆が共有するに至った.事の核心はそれだけの話に過ぎません.
大上段に「チャイナリスク」とやらを見出しに掲げて見せたわりに,中身で言わんとする所は要するに「支那人や朝鮮人の反日感情には相応の理由があります」というだけの,自称「被害国民」の責任転嫁を代弁しているだけです.だったら筆者である関氏に尋ねたいが,朝鮮と同じように日本統治を経験した台湾が「靖國参拝」や「教科書検定」に嘴を突っ込もうとするか? 支那の一部と同様に日本軍の占領を受けた東南アジア諸国中,日本の領土を脅かしたり資源を掠め取ったりする国が一つでもあるか.
真珠湾を攻撃したのは日本だが、原爆を投下したのは米国である。真珠湾に至るまでには、枢軸国による日本への苛烈な経済制裁があった筈である。それにも関わらず自民党親米政権はもとより、ごく一般の日本人は米国に恨みをもっているようには見えない。それほど日本人は大人?なのだろうか。否、忘れっぽいだけである。この2つの段落,書き出しが対句になっていますが,その意図がどこにあるかは明白でしょう.
中国や朝鮮を侵略したのは日本だが、多くの日本人を拉致したのは北朝鮮である。いまや日本人の大多数?が経済制裁支持に回っているかのようだが、相手が 70年前の自分達と酷似した精神構造の国だという事を一体どれだけの人が意識しているのだろう。日本人はなぜこんなにも「お気楽」で全てが「他人事」なのだろうか?
第一に,真珠湾にせよ原爆にせよ 当時日米は交戦状態にあったのに対し,日本と朝鮮は「元寇」「慶長の役」以来一度たりとも戦争をやったことはありません.両者を比較すること自体がナンセンスです.
第二に,日本の朝鮮併合は日韓間の条約締結によるものであり,支那やアメリカも──それぞれの利害得失に基づいて──認めた国際法上正当な外交行為の結果なのであって,「侵略」ではありません.
支那に対しても同様で,日本軍が支那の領土に攻め込んだことを「侵略」と呼ぶなら,日清戦争が朝鮮および周辺海域で戦われたことを思い起こしてもらいたい.支那も日本に劣らぬ「侵略」国であったことは一目瞭然です.その後日本に敗れ,凋落の一途を辿っただけの《落伍した侵略国》が,他国の「侵略」を責める資格を持つのか.それでも支那は侵略などしていないと言い張るなら,チベットやウイグルの民衆が何と言っているか聞いてみればよい.ベトナムはどうか.台湾はどうか.
第三に,ヒロシマやナガサキのモニュメントに「アメリカ許すまじ」と刻まれていないのは 本当に日本人が「忘れっぽい」からなのか.
今まで折に触れ書いて来ましたが,私は日本人が経験した核の惨禍というのは《全人類の 全人類に対する罪》だったと考えています.アメリカ独りを詰るのは簡単ですが,それでは現実に存在し今後も存在し続けるであろう核の脅威と正面から向き合うには十分ではない.《世界で唯一の被爆国》としての資格に於いて 日本が核廃絶に向けた取り組みを行なうなら,それは決して《世界で唯一実戦で核を使った経験を持つ国》の過去の責任に対する糾弾に矮小化されるべきではありません.
むろん,その《世界で唯一実戦で核を使った経験を持つ国》が 一握りの大国による核の寡占を推し進め,あまつさえ しばしばあまりにも安易に限定核戦争の構想を口にして来た事実については 批判の余地はあるでしょう.が,マトモな日本人はそれを批判する上で「過去に原爆を落とされた恨み」などという卑小な感情論を出発点にすることを潔しとしません.
ましてや中共の場合,自らが 数千万の国民の命を奪ったあの文革の混乱の中で核開発に狂奔し,滑り込みで核保有国に名を連ねるに至った経緯があります.アメリカの非を鳴らせる立場にはない.
そもそも「原爆」を反米プロパガンダの材料に使おう等は手法として古すぎる.かつて冷戦期にソ連が「モスクワ放送」や「今日のソ連邦」などを通じて盛んにそれをやっていましたが,日本人はそんなものに踊らされたりはしなかった.こういう使い古された言辞がひょっこり顔を出すのも,筆者である関氏が「アメリカに付くか,支那に付くか」なる 東西冷戦期さながらの二者択一のスキームでしか日本外交の立ち位置というものを考えられずにいる証拠です.
第四に,上の2つの段落には「経済制裁」なる語が2度現れます.これがこの記事の隠れた核心でしょう.北朝鮮を6者協議の席に引き戻すことが出来るかどうかという一事に中共の威信が掛かっている折も折,こんな記事が載る意味など,他に考えられません.
