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トンデモ本の一冊や二冊で国は燃えないだろうけれど
 ご存知,本宮ひろ志「国が燃える」 (集英社「週刊ヤングジャンプ」掲載) 09/22号掲載分に登場した,所謂「南京大虐殺」のくだりをめぐっての騒動です.思うところあって,この問題については かねがね注視しながら当blogでは一度も採り上げずに今まで来たのですが,昨日 こういうことを言っている者がいるのを見つけてしまったものですから,今まで私が何を思って黙っていたかを 敢えて書いておくことにしました.
それにしても
よほどの圧力がかかったんだろうな。
とは開いた口が塞がらない.「圧力」は自分たちの専売特許でしょうに.在日の話は今回の目的ではないので 後日に回しますが.

 今回の騒動の詳細については 既に多くの方が採り上げていらっしゃいますので,例えば

※log (1 2)
※娘通信♪ (1 2 3)
※いぬぶし秀一の激辛活動日誌 (1)
集英社への抗議文
集英社側の回答

などをお読みいただくとして,概要だけまとめておきましょう.
 歴史に題材をとった この種の劇画の例に漏れず,この作品も「この作品はフィクションです」という断り書きは入っているものの,所謂「百人斬り」の「犯人」に仕立て上げられた本人たちをはじめ 実在した日本軍の将校らが実名で登場したり,中国側の一方的な主張に則った信憑性に乏しい資料をご丁寧にも引用しているなど,確かに「フィクションです」で済む問題ではないシロモノではあります.
 果たして掲載直後から本宮氏および集英社への抗議が殺到したようで,挙句は地方議員らのグループが抗議に乗り出す騒ぎにまで発展.このあたりから この騒動のメディアでの採り上げられ方が大きくなって来ました.
 それを受けてか,集英社が8日に
  1. 集英社による釈明記事を「週刊ヤングジャンプ」誌上に掲載
  2. 単行本化の際に問題の箇所を修正
を決定したと発表
 それが13日になって 今度は集英社が作品そのものを当分の間休載することを決定した由.

よっしゃぁぁぁ───っ!! ヽ(゚Д゚ )ノ

と喜んでばかりもいられない.こういう時こそ まずは頭を冷やしたほうがよい.
 予め断っておきますが,私は何も「本宮氏および集英社に対する抗議そのものがケシカラン」と言いたいわけではない.「件の作品の休載という措置によって一件落着というわけには行かない」と言いたいだけです.
 今回の騒動の経過を見て 評価できる点は 大きく分けて次の2つでしょうか.
 一つには,「南京大虐殺」やら「百人斬り」などに限らず,歴史認識,とくに事実検証に際しての 自称「被害国」の一方的な主張が 今回の漫画なども含めた日本の商業メディアに 如何に多数,如何に無批判に垂れ流されているかという点について,平素歴史問題などに関心を持たない人々の注意を 幾許なりとも喚起することが出来ただろうという点.
 もう一つは,そうした商業メディアによって形成されつつある歴史認識のバイアスにも拘らず,今回多くの人々がそれと真っ向から戦って一歩も退かなかったという点.
 「南京大虐殺」に限らず「強制連行」でも「従軍慰安婦」でも同様だが,これらに関する自称「被害国」の主張に異を唱えただけで「右翼」のレッテルを貼られ,色眼鏡で見られたのは そう昔のことではない.こうしたことが可能になったのは,やはり言論の底辺もしくは伏流としてのネットの力に負う所が大きい.

 ただ,だからこそ 私は次の点を最も危惧しています.

 一口に保守といっても 当然ながらピンからキリまでいるでしょう.二言目には「愛国心」を口にしたがる人々の中には,街宣右翼のお兄ちゃんたちと大差無いような 単なる不勉強な跳ね返り者も少なくない.そうした まがい物の「愛国心」しか持たない連中が 今回の件で 大いに味をしめることになりはしないか.
 つまり 歴史問題をめぐって自称「被害国」やら在日朝鮮人やら国内の「進歩的文化人」やらが行ってきたのと同じような 「議論は口数の多いほうが勝つ」というだけの 一種の《言論の人海戦術》が,保守言論の底辺を支える大衆の間に根付いてしまう結果を招きはしないか.もしそうなってしまったら,遅かれ早かれ保守言論はお隣の国の金完燮バッシングと何ら変わりないレベルに自らを貶めてしまうことになる(もっとも金完燮氏の場合,《袋叩きにする側》に国がついているという点が決定的に違いますが).

 今回 本宮氏・集英社側は 今のところきちんとした反論を行なっていません(「週刊ヤングジャンプ」というからには当然週刊誌なのでしょうが,今月8日に集英社が約束したという「集英社による釈明記事」が その後掲載されたという話を 未だ聞きません.まさか13日の「休載の発表」を以て釈明に代えたつもりではないでしょうが).
 本来,「南京大虐殺はあった派」であれ「無かった派」であれ,自分が公の場に発表する意見に最後まで責任さえ持てれば 何を言っても自由のはず.今回の件の場合,作者である本宮氏本人なり 集英社の編集責任者なりが 読者や議員らの抗議を堂々と受けて立ち,反論し,それで自己の所信を貫くなら それはそれで良かった.ところが彼らはそれをしない.「クレームを受けたので休載」では単に逃げを打っただけで,何ら責任を取ったことになっていません.
 但し,問題の作品を連載休止に追い込んだだけでは,単に「抗議・苦情の来そうなモノは載せるな」という 日本の商業メディアにありがちな事なかれ主義を増長させるだけに終わるでしょう.上で述べたような人々から見れば それで「勝った」ことになるのかも知れませんが,歴史の事実を洗いざらい検証した上でいずれの主張が正しかったのか問い直してみるという姿勢を失った「民衆の声」は, 歴史認識をめぐる論争を単なる右と左の水掛け論に追い込んでしまい,結果としてこの国の言論全体の品位を落とします.何より
「右寄りの連中が出版社に圧力を掛けて 自分たちの気に入らない出版物を休載に追い込んだ」
という印象を世間一般に与えたり,また そういう風に見えるように 今回の騒動を左寄りの人々に逆に利用されたりするのが 一番望ましくない.

 幸いにして,日本の保守言論は まだそこまで腐ってはいないように見えます.日本国内の左寄りの人々のように 自称「被害国」の主張を鵜呑みにしたり,あるいはむしろ彼らをけしかけたりといった破廉恥な真似はしませんし,かの「つくる会」の教科書の是非をめぐる論争のように 相手側の主張の中身を検討してもみず,具体的に「問題のある箇所」を挙げもせずに「歴史歪曲」「戦争美化」などという安直なレッテル貼りに終始するようなこともありません.保守言論のこうした気風やモラルが その底辺から腐って行くようなことには なってほしくない.

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 補足.
 私はTVを全く見ないのですが,今回の件は「チャンネル桜」などでも積極的に採り上げていた由.私がつねづね読ませていただいている「log」というサイトで,執筆者のadoruk626氏が 昨夜 こちらの記事に次のように書いていらっしゃいました.この中で 特に「愛国心とはどうあるべきものか」について触れていらっしゃるくだりが印象深かったので そこだけ引用させていただきましょう(太字は私が付けたもの).
 また、同じように抗議をした議員グループに対しても、心から同感する事が出来ない自分がいる。もちろん犬伏議員の勇気は褒め讃えたいし、春日部の白土議員もよくやってると思っている(地元の贔屓目ね・笑)。但しこの議員グループの1人である女性議員の発言には、私はどうしても「違和感」が拭えなかった。曰く、「もし本当にこんな残酷な事件(南京大虐殺)が起きていたら、私たちは自分達の先祖を敬えますか?」と。それは違うだろうと私は思う。当時は戦争中だ。何があるか分からない。中国や極東裁判のプロパガンダを全て取り除いたその時に、もし万が一日本兵の「蛮行」が目の前にありありと浮かんできた時には、この女性議員はどうするのだろうか。日本人としての誇りを失い、その「真実」を引き受ける覚悟などないと言うのか。それは本当の「愛国心」とは言えないのではないかと思うのである。
 このところ連日のように國民新聞の編集長が「チャンネル桜」に出ている。月曜日の「報道ワイド日本」では、興奮余って「私は集英社の編集長に雑誌を叩き付けて言ってやったんですよ。“もし本宮のマンガを見た支那人がここに描かれている事を真に受けて、お宅のお嬢さんをレイプしたらあんたどうしますか、それでも許せるんですか?”ってね」などと言ってるのを聞いて、正直なところ嫌悪感を憶えた。少なくとも、こういう連中とは一緒にされたくない。私が求めているのは「真実」であり、真面目に戦局に赴き散っていった戦士たちの「名誉」だ。それ以上でもそれ以下でもない。「見たくないもの」を見ないふりしたり、妙な言い掛かりをつけて恫喝する人間とは与したくない。
 変なたとえですが,例えば
「うちのお父さんは一流企業の重役です,私はそんなお父さんが自慢です,大好きです,尊敬しています」
という子供がいたとして,です.
 もし この不況でお父さんが失業してしまって,再就職もままならず,昼間から家で酒ばかり飲んでいたら,この子はお父さんを嫌いになるのか.
「そんな甲斐性無し,親でもなければ子でもねぇ」
というのが左巻きの人々の言い分.それに対し,上の引用部に登場する人々の言い分というのは,早い話が
「うちのお父さんが失業なんかするもんか」
と言っているわけです.
「たとえ無一文になっても やっぱり世界中に一人しかいない父親だからね」
というのが本当の家族愛ではないか.相手が一個の人間でなく,国家という 何やら曖昧模糊とした,日常の生活の中で皮膚感覚として捉え難い,しかも多分に人工的な匂いの強い存在であるが故に,家族に対するのと同じような当たり前の愛し方を 国に対して出来なくなっていないか,ということが 前々から気になっています.「わたくし」「おおやけ」「くに」の間の繋がりについて,少し考えを整理しなくてはなるまいとは思っているのですが….
by xrxkx | 2004-10-15 21:17 | 時事ネタ一般