「真珠湾に至るまでには、枢軸国(ママ)による日本への苛烈な経済制裁があった筈である」
とのことですが,日米開戦前のアメリカが日本に対して行なった 石油の禁輸をはじめとする「経済制裁」が あくまで日本の満州・支那・朝鮮などにおける権益をアメリカが奪うことを目的としたものであったのに対し,今や日本国民の80%が支持しているとも言われる対北経済制裁は 拉致被害者全員の即時奪還を目指すものでしかなく,その性格に於いて比較の対象にはなり得ません.第一項で指摘したのと同じ論理のすり替えが,ここにも見られます.
それでもなお北朝鮮が《真珠湾の再来》を望むなら,それはそれで良いでしょう.02/12にも書いたように,北朝鮮が取り得るそうした行動は,日本の保守層の間にも根強く残る「平和」主義のくびきから 日本を最終的に解き放つ結果を招くでしょうから.その意味で私などは北朝鮮がそうした暴発に出ることを寧ろ歓迎します.
第五に,北朝鮮を指して「70年前の自分達と酷似した精神構造の国だ」と言い放つに至っては──「国の精神構造」なるものが金正日のそれを指すのか朝鮮人一般のそれを指すのかが そもそも不明瞭ですが,それはさておき──,もはや本気で言っているのかどうか訝りたくなります.70年前(昭和10年)の日本が人さらいをビジネスにしていたか.日本が軍事力を元手に他国を相手に駄々をこねて援助をせしめるような卑しい真似を一度でもしたか.
そもそも本当に北朝鮮が「70年前の自分達と酷似した精神構造の国」であるなら,かつての抗日ゲリラの末裔である中共当局が半世紀前にこれを援けて出兵したのは正しかったのか.それどころか現在に至るまでこれを討とうともせず,自らの外交的発言力拡大の為に,あるいは米軍との間の緩衝地帯として生かさず殺さずの状態に置いておくことに何の大義名分があるのか.「お気楽」を言うなら,こういう支那人のダブルスタンダードを何の疑問も抱かず擁護し得る筆者くらい「お気楽」な物書きも珍しい.
中国と関わるには、相手が自分達とは異質だという事を知らねばならない。歴史、風土、言葉、発想や思考・行動様式、価値観(人・モノ・金・国などなど)違うのが当たり前なのだ。アラブ世界も然り。支那人が日本人と「歴史、風土、言葉、発想や思考・行動様式、価値観(人・モノ・金・国などなど)」を共にし得る国民だと思っている「お気楽」な日本人は,さすがに今どきそう多くはいないでしょう.
カルチャーの違いそれ自体は決してリスクとは言えないが、相手が自分達と異質だと認識しなければ、経済面ばかりでなくあらゆる事柄がリスクを孕んでいる事を忘れてはならない。近年の進出日本企業がらみのトラブルをつぶさに見ていくと、こうした認識不足や配慮の足らなさに起因するものが圧倒的に多い。トラブルの原因を全て中国側に求めようとする傲慢な思い込みを廃し、まず相手を異質のものとしてしっかりと学習する事が必要だ。
上であれだけ滔々と日本の「侵略」だの「真珠湾」だの「原爆」だのを論じたにしては,結論部分は「近年の進出日本企業がらみのトラブル」などという随分卑近な「チャイナリスク」で締め括られていますが,私自身,日本企業が現地人たちとの間で起こすトラブルについては「嫌なら支那で商売などするな」という立場ですので異論はありません.
但し,それなら同様のことは当世日本にウヨウヨいる支那人が日本国内で起こすトラブルについても言える筈です.文明国の「発想や思考・行動様式」「価値観(人・モノ・金・国などなど)」に従えないなら支那人は日本に来るべきではない.というより支那から一歩も出るべきではない.
例えば,昨今日本で多発している支那人(特に所謂「就学生」だが)の犯罪について,そうした犯罪予備軍を続々と日本に送り込んでいることを恥じるどころか,これまで
「日本政府が彼ら就学生に十分な財政上の待遇を与えないから彼らが犯罪に走るのだ」
と言い放ち続けて来たのは どこの誰だったか.「ジャパンリスクの裏返し」などという 中共が聞いたら泣いて喜びそうな安易な責任転嫁論をご丁寧に日本の読者に吹聴している暇があったら,彼ら支那人に「文明国のやり方を学ぶか,それとも永久に支那に閉じこもって暮らすか」を選ぶよう説いて聴かせてやったほうが良い.その結果,支那人が「もう日本人と付き合うのは御免だ」という選択をするのなら,私はそれを寧ろ歓迎します.日本人が「傲慢な思い込みを廃(ママ)し」たり「まず相手を異質のものとしてしっかりと学習」したりするコストを殊更支払うことなく対等のパートナーシップを築き得る相手なら,世界中に幾らでもいます.
by xrxkx
| 2005-02-21 02:45
| 時事ネタ一般